第99話 観戦者の驚愕


 どうしてこんなことになったのか。自分はただ伝言を頼まれただけだったのに。

 実戦なんてせいぜいが引ったくりの捕縛だとか、酔っぱらって暴力を振るう男を数人がかりで取り押さえたりとか、その程度にしか参加したことがない。

 もう戦は十数年も起きていないし、盗賊狩りに同行が許されたこともない。度胸も腕前も足りない自分では、どちらに関わってもどうせ何もできはしないだろう。

 給料の良さにつられて自警団に入りはしたものの、荒事よりは書類仕事や下っ端働きが性に合っている。……それなのに。

 一度でも攻撃を受ければ、剣どころか腕ごとバッサリ持っていかれそうな鋭い斬撃。それを寸でのところで何とかかわしながら、ナポルは胸中で滂沱の涙を流していた。



 領主の屋敷から呼び出しがあり、自警団副長を務めるキンケードが荷馬車の護衛を兼ねて街を出たのは、朝八の鐘が鳴った頃だった。

 荷馬車はいつも通りすぐに引き返すが、キンケードには向こうで何か用事があるらしい。夕刻には戻ると聞いたので、詰め所で書き物をしていたナポルは「きっと本邸でおいしいものでもご馳走になるんだろうな」なんて考えていた。

 領主邸の厨房長が弟子を取り、そこで学んだ料理人たちが街中の店で次々とうまい料理を作り出しているのは有名な話だ。

 自警団員の行きつけの定食屋でも、しばらく弟子入りしていた息子が戻ってからというもの味や見た目が劇的に向上した。他の店はあまり知らないが、そこかしこで領主邸で学んだ料理人たちの評判を耳にする。

 先輩たちから押し付けられた書類を淡々と片付けながら、今日の昼はまたあの店に食べに行こうかと思っていると、その押し付けた当人が新たな雑用を持ってきた。

 何でも商会のお偉いさんがキンケードに用とかで、夕刻と言わず要件が済み次第戻るようにと伝えたいらしい。ちょっと馬でひと駆けしてこいなんて言う。自分が押し付けた仕事のことなどすっかり忘れ去っているようだ。

 面倒ではあるが、朝一から座りっぱなしで外の空気を吸いたかったし、馬を走らせるのは嫌いじゃない。それに他のみんなは見回りや訓練で出払っているのだから、詰め所にいる自分が向かうのが順当だろう。

 伝言役を快く請け負って、途中の露店で鶏肉と菜っ葉のサンドイッチを包んでもらい街を出た。


 何度も通ったことのある丘陵地帯をのんびり走り、並足で駆ける振動と心地よい風を楽しむ。

 領主邸の門にたどり着いた頃にはもう昼近くなっていた。伝言を果たしたら、前庭のどこかで休憩と昼食を取らせてもらおう。

 そんな呑気な考えも、門の内側に停まった黒い馬車と、その周囲に展開する門番たちを見て吹き飛んだ。

 彼らが槍を構えた先に佇んでいるのは、全身を布でぐるぐる巻きにした上から古びたフードを被る、いかにもな不審者。

 その特徴的な姿を目の当たりにして、すぐにピンときた。今年になってから街周辺の道で出没しているという、武器を脅し取る強盗だ。

 反対側から回り込んで門番の男に声をかけると、この場は任せて本邸へ報告に行ってくれと頼まれた。確かに、ここで無力な自分が加勢をするよりも、一刻も早く領主やキンケードたちに伝えるべきだろう。


 全身に冷や汗をかきながらすぐに馬を駆けて屋敷へ向かい、対応に出てきた従者たちへ事の次第を説明する。

 焦ってたどたどしくなった言葉を丁寧に聞いてくれた若い従者は、素早く他の使用人や上の立場の相手に伝達をしたようだ。にわかに慌ただしくなった周囲を守衛や侍女たちが行き交う。

 非常事態の知らせとその対応、もっとばたばたしてもおかしくないのに、誰もかれも足音は静かだし大声を出すような者もいない。さすが領主の屋敷で働く人間は違う、全員が速足でそれぞれの役割をこなすため淡々と準備を進めている。

 ロビーの隅でそれを呆然と眺めていると、いつの間にかそばに立っていた鎧姿の男に肩を叩かれた。


「よし、支度はいいか。行くぜ!」


「えっ?」


 驚いて顔を上げれば、その男の向こうには自警団の先輩たちが、自身の装備を確認しながら何か立ち話をしている。朝に荷馬車と共に領主邸へ向かった内のふたりだ。


「あの、副長は?」


「なんか今、裏庭にいるらしい。呼びに行ってるがまだしばらくかかるそうだから、俺たちで先に出るぞ。お前もついてこいナポル」


「わ、わかりました……!」



 ――そこで頷かなければ。

 どうせ足手まといにしかならないのだから、屋敷で大人しくしていれば良かった。


 避けきれなかった一撃が利き腕の肘を掠め、危うく剣を取り落としそうになる。

 痺れる、熱い、痛い。

 反対の手で何とか剣を構えるけれど、そもそも斬りかかる度胸はないし、防ぐにしても刀身で受けたら命はないのだ。形ばかり刃向かっている振りをしながら、相手の動きをよく見て避けるしかない。

 でも、痛い。斬られた右腕や、あちこち掠めた体中の傷に集中が削がれる。

 避けなくちゃと思うのに、体のほうは思うように動かない。

 苛立ちをぶつけるように振りかぶられ、空気を裂いて唸る巨大な剣を、絶望的な気分で見上げていた。


 ……あ、これ死ぬ。

 そんなことを冷静に考える頭に、蹄の音が割り込んでくる。

 死の淵で見る都合の良い夢みたいに。物語の英雄の登場シーンみたいに、その人は現れた。


「ふ、副長……っ!」


「遅れて悪ィな、ナポル、よく持たせた!」


 見上げた馬上には、自分が知る中で一番強い人がこちらを安心させるように笑っていた。

 野趣溢れる、頼もしい、いつもと変わらない笑顔。

 安堵から全身の力が抜けて、危うく剣を落としそうになる。眼球の奥が熱くなってうっかり泣きそうになるけれど、全力で堪えた。

 もう大丈夫だ。わかる範囲での状況を告げて、馬の手綱を受け取ってから邪魔にならないように後ろへ下がる。自分とは比べ物にならない大きな背中が、怪力の強盗犯へと向かっていった。


 自警団副長のキンケードは強い。力も技も、イバニェス領で最も強い男だと思っている。

 過去にキンケードよりも強かった人は、自警団にはもういない。彼に剣を教えたという壮年の団員は、三年前の領道の事故で亡くなってしまった。以降はその肩にかかる責任も仕事も、日々重みを増しているのが傍目にもよくわかる。元々自警団には、以前領主邸で起きたお家騒動のせいで、キンケードより年嵩の団員はほとんどいないのだ。

 彼はその力と人望、太い二本の腕で、コンティエラ一帯の治安と自警団を支えている。

 強い、とても強い人だ。一度負けた相手に、二度負けるような人じゃない。


 そこから始まった剣戟は、とても目の前で起きているとは思えない現実離れしたものだった。

 振り下ろされる剣が空気を斬り裂く鋭い音。

 刃が噛み合う、金属同士のぶつかる激しい音。

 それらを絶えず打ち鳴らしながら立ち回り、どんな重い一撃も切っ先へといなしてしまう。

 一体どれだけ体を鍛え、修練を積んだらあんな風に動くことができるのだろうか。呆然と見守る中、キンケードの持つ剣が角度を変えるたび銀色に煌めく。

 長く愛用していた剣が折られてしまったとかで、最近は昔使っていた剣を持つようになった。どこにでもあるような古びた剣のはずだが、いつの間にか妙に綺麗になっている。

 柄は年代物らしくくすんでいるのに、刀身だけが鏡のようにキラキラと輝いていた。刃こぼれどころか、傷も曇りもないように見える。一体どこの鍛冶屋で手入れしてもらったのだろう。

 綺麗なものほど脆そうなのに、その剣は剛腕から振るわれる大剣を受けてもびくともしない。

 よくよく観察していると、キンケードは決して鍔迫り合いをせず、受け止めた剣をすぐに別の方向へ流してかわしている。

 真っ向から受ければ、たとえ剣が無事でも衝撃の伝わった腕にダメージを負う。それを避けるためにああいう戦い方をしているのだろう。


 なるほど、と納得をしながら見守っているうちに、更におかしなことに気づく。

 そうして剣を流したり避けたりする間、何度も敵に隙ができているのに一度もキンケードからは斬り込んでいかないのだ。

 相手の降伏を待っているのか、それとも何か時間稼ぎをする理由でもあるのか。

 一際大きく振られた大剣。それをキンケードは危うげなくかわし、勢いづいた剣は地面へとめり込んだ。

 再びできた大きな隙、腹でも打って気絶させればそれで終わるのでは。

 そう思い、続くキンケードの動きに注視していたせいで気づくのが遅れた。

 一瞬動きを止めた強盗の向こう側から、倒れ伏していたはずの門番が鋭く槍を突き付けた。完全に隙を突いたはずのその攻撃を、強盗は布を掠めながらもとっさに体を捻ってかわす。

 攻撃後の硬直が次は門番のほうに訪れる。


「がぁぁぁァァァーッッッ!!」


 叫びと共に横薙ぎに振るわれた大剣。飛び込んでいったキンケードがそれを真っ向から受け止め、剣を構えたまま庇った門番ごと後ろへ倒れ込んだ。

 息を飲む。

 まずい、と思っても体はびくとも動かない。

 仰向けになったがら空きの胴体が、激高した強盗の眼前に晒される。

 そこへ大きく振りかぶられる大剣。避けられる体勢でもなく、受けることもできない。


「副長ーっ!」


 喉を絞って叫ぶ。動けない代わりに、少しでも自分へ注意が向けばいい。

 だがフードを被った頭はわずかもこちらを振り返ることがなく、何もできないまま鋼の塊がキンケードたちへと振り下ろされるのをただ見ていた。

 黒い制服と動きやすさ重視の革鎧、守るものはそれだけという体が両断される、その瞬間。


 キンケードが構えた剣から真昼の太陽のような光が発せられた。

 正確に剣が光ったのかもわからない、突然の強すぎる光に目を灼かれて何も見えない。

 だが、光を放ったその刹那、何もない空中で強盗の振り下ろした剣が弾かれたように見えたのは気のせいだろうか?

 手をかざし、痛む目を無理やり開けて半眼でのぞく。

 怯んだ体勢の強盗へ向け、キンケードは仰向けから起き上がっただけの体勢で剣を振り上げた。

 避けようとしても間に合わず、その切っ先が巻かれた布とフードを斬り裂く。

 ちぎれた布切れと鮮血が宙を舞った。


「っぐ、アァ……ッ!」


 よろけるように数歩退がり、手で押さえた布の中から鮮やかな色の髪がこぼれる。

 制御を失った剣は、その足元へ打ち下ろされた。飛び散る砂埃に目を眇めるキンケードの口元が動く。


「燃えるような色、……か?」


 思わず漏れたというような呟きが聞こえる。

 たしかに、燃える炎と言われればそんな色をしているが、たき火よりも夜に灯すランタンを思わせる赤毛だ。

 その場からさらに後ずさった強盗は、片手で顔を押さえながらキンケードを睨みつけ、呻く。


「その剣、何だ、金色の、……光?」


 押さえている指の間からぼたぼたと赤い血が流れる。

 顔か額、それから胸のあたりをだいぶ深く切ったのだろう。相当痛むはずだがそれに構う様子もなく、戦慄きながらキンケードへ向かって問いかける。


「貴様、その剣を、どこで手に入れた……?」


「さぁな」


「歳も背格好も違う……違う、その光る剣はお前のものじゃない、それを、貴様に渡した奴は、……赤い瞳をしているな?」


「さあなぁ」


 強盗のわけのわからない問いかけに答えながら、キンケードは視線を逸らさないままゆっくりと立ち上がった。口元に笑みを浮かべているくせに、鋭い眼光が殺意のようなものを湛えている。

 再び煌めく剣を構え、一歩距離を詰める。

 深手を負った相手をこれ以上痛めつける趣味はないはずだ。おそらく降参を促すか、気絶させて捕縛するつもりだろう。

 肩の力を抜きかけたその時、うつむいていた強盗は突如激昂し、叫んだ。


「見つけた、見つけた、やっと、見つけたぞ……っ!」


 傍目にも尋常でないことがわかる。ぶるぶると全身を震わせながら意味のわからないことをわめくが、キンケードはどこ吹く風とばかりに笑みを崩さない。

 声音からして、おそらく自分とそう年齢の変わらないであろう強盗は、少しずつ後退しながら尚も叫ぶ。


「……ここは、俺の負けだっ。だが、お前も、その剣も、それをお前に渡した奴も許さん、必ずまた来るぞ!」


「あぁ? ふざけんなよテメェ、タダで逃げようってのか、負けたんならその武器置いてけやコラッ!」


「ぐっ……」


 一対一で戦って、負けたら武器を寄越せという要求を押し付けてきた強盗だ。キンケードの言う通り、逆に負けたのだから手にする大剣を取り上げても非難されはしないだろう。

 その場で逡巡している様子の男へ向けて、キンケードは尚も言い募る。


「それと、来るならココじゃなく自警団の詰め所に来い。オレはコンティエラの街の自警団、副長のキンケードだ、覚えとけ。逃げも隠れもしねぇよ、再戦したきゃそっちに来い!」


「街、は……」


 何かを言いかけてから、歯噛みするように口を噤んで、持っていた剣を強く地面へ突き立てた。

 柄から手を離し、顔面を押さえたままじりじりと舗装された道の脇に移動する。


「キンケード、覚えたぞ……必ず、行く。必ずだ!」


 そう言い捨てると、体中から破けた布の端をひらめかせながら、男は脱兎のごとく逃げ出した。

 力が強いし素早いし、足も速い。あっという間にその背中は外門の方向、丘の向こうへ見えなくなってしまう。

 突っ立ったままぽかんと見送っていたが、我に返って馬の手綱を引きながらキンケードへと近寄る。


「副長、いいんですか追わなくて?」


「あー、転んだ時に足首やっちまってな。走れねぇし、馬に乗っても踏ん張れないから無理だな」


「えっ! 大丈夫ですか、すぐに手当て、」


「オレはいい。もっと他にやることあるだろ」


 キンケードが顔を向けた先には、起き上がった門番の男が立っていた。鎧のあちこちに土や草がついてすっかり汚れてしまっている。

 兜の中で口元をもごもごとさせてから、突然腰を半分に折るようにして頭を下げた。


「申し訳ない、余計なことをした」


「頭上げな、良かれと思ってやったんだろ、わかってる。とりあえずアンタもオレも領主邸を守るって役目は果たしたんだ、賊を取り逃したことを咎められやしねぇよ」


「だが……」


「門の控室に手当ての道具なんかは置いてるんだろ? ナポルもそっち行って倒れてる奴やアージたちを診てやれ。打ち所が悪くなけりゃ、たぶん誰も死んではいねぇと思うからよ」


 あーくたびれた、とぼやきながら剣を鞘へ戻すキンケードを前に、鎧の門番と顔を見合わせた。


「え、何で……」


「さっきもアイツ、振り下ろす剣を途中で止めようとしてたしな。今までだって死者は出してねぇだろ、何かこだわりでもあるんじゃねーか? とにかく、オレは屋敷へ報告に行って搬送の馬車とか呼んでくっから、門のほうは頼んだぜ」


「あ、はい!」


 痛めた足をかばう様子もなく、ひらりと馬へ飛び乗ったキンケードは手綱を握ってナポルを見下ろす。そして「よく頑張ったな」と小声で落とされた労いに、一度は引っ込めていた涙がぶわりと溢れる。

 手も肩も、体中どこもかしこも痛いし疲れたけれど、その全部が報われた気がした。

 手袋をしたままの手で顔をごしごし擦っていると、馬の向きを変えながらキンケードは門の方向を振り返る。


「そういや客人の馬車が来てるって話だったな?」


「はい、なんか真っ黒で馬にも飾りがついてて、あまり見たことのない高級そうな感じの馬車でしたよ」


「……黒い馬車。あー、バレンティン家の……そうか。うん、わかった、そっちは任せたぜナポル、頑張れよ、人生何事も経験だ!」


「え? はい」


 とりあえず返事をしてみたものの、何のことだろうかと首をかしげる。

 門番のほうを見てみると、頭痛をこらえるように兜の上から額を押さえていた。言葉の意味が分かっている様子だが、客人の馬車がどうかしたのだろうか。

 わけが分からないという顔のナポルと門番、それと足しにもならない激励を残し、キンケードは片足で馬を鼓舞して逃げるようにその場を走り去っていった。


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