第124話 かくしごと
引かれた椅子に腰かけ、ノーアと向い合せに席についた。
壁紙などを貼っていない店内の壁は組まれた木材がそのまま見えているが、荒く削っただけの柱などあえてそういう意匠として内装を演出しているのだろう。
石造りの建造物よりずっと温かみがあって、こういうのも嫌いではない。
簡素な木目に包まれた落ち着きのある空間だ。階段から上はおかしな人形もなりをひそめているのだな、と思ったところで、ノーアのすぐ後ろにある置物の顔と目が合った。
短く切り出した丸太を彫って顔を作り、それを縦にいくつも重ねているようだ。それぞれ浮かべる表情が微妙に違うあたり、芸が細かい。
こちらの表情を見て訝し気に眉をひそめるノーアへ、「振り返らないほうがいい」と忠告してやったのに、構わず振り返ってからしかめた顔を正面へ戻した。だから言ったのに。
そんなやり取りをする斜め後ろでは、ノーアを着席させたあとにテーブルを離れようとしていたカミロの背を、ポポがぐいぐいと押している。
「いえ、私は別の席で、」
「イイヨイイヨー、今日は旦那サンもいないんだから、ブレイコーだよネ! カミロサンも楽しんでいってヨー!」
力ずくでカミロをテーブルまで促すと、素早くその手から杖をひったくり、ノーアの隣の席へと強引に座らせる。
その筋骨隆々とした太い腕はキンケードと同じくらいありそうだ。
料理は肉塊を切ったり大きな鍋を振ったり、何かと力のいる作業なのだろう。きっとアマダの腕もあれくらい太く力強いに違いない。
ファラムンドも好んで口にしている料理ということで、ポポの腕前にも期待が高まるが、そういえばここにはカミロと自分だけが立ち寄る予定だったことを思い出した。
成り行きでノーアを連れてきたけれど、今のところ予定になかった少年について訊ねてくる様子もない。
マントを脱いだため聖堂のローブを纏っているのも目に入っているはずだが、その点は特に気にならないのだろうか。
両手を組んで嬉しそうにこちらを眺めるポポへ、ひとまず確認のため声をかける。
「ポポさん、今日はふたりで来店するという予定が伝えられていたことと思いますが、途中でひとり増えたのです。こちらのノーアが同席しても、お料理には問題ないでしょうか?」
「もっちろんデース! ポポのお料理食べテくれる人が増えルの、とっても嬉しいネ! リリアーナちゃんのお友達ならなおさら歓迎ヨ、今日はうんとガンバルから、三人ともいっぱい食べてってネ!」
「「お友達……?」」
声が重なり、顔を見合わせる。
今の自分の外見年齢だと、年頃の近い子どもを連れていれば自然とそういう扱いになるのだろう。
親しくしているキンケードやアーロン爺とは歳がずいぶん離れているから、同年代でその枠に収まる相手は初めてだ。それに彼らは友人という感じで、「友達」と呼ぶには立場の対等さに欠けるような気もする。
「君と友達になった覚えはないよ」
「ん? 何だ、わたしが相手では不服か?」
「不服とかそういう問題じゃないだろう。こちらのことはともかく、君のほうは自分の立場を考えれば軽々に余所の異性と親し、」
「オーウ! ふたりはとっても仲良しネ、ポポも嬉しい! リリアーナちゃんとノーアちゃんはお腹空いテる? ポポ朝からいっぱい仕込んでタから、何でも作っちゃうヨ!」
ひそひそと声をひそめながら話していると、両手の拳を上下に振りながらポポが声を張り上げた。
低音ながら良く通る声だ、手を置いているテーブルまでわずかに振動したような気がする。
「ポポ、準備をしてもらった所に申し訳ありません。リリアーナ様たちはこれから向かう場所でもお食事をとられるので、今日のところは何か軽いものをお願いします」
「アララ、そうだっタのー……」
太陽のような笑顔を咲かせていた男は、途端に消沈して肩をしぼませる。
自分の都合で勝手に予定を変えてばかりで何だか申し訳ない。領主邸から連絡を受けて席を用意し、料理の下ごしらえをして待っていてくれた様なのに。
とはいえ注文を先にしていたわけではないし、自分の立場では謝罪を口にするのもまずいかもしれない。
許容範囲と思える台詞を探しながら声をかけようとしたところで、カミロがこちらを見た。
「リリアーナ様は今後、旦那様とこちらを訪れる機会もあることでしょう。手の込んだ料理はその時にゆっくりとお召し上がりください」
「父上と、ここに……?」
「ナルホドー、ソレとっても素敵なアイデアね! また今度、旦那サンと一緒に来テくれれば、その時に張り切ってご馳走作るヨー! じゃあ今日のトコは、パンケーキなんてどうかナ?」
少し歩き疲れていたところだし、甘いものとお茶を出してもらえるならありがたい。
うなずいて了承を返すと、ポポは承諾に笑みを深めてからノーアの顔を横から覗き込んだ。その無言の催促を受けて、不承不承といった様子で少年もうなずく。
「了解ネ~、パンケーキ三人前、すぐ持ってくるからチョットだけ待っててネ!」
「私の分はいりま、」
「パンケーキ三人前、すぐ持ってくるからチョットだけ待っててネ!」
「……」
注文を繰り返したポポは笑顔でカミロの反論を黙らせると、手を振りながら階段のほうへ向かう。
一階へ下りるのかと思ったが、そこで待っていた給仕の女性から木製のトレイに載った茶器などを受け取っている。
<あやつ、やりおるな……>
椅子の背にかけたポシェットから何やら感嘆混じりの念話が届く。
ポポの所作に感心しているのか、それとも彼の大らかな対応が気に入ったのか。アルトが続く言葉を漏らす前に、両手でトレイを持ったポポがテーブルへ戻ってきた。
トレイを片手に、ポットの中身を小さな皿に注いで一口含み、それを嚥下してカミロに笑いかける。
テーブルへ置かれたカップは三つ。それぞれに淡い色の香茶を注いで、ソーサーも取っ手もないティーカップが目の前へ差し出された。
「トッテモおいしいお茶だヨー、それ飲んで待っててネ!」
再びトレイを持ち上げたポポはにこやかに階段を下りていった。
食前用の風味を抑えたお茶だ。カップへ手を伸ばす前にカミロを見て、念のため確認をしてみる。
「ポポが今したのは、毒見か?」
「ええ。彼が作り、彼が手ずから配膳したものは安全です。どうぞ安心してお召し上がりください」
そう言うと、自らカップを手に取り、先に一口飲んで見せた。別に警戒をしていたわけではないのだが、そういうことなら遠慮なくいただこう。
湯気をくゆらす柔らかな香り。自室や食事の際に飲んでいるものとは異なり、少しだけ青葉の匂いを感じる。何か茶葉をブレンドしているのかもしれない。
少し冷えていた手で小ぶりなカップを包み、温かいお茶を飲んでほっと一息ついた。
「毒見? いつもそんなことをしてるのか?」
「ん? それは普段の食事のことか? いつも食べる前には侍女たちが一口分をわけて、安全かどうか確認をしてくれるぞ」
ノーアの問いにそう答えてから、カステルヘルミも毒見の習慣には驚いたような反応を見せていたなと思った。
貴公位の家では当たり前なのかもしれないと、あの時は彼女なりに一応の納得をしていたが、ノーアから見ても食事前の確認は異様なのだろうか。
「まぁ、安全のためとはいえ、手間をかけさせてすまないとは思っているがな。お付きの侍女はおいしくてお得だから構わないと言ってくれたし」
「フェリバがそんなことを……」
「あ」
名前は出さなかったのに、即座に断定をしたカミロは眼鏡を押さえながら嘆息した。
もっとも、トマサもエーヴィも決してそんなことは言わないから、台詞を持ち出した時点でフェリバだということはバレても仕方ない。うっかり漏らした自分のせいだ。
「いや、確認はしっかりやってくれている、その上で楽しく仕事ができるなら何よりじゃないか?」
「安全のためって……今どき王族だってそこまでするのは国王と王太子くらいなものだよ」
「そうなのか、うちの教師も同じようなことを言っていたな。ずっとされていたから、それが当たり前だと思って特に疑問も抱かなかったが。まぁ構うまい、有事に備えるにあたり心構えと習慣というものは重要だ」
「呑気なものだな」
リステンノーアはカップを手に取り、目を細めながら椅子の背もたれに体重を預けた。
気怠そうに香茶を一口だけ飲んで、細い息を吐き出す。……疲労で体が重たく感じる時の素振りだ、自分にも覚えがある。
「疲れていたか?」
「少しね」
「あんな重たそうな格好で歩いたしな。ここは無礼講らしいから、ノーアも存分に寛いでいて構わないぞ。どうせ他に誰も見ていない」
「君はまたそういうことを考えなしに。僕よりもっと自分の立場を、……あぁ、そうか、なるほど。思い出した、先代のイバニェス領主は、」
「リステンノーア様」
ノーアが何か言いかけたところで、カミロが言葉を遮るように名前を呼んだ。
事実、遮る意図はあったのだろう。途中で止められたノーアは露骨に不機嫌そうな顔をして隣席の男を見上げる。
「何? まさか、教えてないのか」
「こちらにも事情というものがございますので」
「身内どころか当人にも関わる話なのに? 正気か?」
「物事には順序というものがございます、どうかお控えください」
「ふん、そんなに大事なら鳥籠から出さなければいいだろう。手元で安全な餌だけ与えて、綺麗なものだけ見せていろ。外気にあてる覚悟もなしに、なぜ連れ出した」
「……」
「習慣付けて疑問にも思わせず丸々肥えさせる、まるで家畜じゃないか」
「リステンノーア様、お言葉が過ぎます」
突然、目の前で揉めだしたふたりに、リリアーナは目を瞬かせる。
話の渦中にあるのが、おそらく自分だということはわかる。
カミロが自分に何か隠していたということも。
だがなぜ、それについてノーアが怒り出し、カミロを責めるようなことを言うのかわからなかった。
これまでのやり取りでも自分に対して無関心そうにしていたのに、一体何がそんなに気に食わないというのか。
剣呑な雰囲気を隠しもしないノーアに対し、カミロの顔色が悪い。立場上、あまり強く出るわけにはいかないのを承知の上で食い下がっているのだろう。
そこまでして秘めておきたいことが何なのか、正直に言えば気にならないわけでもない。……が、さすがにどうかと思って口を挟むことにした。
「いや、うん。大丈夫だノーア。カミロが色々と隠していることはわたしも了承していることだ。大人側の事情とか、十にも満たない年齢ゆえの配慮とか諸々あるのだろう、だからそういじめてくれるな」
「別にいじめてるわけじゃない」
「お前のほうが、立場が上だとわかっていて強く出ているだろう?」
「……。君は、どうなんだ。本当に隠し事をされたままでいいのか、何も気にしないでいられると? 嘘だ、本当は知りたいんだろう?」
ひっそり思っていたことを言い当てられて、何も言い返せず口元だけもごもごとしてしまう。
ここで「知らなくていい」と一言答えれば、それで済むはずなのに。様々なことを隠しているのはお互い様だと、そう頭で理解はしていても、やはり知りたいものは知りたい。
元々知識欲に弱いたちだ。そこにわからないことや自分の知らないことが秘められているのなら、明かしたいと思ってしまう。
だが了承していると言い放った手前、やっぱり知りたいなんて本音は漏らせないし、カミロと自身を繋ぐ無言の信頼はこの先も保っていたい。
そうこう考えて返答を言いあぐねていると、ノーアは呆れたように片肘をついて頬にあてた。
だいぶ行儀の悪い仕草だから、出会った直後から張りつめていた気は抜けてきているのだろう。
疲れて気を張るのも面倒になっただけかもしれないが。
「……じゃあ、
「む?」
どういうことだ、と視線をカミロへ向けると、男は瞑目したままテーブルの上で指を組んでいた。
今度は遮る気はないらしい。
……聞いてしまっても構わない、ということか。
ノーアを止める権限を持たないにしても、もし本気で明かされることを防ぎたいのであればエーヴィを呼ぶなり、部屋を別にするなり何かしら行動に移すことはできたはずだ。
カミロが今それをしないということは、ここで知ってしまうことも、知った後のことも全て自分に委ねられていると受け取って良いだろう。
カミロに許可を求めず、カミロもそれを許さなければ、ノーアが言う通り体面上は「勝手にばらされた」ということにできる。
口実としてはあまりに稚拙だし、この心根の真っ当な男には複雑な思いをさせているはず。それがわかるからこそ、ここは大人しくふたりの配慮に乗せられておこう。
「そうだな、ではわたしもうっかり聞いてしまったということで。食前の茶飲み話だ、気軽に何でも吐き出せ」
「食前と言いながらそのデリカシーのなさ、本当にさ、どうにかしたほうがいいと思うよ……」
「何がだ?」
カップを手にそう訊ねると、ノーアは何かを諦めたように首を振る。
その鎮痛な面持ちに背筋を伸ばして続く言葉を待てば、何とも複雑そうな面持ちで少年は口を開いた。
「市井には何か適当な言い訳をしているんだろうけど、先代のイバニェス公の件は僕でも知っている」
「先代というと、わたしの祖父になるか?」
「いや、現イバニェス公は父親ではなく祖父からその椅子を継いだはずだ。先代領主は君の曽祖父だよ」
「曽祖父……」
その人物のことは、つい最近カミロから聞いたことがある。
中央から職人たちを連れ帰り、大がかりな施工を経て中庭に白い噴水を造ったという傑物だ。
カミロが「大旦那様」と呼んでいた、自分の曽祖父。
ということは、ファラムンドは代をひとつ――自分の父親を飛ばして領主の座についたことになる。
これまで噴水の件以外で、自分の祖父や曽祖父についての話を聞いたことは一度もなかった。誰からも、家族からも侍女たちからも、聞いたことがない。
……名前すら、知らない。
秘められていたのだ、彼らについての話題すべてが。
「先代イバニェス領主、エルネスト=イバニェスは毒殺されたんだよ。自分の屋敷で、使用人の淹れたお茶を飲んでね」
頬杖をついたまま、ノーアはつまらなそうにそう口にした。
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