第33話 馬車の行商人


「よーし、これで買い物は終わりだな、もう戻るか?」


「できれば領民たちが売買している様子をもう少し観察したい。物価を見るなら食料や生活必需品のほうがいいな」


「食いモンか。よっしゃ、それならこっちだぜ」


「……それと、いつまでこの格好でいるつもりだ?」


 会話をしながら歩く足取りも陽気なキンケードは、店を出てからもずっと片腕にリリアーナを抱き上げたままでいた。安定感はあるし臭くもないのだが、もう店内を見渡すという用は済んだのだからそろそろ下りても良いのでは。

 そう思い指摘をしてみても、下ろす気はないのかその足は止まることなく大股で通りを進んで行く。


「この方が楽だろ、歩くのも早ぇし、はぐれる心配もねぇ。それに買い物の様子を見学すんなら、こっちのほうが良く見えるんじゃねぇか?」


「む。それはたしかに。視点は高いほうが見えやすいな」


「リリアーナ様に失礼があれば承知しませんよ、心して務めなさい」


 すぐ後ろをついてくるトマサの言葉に「こえーこえー」なんてうそぶきながら、キンケードはずんずんと街の中を歩いていく。踏み出す一歩がリリアーナの倍以上もあるのだから、速度がまるで違う。

 人にぶつかる心配も要らないし、むしろ相手の方が避けていく。それが幼い子どもを抱いているためか、キンケードの人相の悪さによるものかは定かではない。

 トマサはきちんとついてこられているかとたまに振り返ってみると、こちらも長身であるし健脚なようで問題なさそうだ。むしろ足の遅いリリアーナに合わせる必要がなくなり、人混みの中で歩みを進めるのは楽になったことだろう。自分も楽だし、まぁ良いかと納得した。



「キンケード、さっき通ったところが風車通りなのか? 風車らしきものは特に目に入らなかったが」


「あー、南の大通りに面したとこに、風車みてーな飾りのついた建物があんだよ。通りのちゃんとした名前ってワケでもなく、まぁ通称だな、街の奴らが勝手にそう呼んでるだけだ」


「では赤煉瓦通りというのも?」


「おう。東の大通り側にでけぇ煉瓦の倉庫がある道だ。この街のことはもう誰かに聞いてるか?」


 キンケードの問いに首を横へ振る。街へ下りることが決まってから、フェリバにそれとなく街の造りなどを訊ねてみたことはあるのだが、とても広いだとか、おいしいものがたくさんある、と上手くはぐらかされてしまった。

 おそらく、行動に制限のある内から変に街へ興味を持ってしまうことを避けたのだろう。気になることが生じれば追求しなくては気が済まない、リリアーナの性質をよく理解している。

 そういった事情もあり、外出当日となってもコンティエラの街のことはほとんど知らないままだ。


「イバニェス家の別邸があることも知らなかった。てっきり街のうまやにでも預けるのかと思っていたが、最初から別邸に寄るつもりだったのか?」


「はっは、あれはオレの機転ってヤツよ。ホントは自警団の詰め所に馬を預ける予定だったんだがな、あっちの方がいいだろって思って変更した」


「なぜ、そんな勝手なことを……!」


 軽い調子でそう答えたキンケードに、背後を大人しくついてきていたトマサが息巻く。厚い肩越しに振り返ってみると、いつも厳しく叱咤を飛ばしている時とは違い、苦しげに眉をしかめていた。


「いーんだよ、嬢ちゃんは気にすんな。アレは大人げないことで怒ってるだけだから、放っときゃ秒でおさまる。別邸に寄ることはカミロも承知してるぜ」


「……うちの侍女のことを分かった風に語られるのも、何だか腹立たしいな」


 唇をとがらせてトマサの代わりに不服を表明すると、髭面はおかしそうに笑い飛ばした。


「まぁそんな訳でだ、えーとどこまで話したっけ、道の話か。この街は聖堂がある中央通りと、それに交差する縦の道で、東西南北に四つの大通りがあるんだけどよ。店はその南西側に多いな」


「となると、他は住居などが占めているのか?」


「ああ、だいたいみんな住んでるのは東側だ。北は今ちょいと雰囲気よくねーから、今日は寄らねぇぞ」


 雰囲気と言うが、街の造りの話で何となく理解できてしまった。別邸を出た時にキンケードが言っていた「中央通りから北には行かない」というのは、聖堂に近づかないという意味も含んでいたのだろう。誰の指示かは今さら考えまい。

 聖堂を中心に、十字に伸びる大通り。左下には商店が多く、住人の多くは右側に住んでいる。上側は今はなぜか治安が良くないらしい。……頭の中で極めて簡易な地図を思い描いた。そのうち機会があれば、居住エリアの方も見学してみたいものだ。


 キンケードに抱えられたまま周囲の建物を見回す。石造りのものが多いが、二階部分などには木材も目立つ。聖堂ほど真っ白ではなくとも、いずれも壁は石灰質の塗り材で白く塗られている。蔦が這うような古びた商店でも外壁はまめに塗り直されているらしく、舗装された道も相まって街の景観は美しい。

 そんな中でも色とりどりの看板を掲げたり、植物を置いたり、扉を塗料で鮮やかに塗ったりと個性が見て取れて面白い。

 店舗の二階を居住部としているものが多いようだし、建築様式自体は自分が知っているものと大差ないようだ。


 道に店を出している出店の類も、日避けの布を目立つ色にしていたり、絵を描いた大きな木札を立てていたりと、客を呼び込むための工夫に余念がない。商売は生活の糧を稼ぐものなのだから、他との差を演出し、全力で自ら用意した商品のアピールへ挑むのも当然だろう。

 そういった露天商のうちのひとつ、年季の入った馬車を店舗代わりにしているものが目についた。


「なるほど、馬車を出店にすれば移動も商品の持ち込みも楽だな」


「あー、馬車を買えるくらい金のあるヤツはな。他の街へ移って売ったり、仕入れたりとか行商もできるし」


 馬車での商いに感心しているとキンケードが補足をしてくれる。それが聞こえたのか、積み荷を下ろしている最中だった馬車の主がこちらを振り向いた。満面に商い用の笑顔を浮かべて「いらっしゃい!」と威勢の良い声をかけてくるが、その発音が少し変わっている。

 方々に跳ねた黒髪に、丸い眼鏡。日焼けをした浅黒い顔の中に、色素の薄い目が光る。ファラムンドよりやや若いくらいの男だった。

 初めて顔を合わせたはずだが、どこかで見たことがあるような気もする。


「何かお探しですか、余所から仕入れた珍しいモンも色々あります、良かったら見てってください」


「衣類に家具に、装飾品もか。様々なものを扱っているんだな……あまり見たことのない形をしてる」


「お嬢さん、さすがお目が高い。この椅子なんか北から持ってきた逸品、張ってある刺繍も見事なモンですやろ?」


 すっかり客認定をされてしまったらしく、ずいずいと推してくる。足を止めて声をかけてしまったこちらのせいだ、商売の邪魔にならない程度に少しだけ見せてもらおう。

 それに、魔王時代にも聞いたことのある発音が懐かしい。かつてベチヂゴの森を越えてやってきた武装商人たちも、この男と同じような話し方をしていた。行商人独自の口調か、もしくは同郷の者なのかもしれない。


 馬車前の敷布へ広げられた商品は、いずれも目利きの男が選び抜いたと分かる質の良いものばかりだ。見慣れない食器や装飾品、筆記用具など並んだ品を眺めているうち、その中にある小さな木箱が目に留まった。小鳥の彫刻がされた小振りな箱、内側は光沢のある布が張られている。

 それを見て、男に対する既視感に思い当たった。少し前に屋敷の廊下を歩いている姿を見たことがある。たしかあれは、ナスタチウムの様子を見に中庭へ出て、アーロン爺やレオカディオと話していた時のことだ。


「お前、領主邸に来たことがあるだろう?」


「おやおや、私のことをご存じですか?」


 ぱちりと瞬く薄水色の瞳。大げさに眉を持ち上げて驚いている素振りでも、その目にはどこか面白がっているような気配が漂う。とぼけているが、こちらの正体も話しかけてきた時から分かっていたのかもしれない。


「……意図せず購入経路が割れてしまったな。兄上には黙っていよう」


「何だ、坊ちゃんが何かあるのか?」


「いやこちらの話だ、何でもない。用は済んだからもう行こう。商人よ、邪魔したな」


 リリアーナが手をあげて購入の意志はないことを告げると、男は残念がる風でもなくにっこりと笑って見せた。


「いえいえ、ご縁があればまたお会いする機会もあるですやろ。何ぞ欲しいモノありましたらいくらでも仰ってください」


「欲しいものを訊くな。お前が、我の欲しがるような物を用意してみせろ、商人だろう?」


 応じたリリアーナの言葉に、男の笑みが一層深まる。

 商売柄、客へ向ける顔の扱いには慣れているのだろう。顔面に張り巡らされた筋肉をうまくコントロールした、上手な笑顔だ。それを見て、レオカディオの笑顔が浮かんでしまい何となく腹が立つ。うちの次兄の作り笑いはもっと愛らしい。


「私はしがない行商人のアイゼンいいます。どうぞまたのお越しを、白百合よりも可憐なお嬢さん」


「機会があればな」


 その言葉が終わるやいなや、指示をするより先にキンケードは馬車から離れ、通りの混雑へと足を進めた。

 どれも珍しい品ばかりだったからもう少し足を止めて眺めてみたい気持ちはあったが、もう次兄へのプレゼントは決まっているし、それがまだだったとしても兄と既知の商人から購入するわけにもいかない。

 屋敷に出入りしている行商人なら、レオカディオと知り合った経緯にも納得ができる。破損した箱を直してもらったらしいが、それは兄へ直接礼を伝えたし、おそらく対価も支払っているのだからリリアーナから言うことは何もない。


「……けっ。女を花に例える男なんざロクなもんじゃねー、よーく覚えとけよ」


「白百合よりも、だから例えてはいないな。比較した上で白百合より上だぞ?」


「変わんねーよ、何だよ、嬢ちゃんもやっぱそういうの嬉しいのかよ?」


「いや全く」


 ふた呼吸の間を置いて、キンケードとトマサが揃って噴き出した。


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