第80話 リリアーナ師匠の魔法講座①
翌日の昼食後、リリアーナは再び自分の部屋でカステルヘルミを迎えた。
育ちすぎた広葉樹のような髪は昨日よりも幾分しなびて見えるが、思っていたよりも顔色は良い。挨拶の声音もはっきりしており、表情の明るさは何色も重ねた化粧のせいだけではないようだ。
神経の細い女性であれば、パストディーアーと直面したショックで教師を辞めるとも言い出しかねない。その点では度胸があるというか、心根の太い女性のようで安心した。
簡単に職を辞されては昨晩練った計画も水の泡だし、ファラムンドたちには再度別の教師を探すという手間をかけることになってしまう。もう魔法の授業は必要ないとリリアーナが言ったところで、娘に気を遣わせてしまったと変に受け取られかねない。
これ以上の面倒をかけないためにも、カステルヘルミには折れず挫けず教師を続けてもらわなければ。
「お嬢様、昨日は申し訳ありませんでした。長旅の疲れが出たようで、わたくしとしたことが幻覚を見て気を失ってしまうだなんて……お恥ずかしい」
「そうきたか」
「お持ちした教本は、あのお部屋へ置いたままでしたわね? 今日は、まずあのご本を一緒に読んで、魔法がどういうものなのかお勉強いたしましょう!」
そう言って両手を合わせ、笑顔と一緒にかたむける。
どうやら心の安寧を保つために、昨日目にしたものは全て、疲れの生み出した幻覚だったということにしたようだ。精神の自浄作用としてはなかなかのものを持っている。図太い。
とはいえこれから先、色んなことを飲み込んでもらう必要があるのだ。耐久性に優れているに越したことはない。
そのまま足取りも軽く隣の授業部屋へと向かったカステルヘルミは、扉を開けた先で机に腰掛け「ハァイ!」と手を振っているパストディーアーを目の当たりにし、その場で硬直した。
「こらっ、机の上に座るな」
『いやぁん、リリィちゃんが「こらっ」だって、かっわいい~!』
「茶化すな。たとえ尻が触れていなくてもわたしの気分が悪い、邪魔だから隅に行っていろ。しっしっ」
『そこらの猫とか犬みたいな扱いねぇ、……まぁいいんだけど』
そんな他愛のないやり取りをする間も、カステルヘルミには再起動の気配がない。
何か気付けが必要だろうか。目を見開いたまま固まっている顔のすぐ目の前に、昨日見せられた倍くらいの光球を出してやった。
「おっひゃぁぁー!?」
「しっかりしろ、授業の時間は限られているんだ。これが終わったら書斎へ行くのだから、延長になったら承知しないぞ」
いつも通り自分の椅子に腰掛け、対面の机を指して促す。
パストディーアーがふわりと浮いて去ったその机から、女魔法師は恐る恐るといった様子で椅子を引いて着席した。そして背筋を正し、半解凍の笑顔を浮かべる。
無駄に騒ぐことなく反抗も見せず、素直で大変よろしい。
リリアーナはカステルヘルミに対する評価をほんの指先ほど上げておいた。
そもそも、妙な魔法の扱い方を流布している聖堂が悪いのであって、それを真に受けて覚えてしまった彼女は、ある意味では被害者とも言える。
教える立場にいる者が間違ったことを覚えているのだから、それを正すきっかけでもない限り、聖王国内ではこれからも無駄な詠唱と適当な構成による魔法が蔓延するだろう。
それでリリアーナが何か困るということはないが、どこか他の場所で魔法の授業を受けているであろう、見知らぬ子どもや若者たちが哀れでならない。
「面倒な前置きはなしだ。お前には現状を正しく認識してもらって、その上で真っ当な魔法師になってもらう必要がある」
「え、え、え……?」
瞬きをするだけで粉が飛び散りそうなほど色濃く塗られた睫毛が上下する。ぱちぱちと目を瞬かせているカステルヘルミは、こちらが何を言っているのかあまり良く理解できていないようだ。
口で説明するよりも、ここは何か見せたほうが手っ取り早いだろう。リリアーナは指先を浮かせてくるりと円を描く。
対面に座った魔法師との間、一瞬にして何もなかった空中へ十二の光球が出現した。
円を描く形で並び、目の前に停止した光の粒。昨日カステルヘルミが出したものと同じくらいに調整したが、思いのほか眩しかったのでもう少し光量を落としておく。
何年にも渡って収蔵空間への接続を維持していた副産物として、体は未だ幼くとも、これくらいの構成なら簡単に描けるようになっていた。まさに怪我の功名、どんな苦労にも無駄なんてないのだ。
「ヒェ……」
「魔法とは唱えるものではなく、構成を描くものだ。お前が昨日、むにゃむにゃ唱えていた魔法の詠唱とやらが、全く無用のものだということは理解できたな?」
『むにゃむにゃだって~、リリィちゃんかっわいー!』
「うるさいぞ。邪魔をするなら消えていろ、パストディーアー」
羽虫を払うように手を振ってから魔法師へと向き直る。
カステルヘルミはぽかんと口を大きく開けて、浮かんだ光球の群れを見上げていた。その顔を見るにもやはり眩しいので、用の済んだ光は消しておく。
「魔法と呼ばれている現象を引き起こすのは、大陸共通言語による詠唱などではない。精霊眼を持った者だけが扱える構成、これを描くことによって様々な効果を実現するんだ。……大気中の汎精霊たちがな」
「こ、構成?」
「お前が光を出す時だって、両手の間に描いていただろう? いびつでとても見られたものではないが、あれでも一応の効果は発揮している。精霊眼の質も良さそうだし、ちゃんと正しい訓練をすれば、お前もいっぱしの魔法師になれるだろう」
「いえ、わたくし、もう認定証持ちの魔法師なのですが……」
口の中で反論らしきものを呟いてみるが、教え子であるはずの少女にはっきりと実力の違いを見せられた直後である。それを堂々と言いきれるほど、カステルヘルミは厚顔無恥でもなかった。
目の前の麗しい少女も、視界の端に見える金色の美丈夫も、耳に流れ込む話も目にするものも、何もかもが夢でも見ているみたいだ。
カステルヘルミはくらくらする頭を押さえながら、意味のわからなかった単語を問い返す。
「お嬢様……、その、精霊眼というのは何ですの? 初めて聞きましたわ」
「そんなことまで失伝しているのか、こちらでは。……昨日お前が言っていた、精霊に選ばれた一部の者というのに該当する、先天的に魔法を扱える存在がある。生まれながらに精霊を視ることのできる瞳を持っているかどうか、魔法の才はそこで決まる」
リリアーナは自分の目を指さしそう答えるも、聞いているカステルヘルミの反応は芳しくない。これも自身で見たほうがわかりやすいだろう。
アルトを入れているのとは反対のポケットに用意してきた手鏡を取り出し、向かいの机に置いた。
手のひらくらいの大きさで、部屋の鏡台と揃いのものだ。細やかな銀細工が美しいけれど、鏡の要る支度は全て侍女任せなので、普段はあまり使い道がない。
「光では見えなくなるから、もっと他の……そうだな、風を起こすことはできるか? 弱い風で構わない。この鏡で自分の目を見ながら、魔法を使ってみろ」
「ええと、あの、詠唱はしても……よろしいのかしら?」
「ああ。変な覚え方をしていても、その詠唱とやらが
絵描き歌、というものを聞いたことがある。絵の手順を歌詞にして、それを口ずさみながら絵を描くという、
カステルヘルミの場合は詠唱自体に意味がなくとも、それを口にしている間はこの構成を描く、というように紐付けて体が覚えているのだろう。
歌詞のように覚えさせるのであれば、
「風、ええ、風ですわね……。わかりました」
手鏡を構え、それを覗き込みながらカステルヘルミは呼吸を整える。
「聖なるもの、あまねく在りし精霊たちよ、我が祈りに耳を傾け、ここに微風の奇蹟をもたらさん。――風よ!」
手鏡を持つのとは反対の手、その親指と人差し指で丸を作りながら、昨日とは若干異なる言葉を口ずさむ。
微風と言えば微かな風が吹く……というわけでもなく、文言は自分への暗示に近いものだろう。指で作った丸の中に、小さな構成が描かれている。これはこれで器用なものだ。
「へぁぁっ、なん、何……光って、わたくしの、め、目が光ってますわーっ?」
「ああ、うん。お前は反応がおもしろいなぁ。虹色に光っているのは目ではなく、虹彩に刻まれた紋様だ。瞳孔を通して精霊たちのいる異層へ視覚情報を送っているわけだが――その目を、古来より精霊眼と呼んでいる」
「ええええぇぇ、……そんなこと、初めて聞きましたわ。本当ですの?」
「わたしの言うことを疑うのか?」
半眼でそう問えば、カステルヘルミはこんもりとした髪を乱しながら頭を左右に振った。
全ての真実をつまびらかにすることはないが、かといって嘘を教えるつもりもない。当面はこちらの言うことを何でも鵜呑みにするよう習慣付けていこう。
中央で覚えさせられた邪魔な知識を上塗りして、まともな構成が扱えるようになるまで脳と体へ教え込まなくてはならない。多少覚えが悪くとも、繰り返し反復練習をさせ続ければ何でも染みつくだろう。
自分の教師としてふさわしい魔法師になるよう、すくすくと育ってもらわなくては。
「まずは、詠唱とやらを抜くところからだな。半端でも構成を扱えるのは良いとして、唱える習慣が邪魔だ。いっそ記憶を全部なくしたほうが新しいことを覚えやすいとか……?」
「あ、あの、お嬢様はどこでそんなことを覚えたのです? わたくし、魔法を教える家庭教師として招かれたはずなのですが……、もしかして、わたくしや師匠よりも詳しいのではなくて?」
腕を組んで今後の教育方針について思い巡らせていると、カステルヘルミは机に身を乗り出しそう訊ねてきた。
自分の常識と、これまで蓄積してきた知識を真っ向から否定されても怯まない。立場を邪険にされても落ち着きを保ち、わからないことを愚直に知ろうとするその姿勢は評価に値する。
「……ふむ。どこで知ったかは答えられないが、そうだな、お前は教師として雇われたものの、わたしへ教導するには及ばない。知識も技術も足りない、それはわかるな?」
「はい……。自信も現実も何もかもが木っ端微塵ですわ」
「現実は壊すでない。ともかく、魔法師として一人前になるまでは魔法について色々と教えてやる。そのタフな精神は中々気に入った、お前をわたしの弟子にしてやろう」
「弟子……」
かつては誰かひとりに肩入れすると他がうるさかったので、特に弟子や教え子なんてものを持つことはなかったが、ヒトの身となった今なら問題はないはずだ。
この手で立派に育て上げ、父やカミロが用意した教師としてふさわしい魔法師にしてやろう。
「そういうわけだから、この屋敷での滞在中、授業の時間はわたしが直々に魔法を教えてやる。次回は裏庭へ出るから動きやすい服装で来るように」
「わたくし、魔法の先生……」
「ああそうだとも、カステルヘルミ
「うぅぅぅぅ……、これも夢のため玉の輿のため領主婦人の座を射止めるためですわ、わたくし耐えます、がんばります……ファラムンド様、どうか見ていてくださいまし……っ!」
両手を固く握りしめ、悲痛な表情でそんなことを漏らす。
ファラムンドの後妻になりたいという話は、どうやら本気だったらしい。別に反対や邪魔をするつもりはないので、本人のやる気に繋がるのならこちらも温かく見ていてやろう。
色味の多い化粧に、緑や青に染まった綿のような髪、全体的に装飾過多な服装などはキヴィランタの奥地に生息する極彩鳥を思わせる。
一方、仕立ての良い服を着ていても、ファラムンドはいつもすっきりとした出で立ちをしている。ふたりが並んでもあまり似合いには見えないが、好みは人それぞれ。もしかしたら父の目に止まって、後添えに収まるということもあるかもしれない。
……たぶん、ないだろうけれど。
何にせよ、気概と意欲に溢れているのは良いことだ。
新たに得た弟子のために、リリアーナは頭の中で十年単位の綿密な教育計画を練り始めた。
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