第95話 襲撃②
エーヴィの姿が見えなくなるのを確認し、さらにそのまましばらく鼓動が落ち着くのを待ってからゆっくりと立ち上がった。
カステルヘルミの手に支えられながら自分の足で立つ。呼吸は落ち着いているし、貧血らしき目眩も幾分おさまってきた。眼球の奥がまだ少し痛むが、急に動いたりものを凝視しなければ大丈夫だろう。
「しゅ、襲撃って、あの……お嬢様、もしかして何かお心当たりがありますの?」
「ああ。正直、心当たりがありすぎて頭が痛い」
もし襲ってきているのがあの男でなかったとしても、他の可能性はいくらでもある。
三年前に領道でファラムンドの暗殺を企てた者が強行手段に出たのかもしれないし、自分の行いがこちらにバレたと勘付いたアイゼンが襲撃の手配をしたのかもしれない。もしくは、全くの別口で領主邸を襲おうなんて考える賊や侵略者がいる可能性だって有り得る。
何にせよ、表門を強引に突破しての領主邸襲撃だ。このイバニェス家か、ここにいる誰かに対し害意があると見て間違いない。
とにかく、冷静さが戻ったのならやるべきことをやらねば。
カステルヘルミを伴い、再び青々と茂ったクチナシの木のそばまで戻る。
「まだ、準備は何もかもこれからだという所なのに……いや、間に合わなかったことを嘆くより、今できる最善を尽くそう」
<私もお手伝いをさせて頂きます。まずは何から着手なさいますか?>
「うん……、できれば先に襲撃者の正体をはっきりさせたい所だが、そこに力を割くのはやめておこう」
いかんせん、この屋敷の前庭は広すぎる。
アルトの探査能力を向上させたところで、位置の特定をするにも時間がかかるだろう。こうしている間にも屋敷に危険が迫っているかもしない上に、余力があまりないことを考えると優先順位が下がる。
「予測のつかない事態というのは、常に最悪を想定するべきだ。
<……つまり、リリアーナ様の居場所が知られた時点でもう後がないと>
その時はまたその時になってから考えよう。後のことを心配して初手を仕損じるわけにはいかない。
それに、別口の襲撃者であれば無用の心配だ。相手があの男でさえなければキンケードが食い止めてくれるだろうし、もし屋敷に向って飛び道具や魔法を使われたとしても、先に防壁を張っておけば安心できる。
相手が気になるからと索敵に力を使いすぎて、満足な防壁が展開できなくなればそれこそ本末転倒だ。雑念は隅に置いて、まず防御に専念するべきだろう。
――そもそもあの熱線の魔法は、もし自分が扱ったとしても相当制御の難しい代物だ。発動にも準備を要するし、制御の間は身を守る余裕もないから、本来であれば一対一で戦う最中に持ち出すようなものでもない。
ただし、撃つことさえできれば確実に大ダメージが入る。ほとんどの防御は貫通するし、反射を試しても鏡ごと溶かされた。『魔王』の腕をたやすく切断する貫通力は、横薙ぎにすれば数千の雑兵を一度に屠ることもできるだろう。
「……っ」
侍女たちを無慈悲に切断した光、赤い光景を思い出しそうになって頭を振る。
凄惨な情景は未だ脳裏に焼き付いて消えないが、あくまで夢は夢。あの男に対する潜在的な恐怖感が反映されただけであって、本物のほうは無暗に民間人を殺害するような真似はしないはず。
ヒトの味方、聖王国の守護者、悪しきを滅し正義を遂行する
<では、お屋敷の前面へ一時的な防壁を展開。精細な座標と範囲はサポートさせて頂きます>
「あぁ、うん。頼む」
思考を切り替え、自分の『領地』と化した一帯へ向き直る。
つい今しがた助力を得たばかりだから、まだ葉の上などにちらほらと燐光が漂っている。
「働かせてばかりですまないが、もう少し力を貸してくれ」
金色の粒に焦点を合わせてそう声をかけると、姿なき汎精霊たちはまるで返事をするようにくるくると舞い踊った。
ここではあまり構成の実験など珍しいものを見せてやることはできないが、聖句でも喜ぶようだから今後も労い代わりに聴かせてやろう。クチナシへの水やりとそう大差ない。
<屋敷の前面とは言っても、あまりお体に負担がかかっては事です。効果範囲はご家族がおられる居住棟と執務室の辺りに絞りましょう>
「そう、だな……。今は使用人たちもそこに集まっているだろうし、範囲を絞っても問題はないだろう」
<精霊たちの補助で十分回せるように、なるべくシンプルな構成をお描きください。ご不満はあるでしょうがどうかお体を優先で>
「ん、わかっているさ。万が一襲撃者があの男だった場合、出力の足しにと円柱陣でも描いてしまえば、標的はここいいますと大声で叫んでいるようなも、の……」
自分で発した言葉に、はたと気づいて固まった。
不自然に動作を止めたこちらをカステルヘルミが気遣わしげに見るが、大丈夫だと声をかける余裕もない。
今頃になって、あることに気づいてしまった。
むしろなぜ今まで気に留めなかったのか。緊急時だったあの場での判断は仕方なかったとしても、この三年間で一度もその可能性を考えなかった自分の迂闊さに思わず頭を押さえる。
<リリアーナ様?>
「……三年前の領道でのアレを、どこか遠くから、視られていたということは、ないかな?」
<ア゛……>
アルトが濁った思念波を出して絶句する。
自身で気づけなかったことではあるが、アルトのほうも見落としていたらしい。
これで、つい先ほど頭の中を駆け巡った「なぜここがわかった」という問いの答えが出てしまった。
空高く大気圏を貫く光の柱だ、自分と同程度の精霊眼を持つ者ならば、どれだけ離れていても開けた場所にいれば視認することができただろう。詳細な位置までわからなくても、方角と大まかな距離さえ測れればどうとでもなる。
三年前のあの場所で何があったのか、調べることのできる伝手さえあれば、イバニェス家の関係者か自警団員が何かしたのだとすぐにわかる。
そして、知り得る範囲でこの眼を持っているのは自分だけ。赤い精霊眼を持って生まれた娘。余人には知れないことでも、予備知識のある者が探れば手がかりはいくらでも出てくるに違いない。
よろめく上体をカステルヘルミが支えてくれた。それに甘えて、立ったまま少しだけ体重を預ける。
アルトの念話は届いているのだろうが、話している内容も、こちらの様子がおかしい理由もさっぱりわからないに違いない。
「すまないが、このまましばらく支えていてくれるか?」
「え、ええ! これくらいでしたらいくらでも、お任せくださいな!」
「……はぁ。反省点は膨大だが、過ぎてしまったことは仕方ない。その件は一旦置いておいて、今やるべきことに注力しよう」
描き込む効果が絞られているだけに、もう頭の中に構成は出来上がっている。あとは手伝ってくれる精霊たちを集め、アルトの補佐を借りながら描き上げるだけだ。
「お嬢様、お加減が悪いのでしたら、ご無理はなさらないでくださいな。その、防壁を張る……とかいうのも、ずいぶんと大変なのでしょう?」
<リリアーナ様……>
「わかっている、構成を描いてどれだけ消耗するかは把握したし、もう無茶はしないさ。防壁を張り終えたところで気絶でもしたら、また皆に心配をかけてしまうからな」
<そもそも、今日は剣の強化のみでもう構成を扱うおつもりはなかったのでしょう。余力を残されていない状態でこれ以上はやはり……>
気遣ってくれるカステルヘルミとアルトへ大丈夫だと返しながら、視界が白くぼやける目を押さえた。
まだ少しくらくらとする、目眩と頭痛は立ちくらみなどで覚えのあるものだ。
以前は全く知らなかった現象だが、ヒトの体は何かと脆弱でかなわない。腹は減るし、風邪をひくし、疲れるし、貧血に頭痛に……
「あ、そうか」
この目眩やふらつきは、あの男の襲撃にショックを受けたせいではなく、剣の強化に力を使いすぎた疲労によるものか。二重の構成陣を試してみたけれど、想定以上に疲弊してしまった。……ただ疲れているだけ。
赤い男なんて怖くない、熱光線の悪夢にいつまでも怯えてどうする。あれは、ただの夢だ。
「そうだ、そうだ。うん、わたしが奴なんかを恐れるわけがないな、うんうん、そうだった。全然怖くなんてないぞ、あんな男ぜんっぜん怖くない!」
「お嬢様……?」
「よし、大丈夫だ! ちょっと疲れているくらい何でもない、頑張って防壁を張ろう!」
途端にふにゃふにゃだった両足へ力が入る。たしかに消耗はしているが、気力さえ回復すればどうということはない。
あとはアルトの言う通り、なるべく精霊たちの力を借りて構成を回すとしよう。
体を支えてくれているカステルヘルミの手を取り、間近にあるその顔を見上げる。
「悪いが、ついでに少しばかり手伝ってもらえるか?」
「も、もちろんですわ! 大してお役に立てないかもしれませんが、わたくしにできることがありましたら何でも仰ってくださいまし!」
「何でも……、いや、うん」
生命力を吸い取って糧にするとか、傀儡と化して構成を扱わせるだとかいう外法がほんの少し頭を掠めたけれど、その真摯な眼差しを前に霧散する。そんなこと最初から考慮の内に入れてはいないし、他に手段がないという状況になったとしても別の手を探すだろう。
肩に置かれた白い手を握り、共にクチナシの木の間を見据える。
「このままわたしの体を支えていてくれ。それから、聖句だ。先ほどのあれも悪くなかった、次はわたしが唱えるものに重ねてくれ。多少、発音が異なるかもしれないが、気にしないでいい」
カステルヘルミがうなずく気配を頭のすぐ横に感じながら、ポケットの上からアルトを撫でる。
「ではアルト、補佐は頼んだぞ」
<お任せくださいー!>
頼もしいふたりの助けをあてにして、自分の力で皆を守る。
気力を絞り、だるい体を叱咤しながらリリアーナは『領地』に向かい両手を掲げた。
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