第32話 贈り物を選ぶ楽しさ


 トマサを連れて入り込んだ店は、どうやら工芸品や置物を中心に扱っているらしい。雑然とした店内には所狭しと、大小様々な物品が置かれている。展示というより適当に積み上げているだけに見える一角もあるが、倉庫の類ではなく本当に商店なのだろうか。

 手近な棚をのぞいてみると、半ば溶けたような塊がごろごろと置かれている。鉱石の結晶にも似た乳白色のそれは、よく観察すれば糸を寄り合わせた芯がついていた。何をテーマに象ったものかは知れないが、どうやらロウソクらしい。向かいのテーブルの上には大きなキノコ型のランタンが無造作に並べられている。照明器具を集めてあるのかと思いきや、ロウソクのある棚にはインク壷や文鎮らしき鉄塊も詰められている。


「何だこの店は?」


「いらっしゃい、ここは雑貨屋だよ。何かお探しかい小さいお嬢さん」


 気配を伴わない声に思わず肩が揺れる。

 雑然とした机の向こうから姿を現したのは、腰の曲がった小柄な老婆だった。しわだらけの顔からはもはや表情を読みとることもできないが、嗄れた声はどこか懐かしさを感じる柔らかさがある。杖をつき、一歩に時間をかけながらリリアーナたちがいる入口付近までやってきた。


「雑貨屋……なるほど、だから用途も様々な品が置かれているのか」


「元は死んだ亭主の道楽でね、まぁ色んなものがあるから、どれかはお気に召すかもしれないよ。ゆっくり見ていきなされ」


 物であふれる店内を見回してみても他に客はいない。たしかに、気兼ねなくゆっくり見ることはできそうだ。リリアーナの見たことのない品も多く、まずは付近のものから観察してみようかと踏み出したところで、トマサと繋いでいた手が握り返された。

 それまでは呆然として手を引くままに付いてきたのだが、しばし時間を置いたことで気力が復活したのだろう。眉尻を下げながらおずおずといった様子で屈み込む。


「さ、先ほどは、お見苦しい所を……申し訳ありません、リリアーナ様」


「いや、なかなかに爽快な一撃だったぞ。手は傷めていないか?」


「……少しだけ」


 繋いでいたのと反対の手を持ち上げて見せる。確かに手の甲の側、指の付け根が少し赤くなっていた。見事な拳骨をお見舞いするのは良いが、トマサの細腕では先にこちらが傷ついてしまう。


「次に誰かを殴る時には、手袋をしていたほうがいいな」


「そうそう人を殴ったりはいたしませんが、……かしこまりました」


 生真面目に答えるトマサが困ったように笑うので、つられて笑ってしまう。たしかに、トマサであれば余程のことがない限り人を殴ったりはしないだろうが、たまにはそういった発散の仕方もいいだろう。


 しばらくこの店の中を見て回りたい旨を伝えていると、入口からのっそり大柄な男が入ってきた。そのままこちらへ寄って来るでもなく、後頭部を掻きながら所在なく立っているキンケードに、トマサはあきれたような息をつく。


「入口を塞ぐのではありません、そんな所に立っていたらお店の邪魔でしょう」


「へいへい、仰せのままに。ったく、不用意に護衛から離れないでもらいたいモンだな」


 ぶつくさとそんな文句を垂れながら近づいてくるキンケード。上背があり筋骨隆々とした男が入ると、ただでさえ物だらけで通路も細い店内が一気に狭くなったように感じる。


「いつまでも寝た振りなんてしているお前が悪い。第一、護衛についていくものではない、護衛のお前が我についてこなくてどうする」


「いや、全くもってその通りだけどよ、」


「おおかた、避けることもできずうっかり女手の拳をモロに食らってしまったのが恥ずかしくて、やられた振りでごまかそうとでもしたのだろうが。役職に応じた給金を受け取っているのであれば、職務はたゆまず果たせよ」


「……全く、その通りで、ございます……」


 大男は頭を落としてうなだれた。邪魔だから少し縮まっているくらいでちょうど良いだろう。


「トマサは、自分の悪かった点はきちんと理解しているな?」


「はい。口頭での応酬に手を出してしまったことは大人げなく、深く反省しております。言葉に対しては言葉でもって叩き伏せるべきでございました」


「その通りだ、次から改めればそれで良い。では本来の目的へ戻ろうか」


 一件落着ということで、店内の物色を再開する。

 身につけるものはセンスが問われる上、本人の好みも深く関わってくる。それに比べれば置物や実用品の類は邪魔にさえならなければ、そう迷惑になることもないだろう。リリアーナの私室ですら十分すぎるほど広いのだ、兄の部屋がそれよりも狭いということはないはず。もし不要であればどこか邪魔にならないその辺にでも置いておいてもらえば良い。

 現に、受け取った時にはその処遇に困ったボアーグルの巨大ぬいぐるみーーフェリバ曰く、ボアーぐるみは、現在リリアーナの寝室の隅に鎮座している。

 はじめは他の人形たちが収められた棚の横へ置いていたのだが、入室した際に目が合う(レオカディオ談)とか、存在感がありすぎて妙な気配を感じる(フェリバ談)といった意見があり、リリアーナの指示で寝室へ移された。

 大きなベッドや姿見が置かれていても、まだだいぶ余裕があるほど寝室も広いため、隅におかしな物があるくらいどうということはない。ファラムンドは乗っても大丈夫と言っていたから、成長して体が大きくなってしまう前に、そのうち一度くらいは上に乗ってみても良いだろう。


 そんなことを考えながら手に取ったのは、精緻な彫刻が施された燭台だった。支柱の部分が、上半身の筋肉をこれでもかと隆起させた全裸の男になっている。一体どういった旨趣による意匠なのだろうか。制作者の考えはともかく、これを贈った際の次兄の顔は何となく想像がつくため、そっと台へ戻した。

 ガラス製のインク壷も様々な形が並んでいて、その中にも人体を模したものがある。もしかしたらヒトの領ではこういった、裸体を象ったアイテムが流行しているのだろうか。

 そういえば自身の居城でも、玉座だとか廊下のレリーフ、大扉などには熟練の職工たちにより古代竜の彫刻が為されていた。ああいったものと同じ意匠によるものだと思えば納得がいく。


「なるほど」


「いや、なんか、オレが言うのも何だけどよ、その辺はあの坊ちゃんに贈れるようなモノ、無いんじゃねぇか?」


「そうか? どこに掘り出し物があるかわからないぞ?」


「とりあえず、さっき持ってたみたいなのはやめとけ」


 リリアーナが人体を模した燭台に興味を示していたことを指しているらしい。心配しなくても、ああいった趣向のものを贈るつもりはない。


「とはいえ、これだけ物があると逆に悩んでしまうな」


「そうだなぁ、置物で行くって決めたんなら、ひとつ坊ちゃんのこと考えながら眺めてみろよ」


 そんなことで一体何かわかるのか、という疑問はある。だが自分よりもヒト歴の長い男がそう言うのであれば、アドバイスに従ってみる価値はあるだろう。


「ふむ、ではキンケード、腕でも肩でもいいからしばらく乗せてくれ」


「おう? 何だ、オレみてーなのと触れあってもいいのか嬢ちゃん」


「……臭かったら下りる」


「臭くねぇよ! 護衛任務だって聞いてちゃんと洗ってきたよ! 臭くねぇよ!」


 なぜか二回言う。トマサを振り仰ぐと、額のあたりを押さえているが特に反対意見はないようだ。振る舞いや口調こそ乱雑ではあっても、イバニェス家から単身で護衛を任されるほどの男なのだ、腕にも性質にも信頼が置かれているに違いない。

 屈んだキンケードへ手を伸ばすと、何の苦もなさそうに片腕で抱き上げられた。太い左腕の肘から下へ腰掛ける形になったが、丸太のような感触で座っているのがヒトの手だとはとても思えない。

 厚みのある肩へ手を置き、店内を振り返る。視点が高くなったことで、棚の高い部分も机の上の物品も一望できるようになった。


「ふむ、はじめからこれを頼んでいれば良かったな」


「へーへー。今日は何でも言うこと聞くから、いくらでも便利に使ってくれや」


「その台詞、忘れるでないぞ?」


 先ほどのキンケードの言葉に従い、レオカディオのことを考えながら無数とも思える雑貨たちを眺めてみる。


 よく笑い、よくしゃべり、よく動く、形のいい笑顔を繕うのが上手い次兄。屋敷の中で遭遇すれば何かと構ってくるし、すれ違うだけでも挨拶以上の言葉を投げかけながら笑っている。血の繋がった家族の中で、普段から一番接する機会も会話も多い相手だ。

 ……だが、未だにその内面までは良くわからない。快活な表情の裏側で何を考えているのか。何を思ってそこまで積極的に妹へ接しているのか。

 これまで他者の精神面にまで興味を持ったことがなく、そこまで深く理解し合おうとした相手もいない。だが、今はもう『これまで』とは違うのだから。もう少しリリアーナの方から踏み込んでみれば、また違った面を見せてくれるのだろうか。

 つい先日、中庭で会話をした時に垣間見せた陰鬱な表情が過ぎる。作った表情はあまり好きではないが、あの次兄は、レオカディオはやはり笑っているほうがいいなと思う。


 長さごとに縛られたペン軸、謎の小瓶群、金属製の犬の置物、籠の中へ詰められた細い木製の棒や毛糸束、欠けた貝殻、研がれた鋏、彫り物がされた動物の骨、緻密に編まれた丸いレース、細長い壷、底に穴の空いた青いグラス。大小様々なものへ視線へ巡らせるうち、いっそう鮮やかな色彩に目が止まった。


「その青いグラスは、なぜ穴が空いているんだ?」


「ん、これか?」


 指で示すとキンケードが空いた手で品物をつまみ、眼前まで持ってきた。のぞき込んでみると、底に指が通るほどの丸い穴が開いている。深みのある青色のグラスだが、破損している風でもなく、最初から穴の空いたものとして作られているように見える。


「あー、こりゃ鉢なんじゃねぇか?」


「鉢? 中に土を入れて植物を一株ずつ植える、あれか?」


 植木の鉢くらい見たことはあるが、中にこんな穴が空いているものとは知らなかった。たしかに、水を遣るのだから底に穴がなければ水はけがされず根が傷む。何かで軽く塞いでから土を入れるのだろうか。


「底の穴には、石や貝を置いてから土を入れるのです。この貝殻などがちょうど良い大きさでは?」


 トマサが細い指先でつまみ上げた貝を、グラスの中へそっと落とし入れた。カラン、と軽快な音がする。


「ガラス製の植木鉢か……瀟洒なものだな」


 中庭の煉瓦の花壇が思い浮かぶ。小さな芽を出したばかりのナスタチウム。どれほどの大きさまで生育する植物なのかはアーロン爺に確かめてみないと分からないが、開花する前の一株を植え替えて、レオカディオに部屋で鑑賞してもらうというのも悪くないかもしれない。

 むしろ自分用にもひとつ欲しいくらいだが、あくまで贈り物なのだから、勝手に揃いで所持するのはやめておくべきだろう。

 ひとしきり青いグラス、もとい青いガラス製の鉢をあちこち眺め回して、決めた。


「うん、これにする」


「お、何だ、意外とすんなり決まったな。まぁ悪くねーんじゃねぇか?」


「なぜあなたはそう、上から目線でものを……」


 またきりきりと眉をつり上げるトマサを手で諫め、抱き上げられたまま机の向こうでこちらの様子を見ていた老婆の元まで移動してもらう。ポシェットからコインの入った小袋を取り出して、キンケードが持ったままでいるグラスを指した。


「これをもらおう。グラスと貝殻、金貨一枚で足りるか?」


「はいよ、ありがとうね。……え、金貨かい?」


「何かまずいか?」


「まずかないけどね、そうさね、お釣りにちょいと困るから、他に何か欲しいものはないかねぇ」


 お釣りに困る、というのは全くの予想外だった。足りないどころか、物品の価格が安すぎると差額を返すことに困るわけだ。侍従長もまさかリリアーナがそんな安価なものを選ぶとは思っていなかったに違いない。

 それならばと、再び雑然とした机の上へ視線を戻し、トマサに小瓶ふたつと彫刻がされた骨を取ってもらった。


「うんうん、それくらいあれば助かるよ。悪いね、余計な買い物をさせてしまったね」


「いや。これらも欲しいと思っていた品だから問題はない。では会計を頼む」


「はいはい、少し待っておくれよ」


 腰の曲がった老婆は金貨を手に一度奥へ行くと、すぐに戻ってきてリリアーナの手に銀色の貨幣を九枚のせてくれた。観察してみると表面には花のような図柄が見て取れ、金貨よりも厚みがあって一回り大きい。

 お釣りが銀貨九枚になるということは、買った品物全て合わせて銀貨一枚だったと思っていいだろう。おそらく、価格としてはとても安いのだろうと推測する。


 老婆へ礼を言って店を出る。滞在中に他の客はひとりも訪れず商店として成り立っているのか気になるが、長く店を構えているようだから案外需要はあるのかもしれない。

 購入した品はハンカチで包んでから、トマサが持参した肩掛けへしまってくれた。ひとまずこれで、今日の目的の大半は達成できたことになる。


 相手のことを思い浮かべながら眺めてみるという、キンケードのアドバイスは実に的確なものだった。その奔放な考え方や視点には、これまで屋敷で接した大人たちにはないものを持っているようだ。

 多少行動や言動に問題があっても、そういったヒトの内面の多様性には大いに興味がある。まだ時間も残っていることだし、もう少し会話を交わして新たな知見を深めてみようか。


 お釣りの銀貨もをポシェットへ収め、しっかり番を頼んだぞとアルトの頭を軽く叩く。

 ……すると、またツノの部分がわさわさと動いた気がする。振動機能の次はぬいぐるみの部分操作まで得たというのか。元々は父からもらった大事な土産物なのだから、あまり中でおかしな改造をされていたら困る。屋敷へ帰ったら後できちんと確認をしてみよう。


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