第157話 術


 作戦通りこちらに注意を引きつけつつ、すぐには近寄らせないようにするのが肝要。

 もし『勇者』が想定外の動きをするようなら、自分が何とかして時間を稼がなくては。

 これで穏便に済めば良いのだが、もし失敗してもカミロやノーアには決して危害を加えさせない。 元々奴との対立は自分が持ち込んだ因縁だ。

 やり直しの人生全てを賭したとしても、大切なものだけは守りきってみせる。


 ――と、意気込んでいたのに。



「そこの男に連れてこられたんだろ? お兄さんがちゃんとお家に返してあげるからさ、その前にちょっとだけ話を聞かせてもらえないかな?」


 背後からかけられた声に、頭の中が疑問符で占められる。

 集中が途切れそうになった作業を何とか繋ぎながらも、思考の半分を現状把握に割く。

 連れてこられた、と言うなら確かに街までカミロに連れてきてもらったが、そういったこととはどうもニュアンスが異なるような……。

 それに「お家に返してあげる」とは何だ。

 まさか、自分とノーアが無理矢理カミロに連れ出されたとでも思っているのか?

 当人がそこで伸びているんだぞ、よく見ろ、もっと状況を観察して怪しむべきじゃないか?


<何だか、勝手に妙な勘違いをしているようですが……、リリアーナ様たちのことを、誘拐された少年少女とでも誤解しているのでしょうか?>


 困惑のさなか、アルトからも戸惑いの念話が届く。

 ということは、子どもふたりを誘拐した男が菓子店へ入り、裏口から出るという不審な行動を取ったためここまで追ってきた……という話になるが、いくら何でもそんな勘違いをするだろうか。

 まさかこちらを混乱させて反応をうかがうための罠か?

 それに話を聞きたいとは一体……?

 お前は誘拐犯を追ってきたのではないのか、何がしたいんだ、やはり自分とノーアが怪しいと思われているんじゃ?

 攫われただけの無害な子どもだと本当に思っているなら、まずその精神状態を慮るだろうし、この状況でわざわざ話を聞きたいなんて言い出さないのでは?


「オレの名前はエルシオン、旅の途中でこの街に寄ったんだ。お嬢さんの名前は?」


 名乗った――!


 なぜだ~~???


 わけがわからない、ここでその名を明かしていいのか、もう現役じゃないからいいのか、どうなんだ?

 頭を抱えて声を上げたい衝動は何とかこらえたものの、たまらず振り向きそうになってしまった。

 顔を少し傾けただけで、何とか思い留まる。

 もしかしたらこの名前を聞いてどう反応するのか、様子をうかがっているのかもしれない。


「安心してくれ、オレは君たちを助けにきたんだよ」


 まるで怯える子どもを安心させるかのように、柔らかな声がかけられる。

 本当に、本心から、自分たちをただの子どもだと思っているのだろうか?

 不審感を抱いているにしては不用意に近づきすぎだし、状況を見てもっと注意深く様子を探ると思っていたのに妙に……いや、この行動も台詞も全てが揺さぶりかもしれない。

 だが声を聞く限りでは裏があるとも……

 いや、でも……


 あああもうっ、何十年経っても本当にわけが分からなくて嫌な奴だ!


「なぁ、ちょこっと君らの話を聞かせてくれるだけでいいんだ。とりあえずそこの悪いヤツを縛って、安全になってから話をしよう。その後でちゃんと、お父さんとお母さんのトコまで送るからさ?」


「……わたしは、ここから離れたところに住んでいます。そんなに遠くまであなたは送ってくださるの?」


「もちろんだとも、仔猫ちゃん」


「仔猫?」


 わけがわからない、もういやだ、帰りたい。

 フェリバとトマサとお気に入りのカウチチェアが遠い。

 時間稼ぎの足し、少しでも足止めになればと答えただけなのに、なぜか近づく男の歩みが早まった。


 まさか描画中の構成がバレたのか?

 足音と気配がすぐ後ろまで迫る。首筋がちりちりして心音がうるさい、これでは余計な緊張を悟られてしまう。

 完成まであともう少しというところで、背後から鋭い金属音と布を翻す音、エルシオンの剣呑な声が聞こえた。


「良い領主がいるにしては、物騒な街だな!」


<リリアーナ様、奴が後ろを向きました!>


「……っ!」


 アルトの声が届くと同時に、最後の一角を描ききる。


 二枚重ねの精緻な構成陣。

 どちらも生前は使う機会がなかったため、ヒト相手の実践はこれが初めてとなる。

 生物の内側へ影響を及ぼす構成について研究していた際の副産物、――翼竜セトの内臓機能に興味を持ったのが切っ掛けだが、これが思いの他はまった。

 生得の知識と地下書庫の本を参照し、肉体の構造や骨格、仕組みなどを細かく調べに調べた。

 ヒトの身が健やかに育つための条件や、効率の良い鍛錬方法に詳しいのも、この時に得た知識によるもの。

 積み重ねたものは、何であれ無駄にならないものだ。


 そうして身につけたのは、毒でも物理的拘束でも状態異常でもなく、相手の神経系へ直接干渉して身体を操作するすべ

 この眼に映り、生身の肉体を持つ生物には全てに効果を発揮すると思われるが、自身がヒトとなったことで部位ごとの加減も把握できるようになった。


神経干渉トカネルヴォ


 声には出さず、構成の完成を陣でもって告げる。


 それと同時に二重で描き上げたのは、魔法を準備中であると悟らせないための構成偽装。

 重ねた構成共々、他の精霊眼に彩られた瞳孔・・では捉えられないようにするもの。

 これは原理も何もかも自分的にかなりズルい手だから、編み出しはしても実際に使うつもりはなかった。

 生前、『勇者』との戦闘ですら一度も利用しなかったのに。

 ……だからこそ、知られていない手札として今こうして役に立っているわけだが。


 背後から、金属同士のぶつかる鋭い音が幾度も響く。

 エーヴィが注意を引きつけてくれているのだろうが、一体何をしているのだろう。まるで剣戟の音だ。

 完成した構成を保持したまま振り返ると、ほんの数歩離れた所にくたびれたマントの後姿があった。


 落ちたフードからのぞく焔の赤毛。

 あまりの近さに身震いがする。


 本当は何もかも気づかれているとしたら、こちらが手を出すのを誘っているのだとしたら、この無防備な背は罠なのでは――

 後ろ向きな可能性がいくつもよぎるのを振り切り、『勇者』の体に向かって魔法を行使した。


「仔猫ちゃん、ちょっと危ないからそこの壁際に寄っ、――」


 自分に向けられていたらしき言葉が、途中で切れる。

 ……手応え有りだ!


 四肢の感覚を奪われ、一時的に全身が痺れたようになっているはず。

 五感の操作までは調整できなかったのだが、どうやら声帯も上手く機能しないようで無言が続く。

 それでも、構成は扱える。今も解除のために様々な魔法を試みているのがこの場所からでもよくわかる。

 余程の探査機能を有していない限り、どんな賢者でも解析にはそれなりに時間がかかるはずだ。

 セットしたのは要望通り、ほんの数秒。効果が切れてしまえば原因を調べることもできまい。


 やり遂げた成果にほっとするのと同時に、背後から力の抜けた肩へ手が置かれる。

 いつの間にか立ち上がっていたノーアが顔を寄せ、耳元で小さく囁いてきた。


「今日は、それなりに楽しかった。礼を言う……リリィ」


「っ!」


 ほんのふた呼吸ほどの間のこと。


 そのまま追い越していったノーアは躊躇いも見せず手を伸ばし、エルシオンの背にふれる。


 ――瞬間、前触れも何もなく、ふたりの姿は忽然と消えた。



 障害物がなくなったせいで、路地の向こうにいたエーヴィと目が合う。姿勢を低くして何かを構えていたが、確かめる前に袖元へ隠して丁寧な礼をした。

 それ以外、もう何もない。

 視界を横切る小さな光粒。あたりにいた精霊たちが、興味深そうに彼らのいた場所をくるくると回転している。


「……ああ、わたしも楽しかったよ、ノーア」


 別れや見送りくらいちゃんとしたかったのに、返事もできなかった。

 作戦に組み込まれていたことだから仕方ないにしても、あまりにあっけない別れだ。

 もう少し話をしてみたかったし、約束通り聖堂まで送り届けたかったし、色々と教えてもらった礼をきちんと言いたかった。

 ずっと繋いで歩いていた左手が少し寂しい。


 手を握って、開いて、そして浮遊しかけた思考が戻ってきた。

 ひどい緊張から解き放たれた安心感により、ぼんやりしていたらしい。

 状況を思い出して慌てて振り返る。


「カミロ!」


「はい、リリアーナ様」


 すぐに返事を返した男は、体を起こして地面に膝をついていた。

 コートの前面も腕も頬も何もかも砂だらけで真っ白だ。自分が指示したことだけに、申し訳なさに言葉が詰まる。


「す、すまない……せっかく、その、良いコートだったのに。汚させてしまった」


「いいえ、この程度の砂は払えば済みます。リリアーナ様の安全には替えられません。……どうやら無事に終わったようですね」


「ああ、ノーアが上手くやってくれた」


 カミロは膝に手をついて立ち上がると、「失礼」と断って壁際へ離れ、衣服についた砂埃を叩いて払う。

 その間にエーヴィから怪我はないかたずねられて、いくらか乱れていた髪やコートの襟などを直してもらった。

 外傷はないが、ほんの少しの立ちくらみと熱っぽさ、倦怠感が重くのしかかり全身がだるい。

 長い距離を歩いたのに加え、体の強度に見合わない二重構成を扱ったためだろう。

 この分だと、明日からまたしばらく発熱するかもしれない。


 熱の籠った息を吐き出してカミロのほうを振り向くと、身繕いはもう終えたらしく、転がっていた杖を拾い上げてこちらへ向き直る。

 伏せている間にいくらか回復したのか、佇まいに疲労は感じられず、背筋を伸ばしたその姿はもうすっかりいつも通りだ。


「お待たせいたしました。では参りましょうか、リリアーナ様。お話などはまた馬車の中にて」


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