褒美として与えられた自由⑧

 ハイネの腕から逃れようともがいていると、何時の間にかスコップを担いだ老人が傍にいて、ニタニタと下品に笑っていた。


「真っ昼間っからお盛んだのぅ~!!」


「はぁ? 何言ってんだこの爺さん……ウザッ!」


 ハイネが老人に注意を向けた隙をつき、ジルは彼の腕を抜け、水車小屋とは逆の方向へと走った。


「ジル! 待て!!」


 後ろからハイネの焦った声が聞こえては来たものの、無視する。道の角を幾つか曲がり、ハイネを完全に撒いた後、ジルは傍の木に手を付き、呼吸を整える。


(うぅ……、あれって色仕掛けで私を混乱させて誤魔化そうとしたって事なのでは?? 男の方も使う手なのね……。でも……ハイネ様凄くいい香りがして……ふぁぁ……、って、こんな考えじゃいけないわ!!)


 大きく深呼吸し、顔に風を送る。

 暫くそうしていると、ふと視線を感じて顔を上げる。少し離れたところに建つ納屋の陰からマルゴットがポカーンとした顔でジルを見ていた。



 彼女の元に歩いて行くと、傍に建つ納屋にノラという女性が魔女として拘束されていると説明を受けた。会ってみると、ノラは思ったよりも元気そうで、気立てのいい女性だった。少し悩んだものの、ジルは彼女を修道院に連れて行く事にした。魔女だと吹聴しはじめたのは修道院ではあるが、顔を隠した状態で連れて行けば、一時的になら匿えそうな気がしたのだ。村長とハイネの間に軋轢があった事で、ノラに何か良くない事が起こるかもしれないので、念の為である。



◇◇◇


 寒気を感じ、意識が浮上する。

 昨日ベッドに入った時と違和感を感じて周囲を見回してみると、上掛けが床に落ちていた。いつのまにか蹴り落としていたらしい。


「う~ん、どうりで寒いわけよね……」


 干し草のベッドはなれるとそこまで悪いものではなく、ジルは昨日の夜グッスリと眠れた。

 カーテンから漏れる光は、まだ弱く、部屋の中は薄暗い。枕元に置いておいた懐中時計を見ると、時計の針はまだまだ早い時刻を指す。二度寝してもいいのだろうけど、ジルはもう眠くはなかったため、起き上がった。

 修道院という神聖な場に相応しい様にシンプルな白のワンピースドレスに茶色のブーツを合わせ、修道院の母屋から外へと出る。


 着替えをしている間に空はだいぶ明るくなっていて、周囲の様子を見回すくらいには問題ない。


 朝露がコロンと乗ったローズマリーの花、気持ちよさそうに大きく葉を広げる樫の木、威嚇する猫の尻尾みたいなポプラの木、いつもなら楽しめる植物達の姿を見ても、何故だかジルの心は弾まない。


 ボンヤリと昨日のハイネの行為を思い出す。

 ジルを抱きしめたのは、ハイネの気まぐれなんだろうけど、思い出すと落ち着かなくなるのはどういうわけなんだろうか?

 残酷な事を今後もするつもりなのに、無理矢理ジルを黙らせようとするハイネの傲慢さが気に入らなかったのだろうか? きっとそうだ。だけど、ハイネの言葉をキチンと考えてみると、虚勢を張る彼の姿が見えてきて……力になりたいとか、支えになりたいとか、あまりよろしくない考えが少し浮かんできたりする。しかもその協力したいという感情はハイネに助けてもらった事に対しての恩返しだけではない様な気もしている。じゃあ、いったい何故なのか考えようとすると、思考が停止して……。もう余計な事を考えないように心を無にするのが無難なのかもしれない。


「はぁ……」


「ジル様~」


 溜め息を吐いたジルの背に声がかかる。ちょっと気怠そうな可愛らしいこの声はマルゴットのものだ。


「おはよう。マルゴット」


 パタパタと走り寄ってくる彼女に微笑む。


「おはようございます。散歩に行くならお供します」


 彼女の着ている紺色のドレスは裾がグチャグチャになっているし、薄茶色の髪はアチコチ跳ねている。ジルが部屋を抜ける音を聞き、心配して追いかけて来てくれたのだと察する。


「マルゴットは昨日も遅かったんじゃないの? まだ寝ててもいいのよ?」


「いえ、私ショートスリーパーなので、もう充分寝てます」


 確かに思い返してみると、昔からマルゴットはいつ寝ているのかと思うくらい夜中も日中も活動的だった。


「じゃあ、ちょっと付き合ってちょうだい」


「はい。勿論です」


 2人で修道院の敷地を抜け出し、赤土を固めただけの素朴な小路を歩く。


「ジル様、昨日ハイネ様と何かあったんですか?」


「え!? 別に何もないわ!」


「そうですか……、何かしたんなら、やり返しを……――」


「本当に何も無かったのよ!」


 マルゴットに下手な事を言うと、ハイネの身が非常にヤバいため、ジルは慌てて否定する。ハイネはマルゴットの中でグレーな位置にいるらしく、敵なのか味方なのか判断に困っているらしい事が時々透けて見える。彼女が疑いを持ったら、キッチリ否定しないといけないのだ。


「ふむ……。あ、向こうから馬車が走って来ます」


 修道院から1km程歩いた辺りで、マルゴットは唐突に前方を指さす。

 耳がいい彼女に感心しながら、馬車の邪魔にならないようにと、道を反れて野原に出てみると、ジルの耳にもガラガラという車輪の音が聞こえてきた。


「修道院に何か用があるのかしら?」


「どうでしょう? 修道院のもっと先に用があるのかもしれないですし」


 やがて現れた馬車の御者台に座っていたのは、昨日知り合った女性、ラーレだった。


「あっ! 昨日お願いした物を届けに来てくれたのかも!」


 思ったよりも早い時間に来てくれたようだ。ジルは彼女に大きく手を振る。


「ラーレ!! おはよう~!!」


 こちらを向いた彼女は慌てた様子で馬の手綱を引き、馬車を止めた。


「アンタこんな朝早くにどうしたんだべ?」


「ラーレこそ、一体何時に村を出たらこんなに早く来られるの?」


「深夜の2時半くらいだったがな? うちの時計はいつも狂ってっから、正確にはわかんねーけど」


 ラーレのおとぼけ顔が可愛くて、ジルは笑った


「粉を届けに来てくれたのね?」


「ああ、勿論それもあるけど、ノラを修道院に連れて行ったんだろ? 服だとかを持っていってあげないとって思ったんだべ」


 なるほどと、ジルは納得した。早く来たのはノラの事を心配したからというのが大きそうだ。


「修道院はすぐそこだけど、アンタ達も乗ってくといいだよ」


「いいの? じゃあ遠慮なく乗せてもらうわ。マルゴット、乗りましょう」


「お邪魔します」


 ラーレに勧められ、広めの御者台に3人で座ると、馬車は動き出す。

 ジルは少々気まずく思っている事をラーレに聞く事にする。


「ねぇ、村長は大丈夫なのかしら? えっと、昨日煙突から、その……」


「ああ、そんなんいいだ。アイツ最近誰の言う事も聞かなくなってきてさ、アタシもメンドクセーと思ってたとこだっただよ。いい薬になっただろ」


「そうなのね……」


 ジルが思ってた程には、村で大ごとにはなってないのだろうか? 少しだけホッとした。


 ラーレの馬車に乗せられ、修道院まで行くと、前庭でオイゲンが剣の素振りをしていたため、彼に協力してもらい、粉をジルの部屋まで運んだ。

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