錬金貴族の領地経営

三島千廣

第1話「オッサンは少年貴族」

 とあるオッサンは異世界に転生した。

 しかも、貴族で錬金術を生業とした家系だ。

 コミックであるならヒーローのポジションである。


 疑義を抱くことは許されない。


 オッサンの精神を持つ少年は異世界で非常に上手く立ち回る。


 すべてがサクセスに繋がりみんながハッピー。

 これはそういう物語である。

 主人公の内心がどうであろうとも――。







「まいったあああっ。すごい、すごすぎるうぅう! 坊ちゃまの剣は世界一ィ!」


「……いくらなんでもそれはないでしょう」


 カイン・カルリエ。


 錬金術でその名を知られる名門カルリエ家の嫡男である。


 元日本人のオッサンにして異世界貴族の転生体は目の前でわざとらしく尻もちを突いて唇をひん曲げている大男に冷めた視線を落とした。


「ふぅ。坊ちゃま。下男の賛辞は鷹揚に受け取るのが貴族としての嗜みですぞ」


「いや、あなたは私の剣の師匠でしょうが」


 ガチムチの大男――。


 カインの武芸師範であるサムスンは小指を咥えたまま切なげな表情で立ち上がった。


 スキンヘッドにカイゼル髭を生やしたこの男は、カインが王都ロムレスガーデン遊学中に両親がつけた教師である。


 異世界ロムレスの名門貴族に生まれたカインは、次期カルリエ家の当主として目され、その輿望は広く王宮に知れ渡っていた。


「ま、剣のお稽古はこれくらいでいいでしょう。わたしはカインさまのお母上と今後の教育に関して熱くディスカッションしなければなりませんので」


「……」


(ガキの前でそれをいうかね)


 サムスンはカインの母であるルイーズの愛人であった。


 カインが顔をヒクつかせるのも無理はない。

 なぜなら少年はまだ十歳なのだ。

 貴族文化で浮気は当然のものかもしれない。


 けれど、まだ子供であるカインがそれを聞くのは本来として相当にツラいはずだ。


 大人としての配慮がこのハゲにはないのかとカインは眉をしかめた。


「おや? 安心してください。わたしとお母上はプラトニックな関係ですので」


「頼むからメイドたちには見つからないようにしてくださいね」


 カインがいえるのはそこまでだった。

 母親の不義を表に出しても仕方がない。


 父親は父親で公然と片っ端から女に手をつけ、結果としてカインの兄弟は総勢で八人。


 その内カインと同腹なのは故人である長兄と一番下の姉だけだ。 


「カインさまも人生を楽しんでくださいませ。サムスンめはこの世の春を謳歌させていただいておりますので。――では」


 スキップを踏みながらサムスンは屋敷の庭を駆け去ってゆく。


 かようにこの家庭教師がつける授業も稽古も程度は知れている。


 よってカインは自助努力を否応なしに求められた。


「やれやれ、と。今日の課業はこれでシマイか」


 カインの母は四十そこそことはいえ、貴族の父が一瞬で魂を奪われるほど見初めた美女であった。


 母の美貌を受け継いだカインは蜂蜜色の金髪と輝く碧眼が惚れ惚れするほど魅力的な美少年であった。


(ま、この容姿だけでも生まれ変わった意味はあるかな)


 貴族で美少年。

 おまけに若い。


 これだけでも人生ベリーイージーモードである。


「人生を謳歌できるのはイケメンに限るか」


 生まれ変わってこの方、抜群の容姿を手に入れたカインは顔貌だけでどれほどの利益を享受してきたかわからない。


 そういった意味でこの世は不平等であることを誰よりも知っていた。


「けど、おれは庭でも眺めながら楽隠居が似合ってるな」


 カインは庭師によって美しく整えられた庭園をうっとり眺めながら目を細めた。


「む」


 その場で片膝を突いて地面に手のひらを当てる。


 瞬間的に脳裏へイメージを送ると土の中からひと振りの剣が電光を纏いながら現れた。


「ふむ。こんなものか」


 錬金術。


 土系統の魔術に類するこの技はカインのお得意であった。


 だが、無から有を生み出すわけではない。


 今行ったのは大地に眠っている金属成分を搔き集めて思い浮かんだイメージ通りに再構築する技術だ。


 そしてこの技は錬金術のほんの一部でしかない。


 錬金術士の本分は薬学や鉱物学に類するもので、カインの一族は先祖代々から病や怪我に効く秘薬を生産することで莫大な富を得、また王族に対する信頼を勝ち取ってきた。


 貴族である以上、いくさになれば戦場で指揮を執ることもあるだろう。


「だが――」


 カイン本人が剣を振るうときは負け戦において自決を行うときだけだ。


(サムスンが稽古をおれにつけたがらないのは無理もない)


 さらにカインの両親は祖父のように武張ったことは大の苦手で、その代わりに歌舞音曲や絵画や彫刻のような芸術を好んだ。


 カインも立てるようになるとすぐに、錬金術の素養として必要であると称して幾人もの音楽家や画家をつけられ基礎を身に着けるように強要された。


 だが、生憎とそちらのほうはまるで才能がなく平凡の域を出ることはなかった。


 今となっては、通いの音楽家の教師に屋敷にある楽器を弾かせて音を楽しむ程度になっている。


(さ、時間も余ったし、午後まではどこかで昼寝と決め込むかな)


 いかにもいい身分だ。


 十歳の少年の身の上とはいえ、彼と同じような年ごろの貴族はキチンと朝から晩まで分刻みのスケジュールに則ってしごかれているのだが、その点カインは長らく生きたオッサンの処世術で要領がよかった。


 両親が屋敷にいるときは真面目に勉学や芸術に励んでいる振りをして、あとはサムスンをはじめとする師範たちに鼻薬を利かせてのんびりとした生活を楽しんだ。


「あー、いい天気だな」


 芝生にゴロンと寝転んで青い空を眺めた。

 時間は朝の九時を過ぎたところだろうか。


 かつての社畜時代を思い出せば、ラッシュアワーの中青い顔をして通勤を行い嫌々ながらデスクに向かっている時間帯だ。


 しばし、うとうとする。

 夜はしっかり寝ている。


 この世界に転生してから十時間以上睡眠を取らなかったことは稀だ。


「あぁ、極楽だなー」


(異世界転生バンザイだ)


「これで酒でも飲めればいうことはないんだが」

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