落下少女と星の恋

白日朝日

『さだめ』

 落ちてゆく快感にはすぐ慣れた。


 時速二百キロメートルのフリーフォール。わたしの耳は気圧の変化と相性が悪いのか、ちょくちょく耳鳴りに苛まれる。

 自由落下における景色の変化というのは、意外と退屈なものだ。


 完璧な精度で少しずつズームアップされていく地図のような視界、太陽に目を向ければもっと退屈な景色を見ることもできるけれど、光に目が眩んでしまうしやっぱりわたしはいつも重力方向にしか目を向けない。


「あ、こんにちはー」

 こんな風に、誰かが横にやって来る例外を除き。

「……どうも」

 落下少女に挨拶をされたら返すのがマナーなのだけど、どうにも気が乗らない。


「わたしまだ一周目でー、なんかまだ怖くて、誰かといっしょに落ちれないかなーとか思ってたんですよー」

「あー、そうですかー」

 聞き流すような相槌を打つ。強く耳に入る風切り音も関係なく、落下少女の声は明瞭に聞き取れるようになっているのだけど、これがどういうシステムかはよく分からない。

「あの、ところでお姉さんは」

「十二万三千百六十二周目よ」


 彼女の質問を先読みし、ちょっと食い気味に返答を差し上げた。

「えっ」

「まあ、誤差はプラスマイナス千回くらいかもだけど」

 実際はゼロだ。

退屈な落下の繰り返しの中でやることといったらものを数えるか想像するかくらいしかない。

あえて誤差の話をしたのは冗談として受け取ってもらえるようにだ。

「へえー、とりあえずいっぱい落ちてるんですねえ」


 彼女の顔に邪気はない。素直でいい子なんだろう。笑顔が自然で違和感を覚えさせない。

「いっぱい落ちてるんですよー」

「あのう……ところで、そんなにいっぱい落ちなきゃ出会えないものなんですか……?」


 出た。この質問。わたしはこの質問が一番嫌いだ。

 とはいってもわたしの不満を理解してもらうには、どうしてわたしたちが落ちているのかについて説明する必要があるだろう。


『有限会社ボーイ・ミーツ・ガール』ここにメンバー登録すると、わたしたちは自動的に空から落下することとなる。登録者は基本的に四歳から十七歳までの女子に限定され、地面に叩きつけられる瞬間、そこにいた男性と人生一度の運命の出会いを果たすというシステムになっている。要は出会い系だ。


「……平均は三周」

 これだけの回数落下少女をやっていれば、今日みたいに誰かと話すこともそこそこにあるけれど、五周以上落ちているという少女とは出会ったことがない。

要はそのあたりまでで登録者はみな運命の相手を見つけているということになる。ということで、わたしはシステムバグでも起きたんじゃないかってレベルで何度も落ちていることになる。異常を自覚していて確認させられる瞬間ほど嫌なものはない。


「三周ですかー」

「そう、だから心の準備は早めにね。着地した瞬間に『こんなつもりじゃなかった!』って相手を突き放したら、相手の男の子のトラウマになるかもだから」


「はい!」

 うんしょと両の握り拳を胸の前に出して気合いを入れる彼女。

「では、またどこかで会うことがあったら」

「しーゆーです!」


 そうして彼女は頭から落ちてゆく。

落下姿勢を変えて空気抵抗を弱くすると、大体普通の人間で時速三百キロメートルくらいの速度が出せる。時速百キロの差は圧倒的で、あっという間に彼女の姿は幾層もの小さなわたがしみたいな雲より向こうで豆粒のように小さくなっていった。

 ああいう風に落ちていった女の子はすぐに男の子と出会うであろうことをわたしはなんとなく知っている。

うらやましい、くそう。


「なんでまだぴちぴちの十代前半なのに、こんな婚期を逃したアラサーみたいな気持ちにならなければならないんだろう」

 死語を用いつつ、酔っ払ったアラサー女子のようにひとりごちた。


 そろそろ建物がひとつひとつ認識できるくらい地面が近づく。そのまま地面と衝突するのがこわいわたしは目をつぶって仰向けになる。

 一秒、

二秒、

三を数えきるほんのすこし前にふっと一瞬だけ身体にかかる重力がなくなった。


 どうやらわたしはまたつつがなく「周回」をしたらしい。


「十二万三千百六十三周目」

 どういうことなんだと不思議になるほどわたしは男の子に出会えない。


 やっぱりシステムのバグなんじゃないだろうか、と思うけれどこのシステムによる男の子とのマッチングというのがどのようにして行われているかなどわたしに知る術もない。


 このまま頑張って周回を重ねればテレビで見たことのある「婚活マスター」みたいな顛倒した存在になって有名人になることもできるのではないか……なーんてことを思ってみても実際は、同じく落下してゆく少女以外とは触れ合うこともできないのだ。


「つらい……」

 あまり考えないようにはしていたけれど、キラキラとした女の子が落ちてゆくのを見るとやっぱり胸が痛くなる。


 とても長い長い周回を経て、わたしが得たものなんてほとんどない。

 ただ上から下へ落ちてゆくだけの運動の間にひとが学ぶことなど無いのだ。


 ここにはこの建物があって、ここからこの人間が出てきたから、彼女はここに住んでいるのだろう、そんな認識がテトリスのように積もったり、消えたり。


 やがてはほとんど考えなくなる。


 わたしが特殊なのではなくて、世界を支えるためにはわたしがそういう装置を負わねばならないということ。落ちてはまた落ちる運動こそがわたしであり、それがわたしの生に与えられたひとつの役目である。


 ……だなんて、そんな考えに囚われはじめる。


「はじめはただ、素敵な出会いがしたかっただけなのに……」

 そうでなければこんなシステムには登録しないのだ。こんないくら周回してもマッチングに成功しないシステムなんかに。

「わたしは、愛してくれるなら誰でもいいのに……」

 ひとりごちた、その時だった。


『誰でもいいって本当ですか……?』

 声は空気の流れという形を取らず、聴覚に直接アクセスしてきた。

『あなたは、誰でもいいのですか?』

「ええ、わたしはただ、運命の出会いをしたいだけだったから……」

 素直な気持ちを吐露する。


別にわたしだってなにか特別なものを求めてこのサービスに登録したわけではない。強いて言えば、自分が恋愛に積極的であるとアピールすることに対して消極的だっただけといえるかもしれない。


『安心しました』

 わたしの聴覚に直接届く声は、その存在のアピールを強めていく。

まるで自分の生きる場所が確保されたかのように活き活きと周りの世界を侵害していく。


 わたしの耳には自然に聞こえてくるノイズのほかほとんど彼の声しか聞こえてこない。


 ……そう、彼だ。なぜだか分からないけれど、わたしの聴覚に直接アクセスする声は不思議と男性の声として脳に届いてくる。実際はどうなのか知らないけれど、処理としてはそうだ。


『ならば、わたしと結ばれませんか?』

 テレパシーのように直接脳に届く声がそう言った。

「……」


 わたしが動揺してなにも伝えずにいると彼はひとつのことを付け加えた。


『あなたと結ばれるために、あなたとわたし以外の可能性を、消し続けてきたんです』

 最も衝撃的なひとこと。もしかしたら人生で最も衝撃的だったそれに彼はもうひとつだけ付け加える。

『わたしが地球という存在である以上、その下位存在は全て自分の支配下にあります』


 彼はなんでもないようにそう言った。


「わたしは、どうなの?」

 わたしはなにも思わず、ただ純粋な疑問としてそう言った。


『あなたは、わたしの嫁になる女性です』

「うぜえ」

 言葉にしてしまったのか、言葉にしてしまったのだろう。


それはさておき、わたしがモテなかったのはてめえのせいかよこの野郎という気持ちでわたしの中は満たされていた。


 落下してる間のGは気にならなかった。

 落下している間、他の考え事をしていなかった。


『わたしと結ばれることを、許可してくださいますね?』

「断る」


 わたしは、地球との婚約を断った。



 高速度で落下し、やがて重力がゼロとなる。

 またわたしは偶然的に落下少女と出会い、また周回を重ねてゆくのだろう。

『そうですよ。わたしの呪いであなたは男の子と出会えないので』


 やっぱおめえのせいかよ、重いな畜生。

 次の周回はどうしようとわたしは思いを馳せる。

 今度の周回では、出会った女の子と結ばれるのもいいかなんて、そんなことを考えた。


『わたしが許しませんよ!』


「お前の許しを請うかよクソが」

 わたしは自分の星が定めた運命に、逆らうことを決めた。

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落下少女と星の恋 白日朝日 @halciondaze

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