四話 貴族の笑曲(スケルツォ)
「お友達とお茶会がありますの、一緒にいかが?」
シャルロッテにそう問われ、シーザーは滝のような汗をかいた。
朝食、使用人に囲まれシャルロッテと食卓を囲むことになったシーザーはやはり滝のように汗をかいていた。
目の前に用意された上品な食事は見たこともない飾られ方をしていて食べていいのかも分からない美しさだし、ナイフとフォークは何のためだと言いたくなるほどたくさん置いてあるし、どうしたらいいか皆目見当も付かなかった。
しかし、真っ青なシーザーの顔色を見てアリスが体調不良ということにして、部屋に戻してくれたのでことなきを得たのだが、少しトイレに行こうと部屋を出た瞬間にこれである。
シーザーは、とりあえず首を横に振った。こんな時に限ってアリスがいない。
しかしシャルロッテは強引にシーザーの手を掴むと「遠慮なさらずに!」と半強制的にテラスへと連行した。
そこには貴婦人が五人ほど、既にテラスの席に座ってお茶をしていた。
「体調は良くなりまして? おいしいお菓子がたくさんありますわよ」
「まぁ、この子が例の? とても美しいわぁ」
「本当、ピエール子爵の所の娘も綺麗だったけれど、負けず劣らず綺麗な金髪青眼だこと」
女たちは扇で口を隠しながらオホホと笑った。シーザーはただ黙って俯く。女とバレてはいけないし、下手をしたらアリスの計画が丸つぶれだ。
だが、次の瞬間シーザーの腹は壮大な音を立てた。
一瞬場が静まり返った直後、女たちが一斉に笑い出す。
「あらあら、うふふ」
「信じられませんわ、誰かしら?」
「あら嫌だ、動物の鳴き声かもしれませんわ」
さも楽しそうに歓談する貴婦人達に、普段ならなんて事は無いはずなのに少しだけ恥ずかしくなり頬を紅く染める。
しかし不意に、俯いていた視界に焼き菓子を持った手が現れ、シーザーは思わず前を向いた。
「可哀想に、お腹が空いてましたのね! はいどうぞ」
目の前ではシャルロッテが、さも当然のように笑顔で焼き菓子を差し出していた。
その笑顔は、シーザーを馬鹿にした笑顔ではなかった。見つめ返すとシャルロッテはキョトンとした様子でシーザーを見つめている。
「あら嫌だ、またあの子ったらああして良い子ぶっちゃって」
「仕方ありませんわよ、父親にまで見捨てられて、ああして誰も彼ものご機嫌をとる以外に何の役にも立たないんですもの」
「ふふ、そう言えば昨日の舞踏会にも招待されなかったとか」
そんなシャルロッテの様子を遠目に、背後で女たちがヒソヒソと噂話をしている。自分たちは席も立たず笑っていただけの所を、こうしてシャルロッテに気配りで負け、自分達の浅ましさを相手を蔑むことで正当化しているのだろう。
シーザーは何だか腹が立った。
だからシャルロッテに妹を真似して優しく微笑みかけると、その掌をそっと取り、甲にキスを落とす。
突然のシーザーの行動にシャルロッテも女たちも目を見開いたが、その手を更に引き寄せて耳元で囁く。
「貴方に幸運と祝福を」
シャルロッテの顔が真っ赤に染まり、そしてシーザーのそのどこか低い声に困惑する。
けれどシーザーはスカートを上げながらお辞儀をすると、さっさとその場から立ち去ってしまった。
「あら嫌だ、やっぱりメガラニカの蛮族ね」
「本当、品もなければ礼儀も知らない、見た目が良くてもあれではねぇ」
シャルロッテの背後で女たちは高らかに笑う。
けれどシャルロッテは、キスされた手の甲を一人じっと見つめていた。
テラスを出ると、そこにアリスが立っていた。
ニコニコ笑っているアリスにシーザーは見るからにぶすたれた表情をしてみせる。
「お前、見てたろ」
「貴婦人の噂話は電光石火で広まるからね」
好都合だわと言いながら歩き出すアリスに、シーザーも慌てて後を追う。
「それで、これからどうするんだ?」
「そうねぇ、アンタはそろそろこの街を出ましょうか?」
「はぁ?」
アリスはニッコリと微笑んでいる。シーザーはその突飛な考えにいつだって理解など至らず、ただ困惑するしかない。体良く厄介払いしようとしているだけなのではないか、結局この男だって貴族なのだからどこまで信用していいものか。いかにも訝しげに見上げるシーザーに、アリスは愉快そうにあははと笑った。
「信用されてないのねぇ」
アリスの視線が前を向く。
「まぁ、見てなさい」
その瞳は自信に満ちて輝いており、その瞳を悔しいが、シーザーは頼りにしてしまっていた。
「ほうら、来た」
あれからシーザーはアリスに連れられ応接室へと入り、出された軽食を誰も居ぬ間に遠慮なく貪っていたところだった。
扉をノックする音がして、中にこの屋敷の執事が入って来る。
意味がわからず眉を寄せているシーザーをよそに、執事はアリスに歩み寄ると「アリス様、客人にございます」と丁寧に頭を下げ「こちらへ」と歩き出した。
「お嬢様も是非ご一緒に」
そう言われ、立ち上がり歩き出したアリスにシーザーも慌てて続く。案内されたのはまた別の応接室だった。扉が開き、シーザーは目を見開く。そして今すぐにでも殴りに行きたい気持ちをぐっと堪えて、目を伏せる。
「おぉ! なんと美しいことか!」
そこに待っていたのは、ピエール子爵であった。
「わざわざいかがされました? ピノ・ピエール殿」
アリスは言いながら優雅な挙手でシーザーを席に座らせてから、自分も席に着く。
子爵と、後ろには兵士と従者が控えている。それを確認しながらアリスは笑顔を崩さなかった。
それは子爵も同じこと、笑顔のままで話は続く。
「いえ、キルナの美しい娘が街に来たと噂を聞きましてね。私の娘もキルナ出身ですし、是非屋敷に招待したいと参ったのです」
「あらそうなのですか、残念ですね……竣工式も終わりましたから、もうお帰りになるらしいのですよ」
ねぇ、とアリスに問われ、シーザーは少し慌てたが表には出さずこくりと頷く。
「そうなのですか? ならば我らが故郷までお送りしましょう」
子爵の申し出に、シーザーは思わずアリスを見つめた。アリスはさも人の良さそうな笑顔を浮かべシーザーを見つめてから、子爵に視線を戻す。
「彼女は声が出ないのです、ところで……私の方で彼女を国境線までお送りすることになっていたのですが、ピエール殿は故郷までとおっしゃいましたか?」
「えぇ、私の寄付でメガラニカに私設医師団を派遣しているのですよ。その関係でキルナの方もメガラニカ政府に通行許可を賜っておりましてな」
「それは素晴らしいですね。メガラニカは政権交代で国が乱れていると聞きましたが……当然医師も不足しているでしょうね、素晴らしい慈善事業です」
難しい言葉にシーザーは途中ですっかり付いて行けなくなり、二人の話をただ座り聞き流していた。だが、ふいに子爵達の背後、応接室の窓の外、テラスに何かひらひらと動く影を見つけて目を凝らす。
ドレスだろうか、何か見覚えがあるそれを見続けてハッと思い至った。あれは先ほどシャルロッテが着ていたドレスではないか。
見れば窓も少し開いている、どうやら盗み聞きしているらしくこそこそと動くヒラヒラに、シーザーは少し呆れながらも無視をするより仕方がない。
勿論、アリスも気付いていたようだが敢えて何も言うことはなかった。彼女のストーカー癖は昔からで今に始まったことではなかったのである。
「ちょうど午後、派遣を予定していましてな。医師団のキャラバンに同乗されてはいかがでしょう? それならアルセーヌ公爵のお手を煩わす事もないでしょう?」
子爵は言いながらシーザーを見たので、慌ててシーザーもテラスから視線を戻し、けれど何と答えればいいのか迷ってアリスの方に視線を投げる。
アリスはけれどシーザーには目もくれず「それはありがたい話ですね」と子爵と何食わぬ顔で会話を続ける。
これは無言で行けと言っている、シーザーには分かる。アリスの目が笑っていない。
「そういう事で宜しいですか?」
そして満を持して問うてきたアリスに、シーザーもまた、満を持して頷いた。
もしや自分はこのまま厄介払いで強制送還されるのではとも思った。しかしもしそうなら逃げ出せば良いだけの事。毒を食らわば皿までだ。
子爵との話も終わり、昼過ぎに街の入り口で待ち合わせることになった。その頃にはテラスの人影もなくなっており、アリスとシーザーは子爵一行を玄関で見送る。
「まさかあんたが言った通り、しかもこんなに早くこの格好であいつを釣れるとは……で? これから俺はどうしたらいいんだ?」
「あんた、賢くなったわね」
アリスは子爵が見えなくなると同時に自室へと踵を返した。それにシーザーも分かっていたように続く。
「キャラバンはキルナへは向かわない」
自室に着き、何やら手際よく鞄に詰め込みながらアリスは問うた。
「何だよそれ、じゃあどこに行くんだよ」
「私の読みが正しけりゃ、あいつの屋敷でしょうね」
シーザーは目を見開いた。
アリスは準備が終わったらしい鞄をシーザーに投げてよこすと、ベッドに座り何やら怪しげに笑い声を上げ始める。
「まぁとりあえず任せなさい。アンタは屋敷で待ってりゃいいわよ」
さも愉快そうに、邪悪に微笑むアリスに引き笑いを浮かべながら、シーザーは寄越された鞄を見やる。荷物が思い切りはみ出ている。オカマの割にはこう言うところは粗雑らしいアリスにため息を吐きつつ荷物を仕舞い直せば、中身は何と女物のドレスばかりが入っていた。
「お前、なんでこんな女物ばっか持ってんだよ!?」
ドレスを掴みながら吠えるシーザーに、アリスは意味ありげに口角を上げた。これはあまり突っ込まない方が良さそうだと本能的に判断したシーザーは、まるで何事もなかったようにそっとドレスを鞄にしまう。
「さあて、私も仕事しなくちゃね」
アリスはそう呟くと、ベッドから立ち上がりクローゼットに手を掛ける。何だか嫌な予感がして、シーザーは思わずゴクリと喉を鳴らした。
開け放たれたクローゼットには、サイズの大きいドレスがこれでもかというくらい収められていた。
そしてシーザーは強く思った。
「不安すぎる……」
「声に出てるわよ?」
いそいそと着替え始めたアリスに一応背を向けて、シーザーは強く、強くそれはもう死ぬ気で、自分がなんとかしなければと誓うのだった。
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