あの日、あたしたちはお互いにひとりだった。

槙村まき

第一章/自殺未遂の少女

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「あ、ミソラだぁ」


 へにゃりと歪んだ笑顔で、藤野エリナがあたしの顔を覗き込む。

 エリナの目元には黒い隈があった。瞳もどこか朧気で、焦点の定まっていない瞳が忙しなく動いている。


 あたしは彼女の名前を呼ぼうとして、だけど渇いた口からは言葉が出てこなかった。

 彼女と話す資格を、あの時にしくじったあたしは持っていない。それに彼女と話さなくなってからの半年間、あたしの周囲はすっかり変わってしまった。あの頃とは違う自分になっている。


 だけど彼女は、変わることなくいまもひとりのまま。

 ひとりで生きている藤野エリナは、好きな人形を愛でるかのように、あたしの両頬に両手を当てる。


「……ッ」


 夏なのに、ひんやりとした冷たい掌だった。

 漏れ出る悲鳴を押し殺す。

 なんで急に彼女が?

 突然の出来事に、あたしは混乱していた。


 半年前の冬、あたしから離れて行ったのは彼女のほうだった。彼女があたしを拒絶してから、彼女はすっかりひとりになってしまった。

 でもそれは彼女の選択で、もう友人ではないあたしには関係がないこと。

 それなのに彼女のほうからいきなりあたしに絡んできて、あたしの思考回路はすっかりとぐにゃぐにゃに歪んでいた。


「ミソラぁ」


 どこか間延びしたような、あたしを呼ぶ声。その声に、あたしは得体のしれない不安を抱いていた。

 彼女はこんなふうに、あたしの名前を呼んだっけ?


 藤野エリナは両手であたしの頬を掴むと、一気に自分の方に引っ張った。

 つんのめり、彼女の顔が間近に迫る。

 あたしの唇が、彼女の唇に触れて――


「……ッ」


 あたしは咄嗟に両手で、彼女の体を突き飛ばした。

 藤野エリナは大きく目を見開くと、温もりのなくなった手を呆然と眺め、それからギュッと唇を引き結び、その黒い瞳であたしをにらみつけた。


「きもちわるいって思ったんでしょ?」

「ち、ちがっ」

「私のこときもちわるいって。あの時のように、私のことをきもちわるいって」


 捲し立てながら、藤野エリナは頭を掻きむしる。

 それからフツッと、糸の切れたマリオネットのように脱力すると、ぼんやりと瞳孔の定まっていない瞳で、あたしを見た。


「やっぱり、あんたなんかと話したから、死にたくなったじゃないの」

「え?」


 突然快活な動きを取り戻したマリオネットは、あたしに背を向けると走り出した。

 狭い道路を、どんどん、どんどん、大通りに向かっていく。

 この道の先は、車の多い駅前の交差点に繋がっているはずだ。


「ま、待ってっ!」


 既視感があたしを襲う。

 あの時、あたしは、間に合ったんだっけ?

 ふらつく足で、あたしはだんだん小さくなっていく背中を追う。


「あ、」


 小さくなっていく壊れたマリオネットが、糸に引っ張られるように小さく飛び上がると、プツンと切れて地面に転がり落ちた。

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