第37話「少年領主の帰還」

 赤、白、ピンクの美しい桃の花が咲き誇る季節――。


 メイドのアイリーンはカルリエ屋敷の庭掃除をしながら春の訪れを感じていた。


 ――カインさまは未だお帰りにならない。


 逆賊討伐に出て丸々ひと月。


 次々と訪れる勝利の報に屋敷の人間がやや飽きはじめたころ、隣国パラデウムと和睦が成立し、いくさが終わったと聞いてから七日ほど経過していた。


「いつごろお戻りになられるのかしら」


 屋敷にいれば嫌でも常勝軍、カルリエの救世主と今や謳われるようになったカインの消息が次々と入って来る。アイリーンは近ごろ、少しだけ嫌な噂を耳にした。

 陣中にあるカインが刺客に襲われたという話で合った。無論、噂は噂に過ぎないが帰陣が遅れていると聞けば気になって仕方がない。セバスチャンに問うてみても「坊ちゃまはご無事です」の言葉しか返ってこない。


「うーし、掃除このへんにしとこー。先に戻ってるからねアイリーン」


「あ、うん。リンダ。わたしもすぐ行くから」


 メイドの仲間たちは気を遣ってかアイリーンを中庭にひとりにした。


 それがわかるからアイリーンは余計に心苦しいのだ。


「心配だな。どうしたのかな、カインさま」


 掃除する箒の手を止めて空を眺める。

 真っ青な天に浮かぶ白い雲がチカチカ輝いて目に痛いほど染みる。


 アイリーンは目を閉じて、待ち、しばらくしてそっと開けた。


 光がわずかに滲むばかりである。

 瞬間、風の匂いが変わった気がした。







 ――神経が眠っていた。


 カインは背中を卓に思いきりぶつけて転びながら迫る白刃を目にし自らの愚かさを激しくなじった。


 いつもならば、入ってきた瞬間に警戒しすぐさま護衛を呼んでいたところだ。


 転げ回りながらベッドに攀じ登る。


 手にした枕を投げつけると暗殺者は殺気の塊になって手にした短剣を無茶苦茶に振るっている。


 これだけ騒いでいて誰も駆けつけないのはなぜか――。


 運命の悪戯としか思えない。


(ここでバッドエンドなのかよ)


 カインも暗殺者も声を発することができない。また、その暇もお互いなかった。カインは十一歳にしては小柄なほうだ。大人とまともに組み合いになればあっという間に喉を掻き切られるだろう。


 どうして自分だけがこの血腥い世界で安全だと思い込んでいたのだろう。ゼンにいった自分の言葉を思い出す。そうだ。こんな場所は自分の死に場所じゃない。


「このーっ。カインくんになにするのよっ」


 援軍はまったく予想外の場所からやって来た。

 地母神であるオプレアが具現化し暗殺者の頭の周りを威嚇するように舞っているのだ。


 これには血走った暗殺者も気が動転してオプレアを追っ払うように短剣を振り回している。


 ほんのちょっとだけ気が削がれた。


 ――だが、それが生き残るための勝機。


 カインは転がった燭台を掴むと瞬発的に錬成を開始した。転げたロウソクの火が下した幕を伝ってメラメラと燃えはじめている。


「オプちゃんアターック。とーう!」


 オプレアは暗殺者の顔面に体当たりしてバランスを崩すことに成功した。


「若さま、どうしなすった!」

「カインさま!」


 天幕の燃える臭いに気づいたゼンをはじめとする護衛の騎士がわらわらと入って来る。


「そいつが賊だ! 絶対に逃がすなよ!」


 カインは座ったまま手にした燭台の金属部分を暗殺者に向けて投げつけた。たちまちそれは暗殺者の首と腕に絡みついて硬化し動きを封じ込めることに成功した。


「がうっ、がるううっ」


 動かなくなった暗殺者の腕にゼンが牙を剥いて襲いかかる。ガブッと噛みついたコボルトの顎に驚いたのか暗殺者は悲鳴を上げたが、この騒動はそこまでだった。


 十数人の甲冑をつけた騎士たちが暗殺者の上にのしかかり、たちまち捕縛は完了した。


「待った。まだ殺すな。生かして背後関係を吐かせるんだ」


 汗で張りついた前髪を手の甲でぐいと拭いながらカインが命じると、その場で座らされた暗殺者の兜や鎧が剥ぎ取られていく。


「コイツは――」


 カインは驚きを隠せなかった。なぜならば刺客としてあれほどまでに恐怖を覚えていた相手は、カインとそれほど変わらない十二、三歳の少女だったからだ。


「ふんっ。もうちょっとでアンタの首を掻き切ってやれたのに。残念だわ」


「君はなぜ私を襲ったのだ?」


「しらばっくれるんじゃないわよ。アタシはね、アンタがつい先日身ぐるみ引っぺがして領内を追放したラフォーレ商会ゆかりの者よ!」


 ラフォーレ商会と聞いて心当たりは充分あった。


(ドサクサ紛れでぶっ潰してやったカルリエ家御用達の商会か)


 カインは戦時のドサクサに紛れてラフォーレにパラデウムのスパイであると無茶苦茶な嫌疑をかけて借金を帳消しにさせた挙句、領内から追放したのだった。


 無論、ラフォーレはカインが追放した商会のうちのひとつでしかないが、このように身を捨ててまで仇討に来る家人がいるとは誤算であった。


「そうか。名前は。木石にあらねば名前くらいはあろう」


「メイドのシーラよ。なにが名君よ、このクソガキ。うちの旦那さまはアンタの爺さまと馬鹿オヤジに散々貢いだ挙句、丸裸にされてポイ捨てよ! おまけにお嬢さまは、お嬢さまは……」


 シーラと名乗った黒髪の少女は身体を地に押さえつけられながら、それでもカインをギラギラとした憎悪に満ちた瞳で睨み続けた。


「リリアンお嬢さまは盗賊に襲われて奴隷として行方知れずよ! 旦那さまと奥さまもどこにゆかれたのか。カイン・カルリエ! アタシだけは何度生まれ変わっても、きっとアンタを探し出してこの手で、この手できっと……!」


「カインさま。この場で処置を」


 リベールという騎士がシーラの首筋に剣を突きつけなんら感情を込めない声で進言する。


「……いい。とりあえず連れてゆけ。絶対に殺したり傷つけるなよ」


「は」


 シーラという少女はカインを激しく罵倒していたが、やがて口中に布を込められてその場を退場した。


「若さま。あっしがそばにいさえすりゃあこんなことには。奴隷失格で」


「いいんだ。隙を作った私が悪いのだ」


 カルリエ家の借金は並大抵のことでは返済は不可能だ。カインはそれでもカルリエ家を存続させ、また領地を保つためには多少の犠牲は仕方がないと割り切っていたつもりだった。


(これで本当によかったのか。ラフォーレ商会も、そしてシーラという子もおれが守らなければならない領民のひとりであったはずじゃないのか?)


 ふと視線を下げるとゼンがキューンと鳴きながら心配そうな目で見つめている。


 ――やり抜くと決めた。ならば振り返る暇はない。


「心配するな。それじゃ軽く後始末してとっとと屋敷に戻ろう。そろそろ自分のベッドでゆっくり寝たいからな」


 見透かされている強がりをやめれば前進はできなくなる。カインはそんなことを知っていたので形だけでも笑おうと唇の端を吊り上げた。






「きゃ」


 強く、大きく風が吹いた。

 ぼぼぼ、風が唸る。


 アイリーンは飛ばされそうになる髪留めを手で押さえながら目を必死に閉じた。


 かすかに聞こえた。

 轍を噛んで走る馬車独特の車輪の響き。


 手にした箒を取り落としたが拾うことはせず門に向かって歩いてゆく。


 風に嬲られ、それでも雄々しく翻るその紋章はカルリエ家の見慣れたものだ。


 馬車の向こうには幾人もの騎士が無数の馬を連ね整然と轡をそろえている。


 静かに馬車が停まる。


 小さな影がこれまたもっと小さな影と一緒に下りたのがわかった。


「わたし、目には自信があるっていいましたよね」


 アイリーンはスカートの裾を摘み上げることも忘れて千切れるように手を振りながら主人に向かって駆け出した。


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