第121話 邂逅③


 視線に気づいたらしい少年がこちらを見る。相変わらず不機嫌さを隠そうともしない表情だ。


「……うーん、まぁいいか、口調はこのままで。ノーアだって初対面の相手にずいぶん失礼な物言いをしていることだしな」


「初対面の相手に直接言うことでもないだろう」


「それもそうだが今さらだ、気にするな。とりあえず話を戻そうか、我々がお前を聖堂まで送っていくという件、」


「いいよ、僕は適当に戻るから。放っておいてくれて構わない」


「適当にって……あそこまで、ひとりでか?」


 道の向こうに聳える聖堂へ目を向ける。そう遠くはないと言っても、小さな子どもをひとりで歩かせるのはさすがに危険なのではないだろうか。

 街の治安の程は知れないが、何か悪いことを考える輩がいないとも限らないし、先ほど見たような慌ただしい通行人らの荷物へぶつかって怪我をするかもしれない。

 目印は明確だから迷うことはなくとも、こんな幼な子をひとりで行かせるのは躊躇われる。


「迎えが来るならともかく、ひとりであそこまで歩いて行くのはいささか危ないだろうに」


「ええ、おひとりで帰られると仰られましても、さすがにここで放り出していくわけには参りません」


 同意の言葉をかけてくるカミロと視線を交わしてから、ノーアを見る。

 強要するつもりはないけれど、道行きの安全を考えるならここは素直にこちらの申し出を受けておくのが得策ではないだろうか。どうしてもひとりで帰りたいと言うなら、本人の意思を尊重してこれ以上引き留めはしないが。

 そのまま返答を待っていると、ノーアは視線を逸らして鬱陶しげに小さな息をついた。


「善性、倫理観、良心の呵責? ふぅん、じゃあ君たちの善意を酌んで、あの聖堂のそばまでは送ってもらおうか。そこからまで戻るのは、精霊にやらせるから」


「できるのか?」


「できるかどうかじゃなく、やらせるよ。自分たちがしでかしたことの後始末くらい当然だろう」


 ノーアの言葉に目を瞠る。自身で転移の構成を扱えなくとも、精霊たちへ促して「自主的に」転移をさせるというのは、それはそれで手法として有りなのかもしれない。

 魔法の行使とは全く違う道筋を経て、同じ結果を得る。……それも、一切コストをかけることなく。


「なるほど、なるほど。……お前、なかなか冴えてるな」


「感心するところでもないと思うけど」


 そういうアプローチもあったかと、ひとつ新しい知見を得た心地だった。

 発想の転換、構成を描いて実行させるという工程に凝り固まっていた概念へ、新たに道筋が一本増えた。

 結果さえ同じものが得られるのなら、多少道程が異なっていようと一緒だろう。どうやって精霊たちを動かすのか、そこに何らかの工夫が必要になるとしても手段として有用ではある。

 今は魔法の行使による負担がやたらとこたえる身だ、そういう手もあると覚えておけば、今後何かの役に立つかもしれない。


 腕を組んだままの格好でしきりに感心していると、カミロの向こう側に黒い布を手にしたエーヴィがそっと姿を現した。

 足音もなく戻った侍女は持っていた布をカミロへ手渡し、代わりに杖を受け取る。

 大判の布は生地が厚く、上着だろうかと思ったが広げられた布に袖はついていないようだ。形状と丈を確かめるように見分したカミロは、それを肩幅ほどに広げたままノーアへと差し出す。


「移動されるにしても、そのままのお姿では目立ってしまわれます。安物で恐縮ですが、法衣の上からこちらをお召しください」


 黒い布地には良く見るとフードと留め金がついるから、子どもでも着られる丈のマントのようだ。

 ノーアは「仕方ないか」と嘆息し、大人しく後ろを向いて着せかけられる。そこに躊躇や遠慮は見られず、他人に衣服を着せられ慣れている動作だと思った。

 肩からかけたマントを前で丁寧に留める。その丈は合っていても、元々着ている白いローブが長すぎてこのまま歩けば引きずってしまう。

 屈んだカミロがノーアに許可を得てからその裾を折ったり結ったりと調整をしているが、普段はこの格好でどうやって歩いているのだろう。


「君のみたいに、おかしな耳はついていないだろうね?」


「お、おかしな耳……?」


 ローブの裾を整えるカミロに身を任せながら、不意にそんなことを言う。

 後頭部にあるフードをさわって確かめるノーアと向い合せに、自分のフードについている三角の突起へ手を沿わせる。耳とはこれのことだろう。


「これは、手配した父上が喜んでいたからいいんだ。侍女もカミロも父上も、みんな似合っていると言ってくれたし。そもそも、身内の者たちがわたしにおかしなものを着せるはずがないだろう?」


「イバニェス公が良いと言っているなら、まぁ、良いのか……? 僕も巷の流行なんて知らないしな……」


「わたしも流行については疎いが、どうせ自分では見えないのだから構わない。正直な好みを言えば、外套もいらぬ装飾がついたものより、お前やカミロみたいにシンプルなやつほうが動きやすくて好きなんだがな」


 とはいえ屋敷でこんな本音を漏らせば、カステルヘルミの作業着を羨ましがった時のように、またフェリバが頬を膨らませて拗ねてしまう。

 何でも自由にできた生前とは異なり、今は扶養される身の上。用意してもらえる衣服や食事に対して文句を言えるような立場でもない。

 頭部を手で押さえたまま、三角形の耳を揉む。中は綿ではなく布が芯として入っているのか、案外しっかりとした造りだ。多少の風を受けた程度ではこの三角は崩れないだろう。


「衣服は自分で見るものではなく、他者からどう見られるかを考えて着るものだと思うけど。まぁいい、僕には関係のない話だ」


 そう言ってノーアは黒いフードを目深に被る。

 真っ白な髪もローブも隠れたから確かに目立たなくはなったが、逆に真っ黒すぎて不審に見えるのではないだろうか?

 フードで完全に顔を隠すと、全身のシルエットが黒い円錐だ。元々布地の多いローブをさらに折ったせいで、裾のあたりがふくらんだためだろう。

 無言でカミロを見上げると、そっと視線を逸らされた。

 ……まぁ、今は目立たないことが肝心だ、本人が特に気にしていないなら良しとしておこう。道行く者たちは皆一様に忙しそうだし、目立たないのなら誰も気に留めないだろう。たぶん。

 外見問題に関してはそう片付けて、通りの向こうを指さした。


「さて、では行くとするか。聖堂はあっちだな」


「行くのは良いけど、君たちはどこかへ向かう途中だったんじゃないのか。こんな細い路地を見るために街へ来たわけでもないだろう」


「ああ、そうだな。カミロ、雑貨店の次はどこへ向かう予定だったんだ?」


「この通りの先にございますレストランにて、軽食とご休憩を取って頂くつもりでおりました。そちらで一息ついてから風車通りへ向かい、屋台や露店などリリアーナ様のお好きなようにご覧になって頂こうかと」


 風車通りは三年前、キンケードに抱き上げられたまま見学をした道だ。

 果物や根菜など食料品を扱う露店が並び、香ばしい匂いを漂わせる屋台も出ている賑やかな通り。あの肉と油の匂いを思い出したら、何だかとたんに腹が空いてきた。


「ブニェロスだな!」


「ブニェ……?」


 訝し気な様子を見るに、どうやらノーアは知らないらしい。このコンティエラにいながらあれを食べたことがないとは、ものすごく損をしているのではないだろうか。

 外側はからりと揚がって歯応えがよく、中は濃い目に味付けをされた肉や野菜がたっぷり詰められ、とろみのついたタレが双方を引き立てて何とも言えない味わいを醸す庶民の食べ物。

 今日は多少肌寒くても晴天だし、そよ風にあたりながら熱々のブニェロスを頬張ればさぞうまいだろう。


 フードの中で不可解そうな顔をしているノーアを見る。

 聖堂で垣間見た、格子窓のある白い部屋でひとり佇む後ろ姿。

 内装は小綺麗で清潔感もあったけれど、整っている分だけ妙な圧迫を感じた。あんな落ち着かない部屋にこもってばかりいたら息が詰まりそうだ。

 せっかくこうして天気の良い日に外へ出てきたのだから、もう少し羽根を伸ばしても良いのではないだろうか。

 陽の季と違って日差しはゆるく、フードを被っていれば白い肌への影響も少ないと思われる。もし問題があるようなら遮光の構成でも描いてやればいい。

 そんなことを考えてじっとその顔を見ていると、眇めた赤い目がこちらを睨み返す。


「……何?」


「ノーア、突然こんな場所に飛ばされたのは災難だったが、お前はすぐにあの部屋へ戻らないとまずいのか?」


 その問いだけで何が言いたいのかはおおよそ察したのだろう、少年は目を丸くし、わずかな逡巡を見せてから惑うように口を開く。


「今日はもう、夕方まで誰も部屋に来ることはないから、すぐに戻らなくても発覚はしないけど……」


「ということなのだが、カミロ。父上が懇意にしているレストランというのは、もうひとりくらい客が増えても大丈夫だろう?」


「ええ、問題ありません。二階の個室を用意させておりますので、人目を気にすることなくお寛ぎ頂けるかと」


 自分が何を言い出すかなど、この男にはお見通しだったらしい。すんなりと得られた了解に気を良くしながら少年へ向き直る。

 同行者がひとり増えたところで街歩きに支障はないし、聖堂へ向かう途中にちょっと寄り道をするようなものだ。

 実際、ノーアの保護者に知られたところでこちらはさして困らない。迷子を送り届けることを褒められこそすれ、誰にも責められる筋合いはないのだから。


「うん、そういうことならノーア、お前も一緒に行こう」


「行くって、どこへ?」


「父上が利用している店で軽食をつまんで休憩をしたら、屋台を巡ってブニェロスを食べたり露店を覗いたり、適当に街を見て歩くのだ」


「屋台? ……君、仮にも貴公位の娘だろう、街の中で食べ歩きなんてしたら風聞に関わるんじゃないか?」


 ノーアは目元を険しくしてそんなことを問い返してくる。急な誘いに対して自分の都合ではなく、まずこちらの心配をするとは意外と殊勝な奴だ。

 突然の遭遇にはお互い驚いたが、ちゃんと名乗って身元を明らかにしたことで自分たちへの警戒もすっかり解けたらしい。

 聖堂関係者というと、あの官吏や五歳記のときに会った祭司長、妙な女官など、あまり良い印象の人物が思い浮かばないけれど、ノーアはこうして話していても嫌な感じは受けない。

 むしろ近寄りたくないと思っていた聖堂の中の人物がこうして間近に現れたのだ、良い機会だから色々と話をしてみたい。


「心配するな、ちゃんと外套を着てフードも被っているからバレはしない。お揃いだな」


「そういう問題なのかな……」


「レストランと露店通りを経ても、日中にはまでお送りいたします。ご不便をおかけすることもあるかと思いますが、もしよろしければ道中の護衛も兼ねて、私共にご案内役を務めさせて頂ければと」


「と、カミロも言っていることだ。せっかくこんなに天気も良いのだし、一緒にブニェロスを食べに行こう」


「だから、そのブニェロスって何なんだよ」


 ノーアは渋い顔を半分隠しながらまだ何かごにょごにょと呟いていたが、やがてこくりとうなずいて見せた。

 そうと決まれば早く移動しよう、もう昼も近いし日中なんて区切りはあっという間だ。

 一歩近づいて手を伸ばし、黒い外套の中から探り当てた手のひらを掴み取る。


「えっ」


 左手にノーアの手を握り、反対側の手をカミロへ向けて差し出すと、今度は心得てますとばかりにすぐ手袋の感触に包まれる。

 両手が埋まったところで払うように左手を振られたが、離してはやらない。


「何するんだよ」


「こうしていないと、混雑する街中ではすぐにはぐれるぞ。それを着て目立たなくなったのだから、迷子になったら探すのも大変だ。手間などかけさせたくないだろう?」


 真っ当な理由を返してやると、ノーアは反論をひっこめてむくれた。やけに大人びた対応を見せる少年だが、こういう顔をしていればちゃんと年相応に見える。

 少し前のレオカディオのことを、カミロが「難しいお年頃」と評していたのを何となく思い出す。ちょうど同じような歳だ、今のノーアもきっとその「難しいお年頃」に該当しているのだろう。

 あとどれくらい経ったら脱するものなのかは知らないけれど、ヒトの子どもというのも何かと大変らしい。


「では行こうか。少し歩き疲れたし、何となく小腹が空いてきたところだ、そろそろ腹が鳴る」


「君、口調はともかくその話し方さ……いや、もうどうでもいいよ……」


 やけに湿ったため息をつき、ノーアは掴んだ手を握り返してくる。

 細くて頼りないが、とても温かい手だった。


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