第26話 五歳記の祝い⑦ 贈物


 自室へ戻ると、聖堂から帰った時と同じような勢いでフェリバが出迎えた。その手には執務室へ持って行けずに預けていたアルトが握られている。


「お帰りなさいませリリアーナ様! アルちゃんも良い子にして待ってましたよー!」


 摘んだツノの部分を前後に動かしているが、フェリバにとっては未だあのぬいぐるみはウサギということになっている。耳を振って歓迎を表しているのだろう。ウサギには耳を交互に動かす筋肉はない、などと言うほど無粋でもない。


「少し疲れた、夕飯まで休む」


「そ、そうですね、今日はご予定みっちりでしたし。ベッドとソファどちらを使われます?」


「寝入ってしまうのも困るから、ソファにしておこう。夕餉の前に声をかけてくれ」


「かしこまりまし、……ん? リリアーナ様、目元が少し赤いですね?」


 フェリバが屈んで顔を近づける。顔面の赤みが引くまでは執務室で休ませてもらったが、生後間もない頃から世話をしてきた侍女の目はごまかせないらしい。


「少し涙が出ただけだ。泣いたのは初めてかもしれない、驚いた」


「ない、泣いた、リリアーナ様が!?」


<ひぁ――――っ!>


 両手を上げて派手に驚くフェリバ。投げ出されたアルトが放物線を描いて飛んでいく。その軌跡を追っていると、部屋の奥にいたトマサとカリナも目を丸くして驚いている様子だった。


「何があったんですか? たとえ旦那様や侍従長でもリリアーナ様を泣かせるようなコトをしたなら、私がえいやっと懲らしめてやりますよ、ええ、減給もクビも覚悟の上ですとも!」


「父上の話を聞いていて、感極まったとでもいうか……涙が勝手に出ただけだ、問題はない。減給も解雇もさせる気はないから、くれぐれもおかしなことはするな」


 きちんと制止しておかないとフェリバならやりかねない。日頃どんなヘマをしでかしても任を解かれる気配がない所を見るに、この屋敷の規律が緩いのか、フェリバだから仕方ないと思われているのか。……前者はあり得ないだろうから、きっと後者なのだろう。


「はい、……旦那様とちゃんとお話できたなら、良かったです……良かったですね!」


 屈んだまま目を潤ませる侍女の頭を、そっと撫でてやる。長く世話になってきた労いと感謝を込めて。すると目の回りを赤くした侍女はずずーっと鼻を啜って顔中をくしゃくしゃにした。泣くと顔が熱くなるし鼻も痛いな、分かる。

 それから絨毯の上に立っているアルトを回収し、馴染んだソファへ向かう。放り投げられたアルトが、接地時に一度バウンドしてから宝玉が重りとなって直立したのをリリアーナは見ていた。起き上がり人形というのも中々面白い。


 柔らかなカウチソファへ身を預け、先ほど書斎で交わされた話について考える。

 ファラムンドは領内の居住部へ上水路を行き渡らせ、主要道路を舗装し、ゆくゆくは下水路も配備しようと努力を続けている。

 叶うことなら自分もその助けとなりたい。かつての記憶や経験が活きる場面もきっとあるだろう。あまりそれらを出しすぎて不審に思われることは避けたいが、何らかの力にはなれるはずだ。

 デスタリオラの死後に生まれたファラムンドとは、生前ではどうあっても協力しあうことなど不可能だったが、今生であれば、きっとそれも叶う。

 キヴィランタで見届けることのできなかった、上下水道と交通路の完備された住みよい街を、今度こそ完遂し目の当たりにできるかもしれない。何年もかかる大事業となるだろう、それでも父と一緒にやり遂げるのだ。

 ……またひとつ、リリアーナとして生きる目的ができた。




 ふと、軽く肩を叩かれた気がして目を開ける。


「リリアーナ様。お休みのところすみません、もうじき晩餐会の支度が整うそうですよ」


「ん……そうか。少し眠っていたようだ」


 瞼は重いが、頭と体は幾分すっきりとしていた。ソファのそばへ屈むフェリバを見上げると、気遣わしげな視線を向けられた。


「お疲れは取れましたか?」


「ああ、大丈夫。これ以上寝ると夜の就寝に差し支える。今日の夕餉は食堂でとるのだったな」


「はい、皆様お揃いでリリアーナ様の五歳記のお祝いですよー」


 寝ている間に着崩れた衣服を直してもらい、鏡台で髪を梳き直す。化粧などがいらないためリリアーナの支度はそれだけ済んでしまう。成長はしたいが、この先にマナーとして化粧の必要が出てくるのは面倒だと密かに思っていた。


「うん、素敵です。たくさん食べて楽しんできてくださいね、リリアーナ様。……トマサさん、食堂までのご案内お願いします」


 フェリバの手を離れ、案内を務めるトマサと共に食堂へ向かう。

 椅子から立ち上がる際、それが当たり前とでもいうようにアルトを手渡された。ポケットのないこの衣装では手で持って行くより他ないというのに、どういうことだろうか。突き返す訳にもいかず、そのまま片手にアルトを抱いて廊下へ出る。

 食事中は膝の上にでも置いておくしかない。屋敷の者たちは、ぬいぐるみを持ち歩くリリアーナを「子どもらしい」と喜んでいる様子だから、おそらく叱られることはないだろうと判断した。




「リリアーナ、五歳記おめでとう。はいこれ、僕からのお誕生日プレゼントだよ!」


 食堂へ着くなり、待ち構えていたらしいレオカディオに捕まった。晩餐の開始まではまだ少し猶予があるのだろう、テーブルの上はほぼ準備が整っている様子だが、ホール内にファラムンドたちの姿はない。

 数人の侍女たちが行き来をし、着々と支度を進めている広い室内を一通り見渡してから、眼前の兄へと視線を戻す。差し出されたその手には、見覚えのある箱が載っている。


「この箱は……、中を直してもらえたのか?」


「うん、この通りね」


 レオカディオが片手でフタを開けると、内側に張られていた模様染めの布は元通りなっていた。腕の中でアルトが細かく振動するが、気にせずなめらかな布地へと指を伸ばす。つるりとしたその感触も、ぴんと張られた中身も全て、初めて箱を受け取った時と同じ。

 それはアルトバンデゥスを収納から引き出す際に使用し、内側がひどく損耗してしまった小物入れだった。幼い体では構成も力も足りないのは分かっていても、まさか宝玉だけを喚ぶのに、が発生するとは思いもしなかった。ヒトに生まれ直した弊害なのだろうか、今後はインベントリの使用も注意が必要そうだ。

 以前の誕生日にレオカディオからプレゼントされた品で、材料の出所を知っている者でないと直せないというフェリバの助言に従い、あの後レオカディオに相談をした。箱を買った商人にかけ合ってみるとのことで預けていたのだが、無事に修理をしてもらえたらしい。


「ありがとう、レオ兄。せっかくもらった物を壊してしまって、申し訳ないことをした」


「いいよ、それだけ使ってくれてたってことだろ。それとね、今年の誕生日プレゼントはこっちの方だよ」


 レオカディオは開けた箱の中から、指の長さほどの小さな装飾品を取り出す。照明を反射してきらきらと輝くそれは、大粒のビーズを連ねて百合の花を象った、美しい髪飾りだった。リリアーナの年齢でつけるには少々大人びた細工だが、色合いも華奢な花も紫銀の髪には良く映えるだろう。


「今日はもう髪を結っちゃってるから使えないか。じゃあまた別の日にでも使ってよ、きっと似合うから」


「うむ、ありがとう。侍女に頼んでおく」


「その色の服、リリアーナにぴったりだね。この髪飾りも合うと思うのに悔しいな、朝のうちに渡しておけば良かった」


 唇をとがらせる次兄に再度お礼を言い、なぜか痙攣をし続けているアルトと髪飾りを一緒に箱の中へしまった。このままどこかに置かせてもらえば食事中も邪魔にならないだろう。それとも誰かに預けるべきか。


「……俺もいいか?」


 案内をしてくれたトマサへ小物入れを託そうか考えていると、背後から少年のものと思しき声がかけられた。リリアーナは小さな手に箱を持ったまま振り返る。声変わり最中のやや掠れたそれは、長兄のアダルベルトのものだった。

 挨拶文句以外の言葉をかけられたのは初めてだ、頭ふたつ分は背が高い兄を見上げながら、最初の言葉に迷う。すると首を上げている姿勢を慮ったのか、アダルベルトは絨毯へ膝をつく。

 目線の高さが近づいた兄は、やはりいつものように眉間へ力を込めた難しい顔をしていた。整えた黒髪に藍色の瞳、父のファラムンドとよく似た色彩がじっとリリアーナを見つめる。


「リリアーナ、五歳記の祝いおめでとう。俺も誕生日プレゼントを用意したんだ、食事の前ですまないが受け取ってくれるか?」


「あ、ありがとう、アダルベルト兄上。こうして無事に五歳を迎えられたこと、周囲と家族の皆には感謝している」


 すぐ後ろから「それ五歳児の台詞じゃないからね」とレオカディオの呆れを含んだ声が聞こえるが、貴重な長兄との対面に集中している今は構っている余裕がない。

 普段はどこか避けられているような気配すら感じていた。こうしてアダルベルトの方から寄ってきてくれるのは、今を逃せば次は五年後かもしれないのだ。

 屈んだトマサが小物入れの箱を預かってくれたため、兄の差し出した細長い包みを両手で受け取ることができた。薄紅色で統一したラッピングの軽い箱だ。リボンを解いて包装を剥がし、フタを開けてみる。


「これは……ペン先と軸か。とても綺麗だ」


 箱の中に収められていたのは、筆記の練習用に与えられているペンより、もう少し長い持ち手のペン軸だった。砕いた貝が埋め込まれているのか、淡い虹色に輝く様は見目にも美しい。

 ペン先の方も少しだけ大きい、むしろ鋭利なそれは見慣れた形状のものだ。……以前、デスタリオラであった頃に愛用していたペン先と同じ。

 弧を描くナイフの切っ先のようなペン先は柔軟性があり、文字の強弱がつけやすい。練習用にと与えられているのは、まだ力の込め方が分からない子ども向けの物なのだろう。丸みを帯びた、蕾のようなペン先で書かれる文字の太さは均一で、どうにも慣れず常々書きにくさを覚えていた。


「アダル兄、小さい女の子のプレゼントにペンセットってどうなの……」


「いや、これは、とても嬉しい。普段のペンが書きづらくて困っていたのだが、なぜそれを?」


 驚きに見開いた目で、距離の狭まった長兄の顔を見上げる。するとアダルベルトは視線を逸らして眉間のしわをひとつ増やし、衣服を整えながら立ち上がった。


「先生に、リリアーナが授業で書いた構文を見せてもらったことがある。文章はよく出来ていたけど、字のインク溜まりが気になったんだ。もしかしたら、ちゃんと強弱や払いをつけたいんじゃないかと思って」


「その通りだ、練習用のペン先がどうも合わなくて。……ありがとう兄上、これからはこちらを使わせてもらう」


 胸にもらったペンセットを抱きしめ、思わぬ喜びに頬を染めながら礼を言うリリアーナ。それを受けたアダルベルトは、まずいものでも見たというように顔を背け、無言のまま踵を返した。

 そんな態度も気に留めることなく、誰かに理解されるとはやはり嬉しいものだとリリアーナは目を細める。これで手紙も書きやすくなるし、授業の書き取りも楽になるだろう。包装を剥がしたせいでかさ張ってしまったが、ひとまず箱と同じくトマサに預かってもらった。



「ふっふっふ、真打ちとは最後にやってくるものさ、決して出遅れたわけではないとも……」


 先ほど会話していたばかりの低い声が、背後から聞こえる。振り返ってみると、食堂の入り口にはリリアーナの身長ほどもある大きな物体を抱えたファラムンドと、我関せずといった顔の侍従長が立っていた。

 青灰色をした丸みのあるモノには赤いリボンが巻かれ、大きな蝶結びがされている。ひょっとしてあれは、自分へ渡されるプレゼントなのだろうか。物体の正体を見極めんと観察をしてみても、それが何なのかまるで分からない。


「リリアーナ、可愛い私の娘よ、お父さんからのお誕生日プレゼントだよ。さぁ受け取っておくれ!」


「父上、それは、一体、何だ?」


 目の前にぽすんと下ろされたものと目が合う。……目が、ついていた。つぶらな黒い瞳が一対、無感動にじっとこちらを見ている。


「何って、前にお土産にしたあれをリリアーナが気に入ってくれているから、もっと大きいものを特注したのさ。ちゃんと間に合って良かった!」


 朗らかな笑顔を浮かべるファラムンドと、そばで控える侍従長の無表情を見比べる。何やら自分のために用意してくれたらしいことは、伝わってきた。受け取ってきちんと礼を言うべきだろう。

 一歩下がって全体像を見渡してみる。目があるということは、正面を向いている四角は顔面だと想像がつく。後部が胴体で、下に生えた短い突起は脚なのだろう。頭部には上端に太った三日月のようなものがふたつ付いていた。

 そこで既視感に気づく。……よく似た色合い、若干似た風貌のものを、自分はいつも持ち歩いている。


「父上、これはもしや、ボアーグルのぬいぐるみか?」


「そうだとも。あの小さい方と違ってなめし革で丈夫に作ってあるから、上に乗っても平気だ。角も大きくて可愛いだろう?」


「「ボアーグル???」」


 カミロとレオカディオとアダルベルトとトマサ、食堂内にいた四人と他の侍女たちの声が重なる。信じがたいといった声音の通り、四人とも口を半開きにして硬直している。これまで見たことがない、隙だらけの珍しい表情だ。

 それはともかく、大人でも一抱えもあるようなサイズのぬいぐるみなど、どうすれば良いのだろう。乗っても平気とは言うが、クッション代わりに使えという意味なのか。悩むところだが、巨大ぬいぐるみの処遇については後でフェリバたちに相談してみよう。


「父上、礼を言う……」


「あ、それとこっちは書斎の鍵だよ。小さくてなくしやすいから、後でキーチェーンでも用意させようか」


「書斎の鍵! 父上、ありがとう!」


「……鍵の方が嬉しそうだね?」


 やっと書斎へ立ち入る許可を得て、こうして鍵も手に入った。五歳の誕生日には面倒な儀式や意外な意味もあったが、結果的にはこうして嬉しいことばかりだ。弾む心のまま漂ってくるご馳走の匂いに、リリアーナは満面の笑みを浮かべた。

 口元を覆って崩れ落ちる父ファラムンド、その手前にボアーグルぬいぐるみを置いて隠す侍従長カミロ、少し離れた所でこちらを見ている兄のアダルベルトとレオカディオ。それぞれの顔を見渡し、ほのかに暖を感じる胸へ手をあてる。

 これまで興味だけだった家族というものに触れ、それが得難くも温かい存在だと知った。生まれてきた意味を考え、生きてこられたことに感謝をした日。

 今日この日の記憶も、もらったプレゼントもずっと大切にしよう。


 ーー自分は今、とても幸せだ。



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