第169話 間章・まじめ魔王さまは本を読みたい①


 透き通る晴天にはいつも通り雲が少なく、城の裏手の庭にも燦々と陽光が降り注いでいた。

 気候や土壌は合うだろうかと若干心配していた八朔はっさくの樹は、ひとまず生育に問題はなかったようで、今日も青々とした葉を我が物顔で広げている。

 食料となる果実もたわわに実り、下から見上げるだけでも二十ほどの果実が確認できた。おそらく今頃が実をつける最盛期なのだろう。

 鉄鬼族の黒鐘にはあれ以来会っていないが、そのうち水源やテルバム杉に用ができたらまた挨拶に赴くつもりでいる。

 譲り受けた樹がきちんと根を下ろしたことを報告したいし、肉体を扱うあの闘術には興味がある。それと、彼が匿う弱小の身内らのことも気掛かりだ。

 あそこに住まう鉄鬼族を丸ごと臣下として抱え込むのは難しいかもしれないが、もし興味のある者がいたらこちらに移ってもらっても構わない。

 一族の中では虚弱な集団でも、個体そのものは他と比して力が強いと思われる。力仕事が多いこの城でなら、立派な働き手となってくれるだろう。

 デスタリオラがそんなことを考えながら土の乾燥具合を確かめていると、葉擦れのような小さな足音が近づいてきた。


「まおうさま、みつけた! 今日はご本、読んでないです?」


「ああ、八朔が気になってな。このあと水路の様子を見たらまた地下へ戻るが、ウーゼは何をしに来たんだ? 実を取りに来たなら手伝うぞ?」


 そう問いかけると、小鬼族の少女は自分の服の裾を掴んで何とも言い難い表情を浮かべたまま黙り込んだ。

 斜めになった眉と引き結んだ唇を見ても、何を言いたいのか察することはできない。

 たまにこうして押し黙るのだが、重ねて訊ねてもなぜか怯えられるだけと学んでいるため、相手から話し出すのをじっと待つ。

 力が込められたまま波打つ唇は何か言いたげだが、まだ言葉は出てこないようだ。

 特に急ぐ用事もないためそのまま黙って小さな頭を見下ろしていると、ウーゼの来た方向からまたひとつ小柄な影が駆け寄ってきた。


「ウーゼ、またまおうさま困らせてる。黙ったら、わからない」


「ふむ、別に困っているということもないが。ふたりも八朔の樹に用があったのか?」


「ちがう、上の窓からまおうさま見えたら、ウーゼ走っていった。まおうさまに会いたかっただけ」


「おにいちゃん!」


 小鬼族の少年ウーゴがそう言うなり、妹のウーゼはその場で飛び上がって兄の腕を掴む。何か反論があるらしく、口を閉じたままむーむーと唸っている。

 初めて出会った頃は吹くだけで折れそうなほど痩せ細っていた兄妹だが、最近は食糧事情が改善してきたお陰か、いくらか肉がついて血色も良くなった。

 元々小柄な種族だからこれ以上肥え太ることもなさそうだが、健やかに育っているなら何よりだ。


「そうか、我もお前たちの元気そうな姿が確認できてよかった。八朔はどうだ、食料の足しになっているか?」


「……」


 食事を必要としないデスタリオラには、食味についてはわからない。だが、柑橘類は栄養価が高く水分補給にも適しているということは、地下書庫に収められていた本で調べてきた。

 とはいえ、植える場所が変わったことで何か未知の変化が出るかもしれない。実際に食べてみてどうだったか、忌憚のない感想を聞いてみたいと思ったのだが、今度は兄と妹が揃って黙り込む。


「……どうした?」


「いえ、あの……とても、おいしかったです」


「何かあるなら、隠さなくても良い。怒ったりはしないから聞かせるがいい」


「……」


 デスタリオラはうつむく小さな頭ふたつを見下ろし、首をかしげる。

 黙ってはわからないと言ったウーゴまで黙ってしまうとは、一体何があったのだろう。

 そんなに答えにくいことでも起きたのかと今度こそ少しばかり困っていると、更なる来訪者が近づいてきた。

 瓦礫の壁の向こうを歩く気配は三つ。城の外で絡んでくるたび返り討ちにしている内、いつのまにか城に居ついた狼人族ワーウルフの青年らだ。

 倒した者が続々と住み着いたようで、今は何名いるのかも定かではない。この気配は最初に絡んできた者たちのようだが、はて名前は何だったか……と考えている間に、炭色の毛で覆われた長身が姿を現す。


「……おっ! 魔王様いるじゃん!」


「チッス、魔王様、久しぶりっす。元気っすか、今日もマジ黒っすね、どしたんすかこんなトコで」


「まじくろ? ああ、いや何、ウーゴとウーゼに、八朔を食べてみてどうだったかと訊ねていたところだ」


「あー! この樹になってる実ってハッサクっていうんすか、これめっちゃうまいっすよ、酸っぱ甘くて!」


 狼人族ワーウルフのひとりがそう言うと、残るふたりも「うめぇうめぇ」と繰り返す。

 山狼をそのまま二足歩行にしたようななりをしているから、てっきり肉食なのかと思っていたが、どうやら彼らは雑食性らしい。果物も口にするとは知らなかった。

 別段、この樹は城に住まう者たちの食料の足しにと植えたものだから、弱小部族しか食べてはいけないという決まりはない。

 狼人族ワーウルフも好んで食べる類のものとは思わなかったが、もし皆に好まれるようならもっと植えても良いかもしれない。


「あ、でも魔王様コレ、ウーゼちゃんたちにはちっと食いにくいんじゃねっすか?」


「食べにくい? どういうことだ?」


「だって手が届かねーし、皮がメチャ硬ぇから落ちた時に割れたのしか食べられないっしょ」


「……そうなのか?」


 傍らで佇む兄妹を振り返ると、ふたり揃って口を波線にした。

 どうやら本当に狼人族ワーウルフの男が言う通り、自分らの力で取って食べることができなかったようだ。

 力が弱いと知っていたのに、そこに考えが及ばなかった自分の落ち度だ。

 食料の足しになればと植えておきながら、実際に食する者たちの都合について頭が回らなかった。

 今後の改善点として記憶に留めておこう。自分を基準にして考えず、その後にどうなるかまできちんとシミュレートするべきだと。


「そうか、すまなかったな。そこまで考えていなかった」


 風の刃で果実のひとつを落とし、受け止めたそれを手に兄妹の前で膝をつく。

 実を手の平でふれてみると、厚みを感じる表皮は河蜥蜴のような手触りをしている。たしかに、小鬼族の小さな手でこれを割るのは難しいだろう。

 収蔵空間インベントリを探り、幼い手でも取り回しやすそうな小振りのナイフを引き出す。そして片膝の上で果実を支えながら、そのナイフを使って実を半分に割る。

 断面は放射状に分かれた房が袋のようになって、瑞々しい果汁を滴らせていた。

 割った半分をウーゴに持たせ、空いた手で次は適当なスプーンを取り出す。何代前の魔王が放り込んだ品なのか、妙な構成が纏わりついていたのでそれを破却してから、八朔の断面に突き立てて果実を掬い取る。


「ほら、ウーゼ。食べてみろ」


「わ、わ、はい! あーん」


 銀のスプーンで掬った実を差し出すと、ウーゼは口をいっぱいに開いてそれを口に含んだ。

 満面の笑みで咀嚼しているが、果実はほとんどが水分だから物足りないだろう。もう一度同じように掬って差し出すと、腹を空かせていたのか嬉しそうに食いついてくる。


「いーなー、いーなー、魔王様それ俺たちにもやってほしーっす!」


「貴様らは自分で取って割ることができるだろう。ほらウーゴ、お前もいるか?」


「え、いや、僕は……」


 戸惑う口元に実を掬ったスプーンを差し出すと、兄のウーゴは遠慮がちに口を開いて咀嚼した。

 そうして交互に兄妹へ食べさせていると、あっという間に八朔は皮だけになってしまう。


「スプーンが他にも必要だな、丈夫な枝を削って匙を作るか。樹には後で梯子を設置しておく、今後はそれを登って実を取るといい。落ちると危ないから採取は必ずふたり以上で行うこと。……わかったか?」


「はーい!」


 元気よく返事をするウーゼにナイフとスプーンを手渡し、膝についた果汁を払って立ち上がる。

 収蔵空間インベントリを探ってみても梯子の代わりになりそうなものは見当たらないから、木材を組み合わせて作る必要がある。自分で試行するより、誰か慣れている者に依頼したほうが確実だろう。


「魔王様、ウーゼちゃんたちには甘いっすよね……」


「治める者として当然の措置だ。お前たち狼人族ワーウルフだって何か困っていることがあれば聞いてやらんでもないが、大抵のことは自分らで何とかできるだろう?」


「まぁ、そっすね。俺ら器用だし、腕っぷし強ぇし、頭悪ィけど群れてりゃ割と何とかなるし」


「器用か……。ならば樹に登るための梯子は作れるか?」


「お安い御用っすー!」


 三名の人狼族ワーウルフは諸手を挙げて意気軒昂に叫びをあげる。

 雑用を頼んだだけでこんなに喜ばれるとは思わなかった、もしかしたら暇を持て余していたのかもしれない。

 城のそばに小屋を増築して住み着いている彼らなら、木材の加工はお手の物だろう。城の改築にも協力してもらっているが、そこまで手が余っているなら別の仕事を依頼しても良さそうだ。


「ふむ。そろそろ耕作にも着手したいと思っていたからな、ちょうどいい」


「耕作?」


「ああ、お前たち小鬼族にも開墾を手伝ってもらいたい。道具を使って土を耕したり、種を撒いたりする仕事だ。ここで農作物を収穫できるようになれば、食料の供給も今よりずっと安定するだろうからな」


「や、やります! ウーゼでも、お役に立てるなら、何でもします!」


「僕も、やります!」


 小さな兄妹は与えたナイフとスプーンを持ったまま、両手を挙げて各々やる気を表明する。

 道具と与える仕事を工夫すれば、力の弱い彼らでも存分に働いてもらえるだろう。

 幸い土地ならいくらでもあるし、水路を引いてきたから灌漑の準備も十分だ。

 まずは土壌に適した作物を探るため試験的に小さな畑をいくつか作ってみて、この地でも収穫できそうなものを調べる所から。

 枯れた土には養分の補充も必要らしく、そちらの研究も必要となるだろう。

 そういったことを調べていたら芋づる式に気になることができて、気がつけば何日も地下書庫へ籠りっぱなしになっていた。


 先達が遺してくれた書物は、知識の宝庫だ。

 『魔王』として生得の知識もそれなりに備えていたが、あの地下書庫へ赴くたびにまだまだ知らないことは山ほどあるのだと思い知らされる。

 不足している知識を埋めるのはとても充足感を得られるし、純粋に本を読むという行為が好ましい。

 頁を開いた時の紙とインクの匂い、指で頁をめくる感触、本を支える片手にかかる重み。目線で文字を追い、記された言葉を得るそれらの感覚全てが、自分にとって『好いもの』であると感じるのだ。

 おそらくこれが、趣味と呼ばれるものなのかもしれない。

 与えられた役割に殉じる必要はあっても、『魔王』の個性自体はその代によって様々だと聞く。自身の個性なんていうものはまだあまり把握できていないが、無為な行いを好む性質でなくて良かった。


「……ふむ。城の修繕もだいぶ進んできたからな、近々手の空いていそうな者たちを集めて話をするか。広間はもう使えるのだろう?」


「そっすね、散らばってた岩とかは片付けてあるっすよ。がらーんとして何もないっすけど」


「十分だ。今現在どれくらいの働き手がいるのか、一度ちゃんと把握しておきたいと思っていたところだしな。日時を決めたら各所に通達を出しておこう」


 方々を巡って集めるだけ集めてみたのだが、人狼族ワーウルフのように後から合流してきたり、仲間を呼んで増えた者たちもいるため、いまいち城と周辺にどれくらいの住民がいるのか把握しきれていないのが現状だ。

 キヴィランタは広く、まだ声をかけていない種族も多くいるものの、ひとまず城の現戦力を把握しておくのは今後の予定を立てるためにも必要だろう。


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