第82話 足で捜査する


 こつこつ、カツカツと、良く磨かれた床を三人分の足音が進む。

 相変わらずどこに行ってもイバニェス邸の内部は似たような造りをしており、普段足を踏み入れない階などは、こうして先導されていなければ今自分がどこにいるのかすぐにわからなくなる。

 自室のある居住棟とその下の食堂、渡り廊下や階段を経由して行ける書斎、執務室のあたりは頻繁に行き来しているため目印がなくとも迷わないが、それ以外の場所は用がなければあまり近寄らない。

 アルトを伴ってさえいればどこを歩いても迷う心配はないけれど、八歳の子どもがひとりで関係のない棟をふらふらしていては不自然だろうし、きっと傍目には迷子に見えることだろう。

 先導していた侍女のエーヴィがひとつの扉の前で立ち止まり、振り返った。


「こちらから先のお部屋は、全て倉庫として利用されております」


「えっ、この廊下の先まで、全部ですのっ?」


「はい。この階は主に調度品の類が納められており、下の階には装飾品など高価なお品が。そちらは常に警備の者がついておりますし、お客様が立ち入られるのは難しいかと」


「ほぇ……。あ、いえ、下の階は結構ですわ、近寄るつもりもございませんし」


 怯んだように一歩退がるカステルヘルミ。

 三人が立っている廊下の先、いくつも並ぶ部屋の全てが調度品の物置きとなっていることはリリアーナも初耳だった。倉庫などにまとめて積んでおくよりも、本来あるべき形で置いたままのほうが管理や手入れがしやすいという判断なのだろうか。

 領主ともなれば、方々からの献上品や贈り物などもかさむ。それが長年代々続いているのなら相当な数になるはずだ。

 魔王城のように、頓着せず放置するような不精なことはしない、それでいてインベントリへ適当に放り込んでおくこともできない。屋敷に溜まる一方の品々を管理、保管するのも大変だろう。


「使わないものは処分するなり、売却するなりして減らさないのか?」


「贈られた物が市井へ流れると様々な問題がございます。同様に、軽々な処分をしてしまうと、後から所在を問われたり話題にされたりした際、旦那様が大変困ることになります。そういった事情から、いくらお品がかさんでしまっても処分は困難なのです」


「なるほど……。領主の代が変わっても、その物がここにあるという記録が残っている限り、ある物として扱わないといけないのか」


 リリアーナのふとした疑問にもすらすらと答えが返ってくる。

 新たにお付きの侍女へ加わったエーヴィは新入りというわけでもなく、この屋敷に勤めて四年ほど経っているらしい。中肉中背であまり特徴のない顔立ちをした年若い侍女だ。

 その仕事振りはすでに先輩であるフェリバを凌駕し、トマサとエーヴィがいれば自分は要らないのではと、そそっかしい先輩は情けない顔で嘆いている。そんなことはないと慰めておいたが、仕事の手際に関してはその通りなのであまり深くは言及できない。

 フェリバにはフェリバだけが持つ良さがあり、それは他の誰にも決して代替できるものではないのだが。


「ええと、こちらの階のことは良くわかりましたわ、ありがとうございます」


「上の階へも参りますか? そちらは古いお召し物を集めて、お部屋が丸々クローゼットとなっております。貴重なものもございますので、中へ入ってご覧頂くことはできませんが」


「そ、そうですわねぇ……」


 ちらりと、カステルヘルミがこちらへ視線を寄越す。それにうなずきを返すと、侍女へ向き直って「よろしくお願いしますわ」と微笑んだ。


<……こちらの階にもそれらしい気配はありません。あ、ふたつ先の部屋にはネズミが巣食ってますね>


 使っていないとはいえ、貴重な調度品をかじられるわけにはいかない。後で誰かにそれとなく伝えておこう。

 すでに何度も繰り返したその報告を終えると、ポケットの中でアルトは小さく身じろぎをした。


<申し訳ありません……私の探査範囲がもっと広ければ、リリアーナ様へこんなご足労をおかけする必要もありませんでしたのに>


 現在、アルトの探査能力は部屋ひとつ分と少しといった辺りだ。だがその精度を落として目的を絞れば、同じ階の部屋をざっと調べることくらいは可能だと言う。

 その力を使って最近は出歩くたびに捜索をさせているのだが、結果は芳しくない。やはりもうこの屋敷の中にはいないのではないだろうか。

 廊下の天井を睨みつけ、リリアーナは小さく嘆息を落とした。


 しばらく前に、リリアーナの部屋の天井裏を駆け回って騒がせた謎の生物。おそらく鳥類の魔物だと思われるそれは、未だにその足跡も所在も明らかになっていない。

 自分が設置した引き出しの座標が何らかの関与をしている(……と思われる)以上、自分で解決するべきだと捜索に精を出しているわけだが、一体どこへ行ってしまったのやら。

 関与しているとはいっても、やはり魔物の卵になんて心当たりはまるでない。収蔵空間へ生物を入れることはできないはずだし、異層への穴と魔物の卵が一体どう関っているというのか。

 ポケットの上から軽く叩いてアルトを労う。

 もういないものを「ない」と証明するのは難しい。この先も同じように探索をしてみて、それでも見つからなければある程度のところで見切りをつけても良いだろう。


 エーヴィを先頭に進んできた廊下を戻る三人。捜索に協力をさせているカステルヘルミが、いつまでこれを続けるのだという視線を向けてくる。

 廊下をある程度歩いて、階の中程まで行ければリリアーナのほうは探査の目的を達せられるが、部屋の中を見せてもらえないカステルヘルミは退屈なのだろう。

 しばらく滞在することになる新任教師への案内という名目で、空き時間を見繕ってエーヴィに先導させている。彼女にも他の仕事があるはずだ。この倉庫代わりに使われている棟の確認ができたことだし、今日のところはもう終えてもいいかもしれない。


 そうして上がった次の階にも、やはり魔物の気配は見つけられなかった。

 収められている衣類の解説を行うエーヴィに、今度はカステルヘルミが興味津々といった様子で耳を傾ける。

 今日は裏庭へ出ないということもあって、初日のようにごてごてとした衣服を纏っている彼女は、自身を着飾るのが好きなのだろう。

 興味のある話を聞けるなら多少は褒美代わりにもなるだろう。リリアーナは窓際まで下がって、手持ち無沙汰に外を見る。


「……!」


 何とはなしに視線を下ろした先は屋敷の中庭だ。薄曇りの中で露光る木々の隙間に、灰色の頭を見つけた。

 噴水のそばでじっと佇んでいる黒衣の男、彩度の低い髪に、左手へ携えた杖。やや離れてはいても、それだけ特徴が揃えば間違いない。あれは侍従長だろう。

 アーロンと話でもしているのかと思ったが、付近にそれらしい人影は見あたらない。日中のおそらく忙しいであろう時間帯、あの男がひとりで中庭にいるとは珍しい。


「エーヴィ、案内ご苦労だった。わたしはちょっと中庭にいるから、カステルヘルミ先生への説明が終わったら迎えに来てくれ」


「中庭へ向かわれるのでしたらご一緒いたしますが?」


「いや、先生はずいぶんと贈られた衣類に興味があるようだ、きちんと満足するまで解説をしてやってくれ。その間にわたしは散歩をしているから、しばらく後でも構わない」


「かしこまりました」


 形通りの礼をする侍女の横で、カステルヘルミは両手を握って目を輝かせている。「ありがとうございますっ、あとできましたらお部屋の中も見たいですわ!」とその顔に書かれているが、エーヴィが中に入れることはできないとはっきり言った以上、リリアーナが命じてもそれは難しいだろう。

 首を振って見せると、しょげた様子で肩を落とす。

 でもいつかは見られるかもしれない、それどころか収められた衣服の持ち主の妻になるかもしれないのだから、そうなったら見るのも試着も自由自在! ――とでも考えたのだろう、すぐに気を取り直したようで顔を上げ、エーヴィにあれこれと質問を始めた。

 ……カステルヘルミとの意志疎通には、会話も念話もいらないかもしれない。


 頬を紅潮させて婦人用の衣服について訊ねる教師と、職務を全うすべく淡々とそれに答える侍女。ふたりをその場に残し、リリアーナは上がってきたばかりの階段へと踵を返した。

 普段使われていない物品の収蔵棟だけあって、ここへ来るまで他の使用人と行き交うこともなかった。ふたつ下の階は警備が立っているそうだが、そちらに用はない。

 リリアーナは転ばないように注意しながら早足で階段を駆け下りる。


「天井裏で見つかった羽根の鑑定結果と、あと栞の出所の調査。あれがどうなったか聞いておきたいからな、……まだ中庭に居てくれると良いのだが」


<ヒトの鑑定士などに任せず、私に見せてもらえば一発だったかもしれませんのに。まったく。んもう。あの眼鏡め>


「眼鏡をかけた使用人ならカミロの他にもいるだろう。どうしたんだ、お前は奴ばかり目の敵にしているようだが」


<その、虫が好かないと言いますか、気に食わないと申しますか、性に合わないというか何というか全てが腹立たしく……そう、不倶戴天の敵というやつであります!>


「……?」


 何をそこまで嫌うのかはわからないが、とにかく気に入らないのだということは伝わってきた。

 侍従長は常日頃から何かとリリアーナを気遣ってくれている。そんなに機嫌を損ねるような行動や言動は今まで見られなかったし、一体彼のどこが気に食わないというのか。

 まぁ、今後もアルトとカミロが直接話をしたり、接したりするような機会はないのだから、好みに合わないと言うならそれでも構わない。


 むしろアルト――アルトバンデゥスが、自身の抱く好悪をはっきりと発言するようになったことが、リリアーナは喜ばしかった。

 本体の杖から分離して以降、口調だけではなくその精神にもどこかゆとりが出てきているようだ。心の水かさ、変化の幅、……それは成長と言い換えても良いかもしれない。

 階段を下りきり、ポケットの上からぬいぐるみをそっと撫でる。


「……さて、方向がよくわからなくなってしまった。中庭までの案内は任せたぞ、アルト」


<はい、お任せをー!>


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