第120話 邂逅②
「そうか、お前、あの真っ白い部屋にいたやつだな。こんな所で会うことになるとは思わなかった」
ほんの短い時間の出来事。白昼夢とも判別のつかない妙な光景だったため、すっかり忘れかけていた。
強制的に視せられた幻でも夢でもなく、どうやらあの後ろ姿は実在する人物のものだったらしい。既視感の正体を思い出し、すっきりした心地でなるほどと腕を組む。
清々した自分とは反対に、こちらを振り返った少年は訝しげに顔をしかめた。
「あの部屋を、なぜ知っている?」
「ん、知っているというほどではない。五歳記で聖堂へ行った時、祈祷の最中に汎精霊たちの悪戯に遭ってな。……遠見だな、無理やり視せられたのだ」
そう返せば、しかめていた幼い顔を余計に渋くして頭を押さえる。
まぁ、気持ちはわからなくもない。自分の部屋を、知らないうちに勝手に他人へ見せられていたら誰だって良い気分はしないだろう。
そんなことをされればトマサが悲鳴を上げ、フェリバが掴みかかってきっと大騒ぎになる。部屋の中には他者に見られて困るほどのものは置いていないとはいえ、アルトと会話をしていたり、『秘密の箱』から収蔵品を引き出している場面を見られれば、やはり色々と都合が悪い。
だというのに、やらかす精霊たちにその辺の機微や観念は欠けているため、怒ったところで気力と体力の無駄遣いだ。
普段魔法の行使で彼らの力を利用してはいても、意思の疎通までは及ばず。感情の発露は視認できても言葉は通じないし、何を考えているのかわからないことのほうが多い。
生命ではあっても生物でなし、全く別次元の存在なのだからそれも仕方ない。……と、諦めるより他ないだろう。
言葉もない様子の少年と並び、その視線の先にあった聖堂の塔を眺める。
距離はさほどでもないはずだが、造りが細いため遠近感が狂う。塔の上部には小さな小窓が見えるけれど、あそこから直接飛んできたとは思えない。
魔法を使って浮遊しても、上から接近すればアルトはもっと別の警告をするはずだ。そして、身構えるカミロの横をすり抜けて自分の隣に立てるわけもない。
「……空間を転移してきたか?」
「らしいね」
「ヒトの身でずいぶんと無茶をするものだ」
確信を持って問えば、少年はあっさりと認めた。
収蔵空間へは『品物』という区分でしか収められない通り、通常は魔物であれヒトであれ命あるモノは位層を越えられない。自由に行き来が叶うのは、それこそ大精霊くらいなもの。
それなりの工程を踏めば、生前の『魔王』である自分なら空間転移も扱うことはできたが、あまり気分の良い体験ではないので多用することはなかった。
丸を描いた紙から、丸だけを他の紙へと移すにも等しい行為。本来在るべき層を離れ、摂理を超えた移動をすれば生命そのものへの負荷が伴う。
<リリアーナ様、先ほどは不確かな警告となり申し訳ありませんでした。位層を繋げた精霊たちはすでに散った模様です。転移対象につきましては、身体に目立った異常は見受けられません。ただのヒトの子どもです。骨や筋繊維がひどく細っておりますが、慢性的な運動不足によるものでしょう。刃物、鈍器、薬物、その他危険物に該当するものは何も所持していないようです>
アルトからかけられた報告の念話に、さりげなくポシェットの上からふれて了解と労いを返す。
そうして少年の顔を見ると、何やら不服そうに少しばかり唇をとがらせた。
「別に、好きで来たわけじゃない」
非難を向けたつもりはないが、こちらの視線をどう捉えたのか、ふいと顔を逸らして呟く。
「断りもなく勝手に飛ばされたんだ。……ったく、精霊はろくなことをしない」
「ああ、お前もか……」
とんだ災難に見舞われたことへの同情と、精霊たちの気まぐれに翻弄される側の同族意識。
生暖かい気持ちで白い顔を見つめれば、憐憫を向けられていると察したらしき少年は忌々しげに唇を引き結んだ。
精霊たちが自主的にそんなことをやらかした理由は知れなくとも、構成を編んで転移したのではなく、彼らが勝手に引き起こした現象というなら納得もできる。
一歩間違えれば空間を超える際に肉体が壊れかねない無茶な行為でも、その辺はきちんと保護をして飛ばしたようだ。五歳記の折にこの少年の姿を視せたように、自分の元へ「本人」を寄越したことにも、きっと何かしらの意図があるのだろう。
……問題は、その意図がさっぱりわからない上に、訊いたところで教えてもらえるはずもないということだ。
パストディーアーあたりに問えば翻訳も叶うかもしれないが、あれに助力は頼めない。
少年の様子を見る限り、どうやら本人にも理由はわかっていないらしい。
「……ふむ。何がしたかったのかよくわからないが、精霊たちの悪戯に巻き込まれたのは災難だったな」
「まったくだ」
「どれ、同じ眼のよしみだ、聖堂まで帰るなら我々が送ってやるぞ?」
親切心からそう言うと、同じ高さにある顔は細い眉をひそめて怪訝な表情を浮かべた。
街の中央にある聖堂まで大した距離があるわけでもないし、どうせ歩きながらそこらの店を見学するつもりだったのだから、自分は構わない。不都合があるとすれば、お伴や警護を請け負う側の予定だが。
可否を確認すべくそばにいるカミロを振り仰ぐと、何やら難しい顔をしてこちらを見ている。
「カミロ、どうした?」
「あ、いえ、申し訳ありません。ええと……」
困惑を露わにする男とは違い、災難に巻き込まれた側の少年は困った素振りもなく泰然と佇んでいる。不機嫌顔もすでに引っ込めたようだ。
突然別の場所へ放り出されたというのに、慌てた様子も怯えも見られない。幼い子どもながら中々の度胸をしている。
もしくは、それだけ精霊たちの気まぐれな所業に慣れているということかもしれない。
何か言い淀むカミロから視線を戻し、そういえばと白い顔を覗き込む。無言で返される赤い視線。
催促をしたのに少年はまだ名乗っていない。
見慣れない場所と知らない人間に囲まれて、警戒をしているのだろうか。こちらは過去に一度その後ろ姿を視ているし、纏っている白いローブから聖堂の関係者だということは想像がつくけれど、向こうからすればカミロも自分も初対面の人間だ。
変に意地を張っても仕方ない、ここは自分たちから先に名乗っておくとしよう。得体の知れない者ではなく、領主の身内だということを明らかにすれば多少は緊張もほぐれるだろう。
「うん、こちらから先に名乗るぞ。わたしの名はリリアーナ=イバニェスという。ここの領主ファラムンドの娘だ。こちらは従者としてついてきているカミロ、普段は屋敷で侍従長をしている。……お前の名は?」
「……僕は、リステンノーア」
「ッ、ゴホッ」
息を吸い込む音と同時に突然むせたカミロ。口元に手をあて、もう一度咳払いをしてから姿勢を正す。
「失礼を」
「何だ、どうした? 先ほどから様子がおかしいぞ?」
普段は動揺など欠片も表には出さない男だ。ここまでおかしな素振りを見せるなど、余程のことだろう。
すでに取り繕い終えた顔からは、感情の揺れなど微塵も読み取ることはできない。波風が立った様子をすっかり覆い隠して、眼鏡の中央を押さえ位置を直す。
そうしてカミロを観察をしたことで、そのすぐ後ろにエーヴィが立っていたことに今頃気がついた。普段通りの落ち着いた様子で佇んでいるが、一体いつからそこにいたのか。全く気がつかなかった。
狭い通路だし、目の前にカミロとエーヴィが立っていたなら、少年が突然現れた場面は通行人らの目には入らなかっただろう。今もまるで人々の視線を遮るように、ふたりの大人は通り側へ背を向けている。
「そっちの人は、僕のことを知っているみたいだね」
「ほう、知り合いか?」
「いえ、いいえ、とんでもない」
カミロは首を振り、会話から遠慮するように一歩下がった。知り合いではないが、一方的に知ってはいるという雰囲気。
興味をなくしたらしい少年の目が逸れると、胸元から取り出したものをエーヴィへ手渡し、何か指示を出している。
良くは見えなかったが重たそうな布包みだ、受け取った瞬間にエーヴィの細い眉がぴくりと動いた。それからすぐにどこかへ立ち去る侍女の後ろ姿を、男の陰から見送る。
知り合いかと訊ねた後、否定に続く言葉がなかったということは、おかしな態度についての説明をするつもりはないと見える。
この少年が聖堂の関係者ということなら、カミロもあの建物の中で見かけたことくらいはあるのだろう。十にも満たないような年齢で一体どんな役職についているのか、内部のことは何も知らないため見当をつけることもできないが。
ともあれ、あまり魔法にふれる機会のない者が空間転移なんて目にすれば驚くのも当然だ。知っていることについて言いたくないのであれば、珍しく表出した動揺も見なかったことにしておいてやろう。
こちらのやり取りへ加わるつもりのないらしいカミロはひとまず置いて、少年へと向き直る。
赤い目が自分をじっと見ていた。
顔の造作は異なっていても、瞳だけは鏡を覗いているかのように自分とそっくり同じもの。
キンケードは赤い目が珍しいようなことを言っていたけれど、やっぱりそこら辺にいるではないか。自分とアルトが正しかった。精霊眼はともかくとして、赤色の瞳くらいはありふれているのだ。
「何?」
「いや、同じ色の目をした者ぐらい、探せばいるものだなーと思ってな」
「……」
「それでお前は、ええと、リス……テンノーアだったか、」
「ノーアでいいよ」
素っ気ない声の許しを得て、口の中で繰り返してみる。ノーア。短く呼びやすいならそのほうが有難い。
同じ眼を有した者同士であれば、互いに略称を用いても何ら問題はないだろう。
「ではわたしのことも適当に呼んでくれ、リリアーナでもリリィでも好きに呼んで構わない」
「リリィ?」
言葉の感触を確かめるように、ノーアは自身の唇へふれた。
幼い面持ちと大人びた仕草が妙にアンバランスだ。官吏たちが着用していたものより上等そうな、装飾過多なローブを纏っているせいだろうか。
頬の丸みや小さな手指を見る限りは自分と同じくらいだと思えるのに、目を伏せる表情などはだいぶ年上にも見える。不思議な少年だ。
ふたりの兄以外で、大人ではない相手とこうして会話をするのは生まれてこのかた初めてのこと。
同年代の相手ならば問題はないかと思ったけれど、外部の人間なのだからエドゥアルダから教えられた「客への対応」に相当する言葉遣いが必要だっただろうか。
店などと違って心構えがなかったため、ついいつも通りの口調で話してしまった。聖堂の関係者ということなら尚更、立ち振る舞いも令嬢を装っておいたほうが良かったのかもしれない。
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