七話 黒幕系仮想聖女と英雄の出会い



 【イリオン】

『地名』現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南にあったとされる。

『補足』イリオスのイオニア方言系の名前。トロイアは古典ラテン語。




    $ $ $ $ $ $ $ $ $ $ $




 自身の子供たちや王妃らに疑うような目を向けられ、居た堪れなくなったのだろう。ウォッホン! とわざとらしく咳払いをしたイリオン王ラーオメドンは、嬉色と緊張を均等に現した表情で佇む少女に言い放った。


「なんだ、小娘。俺はお前のような子を持った覚えはないぞ。このような時勢で我が子を騙るとは不届き千万、誰ぞこの小娘を――」


 と、そこまで言い掛けたところでラーオメドンは言葉を失った。

 自らの潔白を妻子に示すため、敢えて非情な物腰で応じようと決めた途端である。尻すぼみに声を失くしたラーオメドンは、この身を父と呼んだ少女の容姿に見惚れていた。


 耳先を隠す程度の黒髪は、毛先が丸まり柔らかそうな印象がある。肌は目を奪われるほど白く、ミルクのように甘そうで、何より生まれたての赤子のように清潔であり綺麗だった。

 そして何よりも心を奪われたのは、その顔立ちと肢体に対してである。ぱっちりとした双眸は深い教養の色彩を帯び、碧い瞳は清らかな心根を灯す光が詰まっている。涼やかな目鼻立ちは神の施した彫刻の如く整い、しなやかな四肢はすらりと伸びて健康的な美を体現していた。

 少年的でありながら、崇高なる乙女のように柔らか。中性的と言うには些か少女的であり、少女と言うには性的な香りがしない。形容として相応しきは、触れるべからざる聖なる少女、といったところだろう。


「―――」


 不覚にも、時と場を忘れ、うぶな少年のように立ち尽くしてしまう。

 だがラーオメドンを責める者などいなかった。その場に居合わせた全ての人間たちが、同様に聖なる乙女に見惚れていたからだ。

 男たちは少女の美しさと神聖さに、『その清らかさを汚したい』という獣性に駆られ。女たちは少女の肌の美しさに敗北感を覚え、嫉妬し、完璧な調和を醸すそれを崩したくなる。


 夜の闇を閉じ込めたような髪は、畏れ多くも夜の女神ニュクスの先触れのようだ。穢れなき白い肌は、女神王ヘラの乳を連想させる。碧い瞳も、湛える聖性も、何もかもが浮き世離れしていて。そのくせ人間の領域を超えた神々の美とは異なる、人智の極致とでも言うべき黄金比を形作ってそこにいる――老王ラーオメドンは、無意識に傍らの妻たちを見た。

 オリンポスの神々が治める地は、一夫一妻制だ。しかし権力者が妾を持つのは珍しいことではなく、ラーオメドンも多くの例に漏れず妾を抱えている。

 王妃としているのは河神スカマンドロスの娘ストリューモーだが、プリュギア王オトレウスの娘プラキアー、レウキッペーを妾にしていた。

 彼女たちはいずれも子を成した女でありながら美しい。彼女たちが生んだ娘たちも母に劣らない。だがこの少女と比べたら月と鼈である。女神と賤しい魔女を並べたようにすら見えてしまう。


「い、いや……そうだな、うむ……よくよく見れば、若かった頃に出会った女の面影がある、ような……そなたは誰の娘だ?」


 最初は、ここからつまみ出せと言うつもりだった。だが我知らず発言を撤回し、ラーオメドンは必死にかつてまぐわったことのある女たちを思い出す。

 この少女の母は下級女神ニュンペーのカリュベーか? いやカリュベーは金髪だ。ラーオメドンは茶髪。カリュベーは彼女の母ではあるまい。では若い頃、行きずりの女を手籠めにした時に宿った娘か? しかしこんなにも美しい娘を生みそうな、美しい女には出会ったことがない。

 正常な思考で考えるなら、この少女は明らかにラーオメドンの娘などではなかった。だがラーオメドンは無意識にその事実を否定する。なぜならラーオメドンは、この少女との接点を欲したからだ。是非傍に置きたい、そしてその体に触れたい。貪りたい。老王ラーオメドンの頭を占める思いはそれだけだ。

 その賤しい肉欲の目に晒されても、少女はふわりと微笑む。清楚さと貞淑さを醸して。


「私の母を、お父様は存じ上げないでしょう」

「な、なぜだ?」

「母はお父様を一方的に知り、一方的に想い、お父様がお眠りの間に一度だけ交わった卑しき者。お父様が母を知る道理はございません。よって恐ろしき魔女であった母の名を告げるのは、まったくの無意味というものです」

「――魔女の娘ですって!?」


 少女の告白へ真っ先に反応したのは、王妃であるストリューモーだった。


「魔女の娘が、よくもイリオン王の面前に恥ずかしげもなく立てたものです。よからぬ魂胆が透けて見える、即刻イリオンから立ち去りなさい! さもなくば怪しげな術を扱う前に、イリオンの戦士が貴様を討つであろう!」


 薄い金の髪を持つ熟れた女は、敵意も露わに少女を睨みつける。なにせ魔女の娘だと名乗ったのだ。恐ろしき魔の術を操る女の娘だと。

 神や異形の化物が現実に存在し、不可思議な理に基づく超常現象を巻き起こす人間がいる世界で、魔女とは薄汚い化物と同種の存在だ。彼女の反応は正しい。圧倒的なまでに常識的だ。

 しかしストリューモーの腹の底にあるのは、魔女へ向けるものとは別種の恐怖と嫉妬だった。魔女の娘が夫を操り王妃の立場を追われるのではないか、という恐怖――女としての美で、足元にも及ばないという自覚からくる嫉妬である。


 ラーオメドンは長年連れ添ったはずの女の金切り声に不快感を覚える。自身の欲望の邪魔立てをするストリューモーを、彼は疎んだ。


「黙れストリューモー! 俺を訪ねてきた娘を追い返すだと? お前の一存でか? ふざけた真似をするな、俺に娘を放逐しろと言うのか!」


 怒号を発したラーオメドンは、早くも少女を己の娘だと位置づけた。

 これに対してストリューモーは鋭く反論する。


「まあ、あなたがそれを言いますか!? イリオンを襲う恐ろしい化物に、イリオン中の処女を一人残らず生贄として捧げたあなたが――今更! 今更よき親を気取るなんて、そんな白々しい真似をなさると!?」

「ぬッ――」

「終いには唯一残った純潔の娘、ヘーシオネーを神託通り生贄にしようとまでしていらっしゃったのに、親の道理を持ち出すなど見当違いとしか言えないでしょう! ああ、そこのあなた。魔女の娘。あなたは純潔の身ですか?」


 痛いところを突かれて言葉に詰まったラーオメドンに捲し立て、勢いそのままに問い掛けてくるストリューモー。それに少女はにこりと微笑んで素直に応じた。


「はい」


 ばかめ、とストリューモーの顔には書かれている。だが少女は余裕を失わない。

 それを見たストリューモーの、王妃としての勘が警鐘を鳴らした。

 しかし何を感じたのか、彼女自身ですら思い至らず、とにかくこの少女を排除してしまえばいいと結論する。


「ではあなたをヘーシオネーに代わる生贄にしましょう。それで今しばらくはイリオンに平穏を齎すことになるはずです。あなた様、よろしいですね?」

「ぐ、ぬ……」

「は……母上、それは些か哀れでは――」

「お黙りなさいポダルケース! 親同士の話に割って入る子がいますか!?」


 反論できないラーオメドンに代わり、少女に魅入られていた男が庇おうとするのを母が一喝する。

 だが傲慢で強情なラーオメドンが、王妃とはいえ女の身に押し負けるのをよしとするはずもない。こめかみに青筋を浮かべてストリューモーを睨む。


「おのれストリューモー、王たるこの俺になんと無礼な! 俺の決定に口を出すとは未だに身の程を知らんらしいな!」

「う……」


 短気なラーオメドンの怒気に、気丈なストリューモーも怯む。夫の気質を知ればこそ、一度怒り出せば始末に負えないことをよくよく知っていた。

 言うまでもなくこれはラーオメドンの逆上である。王妃ストリューモーは、夫がこの若い娘に色目を向けているのを察知していた。故に何が何でも排除しようとした。だがラーオメドンを怒らせると恐ろしい事態が待ち受けているだろう。


 そこへ少女が呑気な声を差し挟む。

 神罰として現れた化物にどう対処するかを話し合う場へ、唐突に現れるなり『お父様!』と叫び険悪な空気を運び込んだ少女は――愉しげに、微かに嗤っていた。


「え、何が始まるんです?」


 訳が分からない、どうして不和が起こっている? そう言いたげな顔、声、仕草。悪意はないのに、邪悪な喜悦を滴らせていた。あたかも不和を煽る破滅の化身のように。

 だがその少女の喜悦に、背筋を凍りつかせたのはストリューモーだけだ。王妃として王の傍に居続けた、女であり母であるストリューモーだけが気づいたのだ。


「ん……見苦しいところを見せたな。それで、だ。娘、おまえの名を聞かせてくれ」

「はい。私はニコマと申します」

「おお、名前まで愛おしい響きだ。ならばニコマ、おまえを我が娘と――」

「なりませんっ! 魔女の娘を受け入れることだけは認めてはなりません!」


 ストリューモーは、本能的に叫んだ。ぎろりと横目に睨んでくる夫に、ストリューモーは理屈もなしに少女の危険性を訴えようとする。

 しかしそれを遮ったのは、煩わしげにしているラーオメドンではなく、ニコマと名乗った小娘だった。


「ご安心ください、ストリューモー様。私はお父様に認知していただき、イリオン王家に迎え入れてもらおうとしているわけではありません」

「――え?」

「に、ニコマ? 何を……」

「私は不義の子。身の程を知ればこそ、ほんとうならお父様の元へ現れるつもりはありませんでした……」


 驚き、戸惑うストリューモーとラーオメドンに、ニコマは切なげに目を伏せて語る。――騙る。

 声の抑揚、悲しげな目、嘘偽りなど感じない誠実な物腰。ストリューモーが感じた邪悪さなど錯覚であったかのように、訥々と言う。


「しかし、そうも言ってはいられなくなったのです。お父様は王として厳格であらせられる御方ですが、神々には傲慢な王として見られてしまいました。そしてあろうことか、お父様の傲慢さが如何ほどのものかを試すと称し、太陽神様と海神様が一年もの間、人間に化けて仕えに来たのです。

 お父様は彼らがオリンポスの偉大なる神々であるとは知りませんでした。故にお父様は、王として築き上げようとしていた城壁の建設のため二柱の神々を酷使なさった……。神とは知らずとも優れた力があるのがお父様には分かったからです。そうしてイリオンの城壁と都市全体の改築は成り――しかしそこで正体を現した太陽と海の神々は、法外な報酬を要求なさったと聞きます。

 これは神の理、逆らうことなど赦されません。しかしお父様はイリオン王、神ではなく人の理に沿わねばなりません。神としてではなく人間として働いた神々に、要求されたまま法外な報酬を支払うわけにはいかないと判断なさったのですよね? 人として働いた以上はそれに値するものしか支払う気はない、と。であれば人の身である私は、神を絶対としつつもお父様にお味方したい。神の顔を立て神罰を受け、お父様の顔を立てこれを守る……そのためにこそ私は来たのです。

 ――つまり要約しますと。魔女の娘が母の犯した不義の償いとして、イリオンを襲う脅威に対処するということです。この国難の解決を、どうかこの私にお任せ頂けませんか?」


 ニコマの言は、多分にラーオメドンを美化していた。

 城塞都市国家イリオンが神罰を受けてしまった経緯は、確かにニコマの言った通りのものだ。神々はラーオメドンの傲慢さを試し、人として働いた。

 だが神々は仕事を終えた後に正体を現し報酬を要求したが、それは別段法外と言うほどのものではない。他の労働員とは別格の働きをした分を要求しただけだ。

 だがラーオメドンはこれを断り、立ち去らなければ耳を削ぎ落とし、両手を縛って人買いに売り飛ばすと脅しつけたのである。オリンポスのアポロンとポセイドンが怒り狂うのも当然の対応だった。


 しかしニコマはそこの部分にはまったく触れない。徹頭徹尾、ラーオメドンが正しいと信じているかのような顔をしている。

 ラーオメドンの神を神とも思わぬ不遜な対応を知らないのだろうか? あるいは知っていて無視している?

 ニコマの申し出に男たちは感激し、女たちは感心している。ニコマの対価を求めない高潔な姿勢に感じ入るものがあるのだろう。だがストリューモーは、どうしてか冷や汗が流れるのを感じてならない。


「ただ……私を娘とお認めくださったことだけを、報酬としていただきたく思います。それ以外には何も求めません。お父様、私を信じてください」


 巻き込まれている。彼女の齎す流れを押し付けられている。

 母の不義に対する償いと言った口で、無形の対価を要求していた。王の娘という血筋の背景を、手に入れようとしている。

 形のあるものを何も求めていない、それが却ってストリューモーの危機感を煽った。


「う、うむ……だが、な……」

「事が解決すれば、私はお父様の指図に従います。如何様に処分されても構いません。ですので、どうか」


 ストリューモーは、己に言い聞かせる。どのように処されてもいいなら、追放だ。彼女がどこで何をしようと、イリオンが無事なら関係ない。

 だから恐れることなどないのだ。この人智の極限とも言える美貌の少女は、あくまでイリオンに害をなさないはずである。そうでないならイリオンを守り救う意味などないはずなのだから。


「……分かった、では神罰の獣『マレハーダ』討伐をニコマに任せよう。だが大丈夫なのか? 女の身でほんとうに『マレハーダ』めを討ち果たせると?」

「はい。万事お任せください。お父様が剣と槍をお与えくだされば、私は母より学びし魔術と共に用い、必ずや神のお怒りを鎮めてご覧に入れましょう」


 ラーオメドンはニコマを信じた。いや、信じたのではない。ニコマを欲する心が、ニコマへの肩入れを容認させた。

 この少女を手に入れたい。その身と心を己のものにしたい。そのために、魔女という存在の娘に任せたのだ。

 恩を与え、自分の下に縛り付けよう。ラーオメドンはそのように考え、国宝とも言える宝剣をニコマに与えることにした。


 ――ストリューモーは、ひそかに震撼する。


 この少女はたったの数分足らずでイリオン王の信用を勝ち取ったのだ。

 自身の容姿と話術、それらを駆使して男の心を操ったのである。

 何も求めない償いのはずが、イリオン王が父親であると認める血の繋がりを得て、ラーオメドンが自身に肩入れした瞬間に一見当たり前の、化物に立ち向かうのに必要な武器……形ある財宝を求めた。

 ラーオメドンは確実にイリオンの宝とも言える宝剣を与えるだろう。それがストリューモーにははっきりと分かった。イリオン王家の者だけが手にしてもいい宝剣を、たった今、できたばかりの娘の手に渡る。

 不自然な流れはない。しかし結果だけを見ればなんと恐ろしい手腕なのだ。傾国――その言葉が王妃の頭に過ぎり、そして願った。どうかこの魔女が、神罰の獣に喰われ死んでしまいますように、と。

 ニコマが生きていると、それだけでイリオンはよくない未来を迎える気がしてならなかった。




   $ $ $ $ $ $ $ $ $ $ $




「はい、王様の信用と武器げっちゅしちゃいましたぁー」


 くすくす、と笑う。

 くるくる、と手の中で宝剣を廻す。

 チョロいもんですよと嘯いて、得意げに胸を張る。




【英雄志望689:ニコちゃん……恐ろしい子っ】


【英雄志望690:え……? なにこの……なに?】


【英雄志望691:ひぇぇ……マジで王様に取り入っちゃったよ……】


【英雄志望692:相手の情報をメタ目線で持ってる上での交渉(詐欺)である。えげつない】


【英雄志望693:マジでニコちゃん何者なの? ほんとに十五歳?】


【英雄志望694:待って。ちょっと待って。え? なんで? なんでこんな簡単に信用してもらえたの?】


【英雄志望695:なんででしょうかね? さあ問題です、人を騙すのに必要な技能はなんだと思う?】


【英雄志望696:え!? 話術とか……?】


【英雄志望697:残念。正解だけどそれだけじゃないんだなこれが。人を騙すのに一番大事なのは、それっぽい空気なのよ】


【英雄志望698:はあ?】


【英雄志望699:どんなに話し上手でも、話に筋と理屈が通ってても、話してる奴に胡散臭い雰囲気があると信じてもらえん。「それっぽい空気」を出すのは相手を騙したりするのに必要な技だぞ。あと大事なのは外見だな】


【英雄志望700:現地の人間見たか? 王族は男も女も身綺麗にしてたけど肌のハリとか色んなのが荒れてたろ? 時代的に仕方ないっちゃ仕方ないが、生身のアバターとはいえまっさらな体のニコちゃんに、体の綺麗さで勝てるヤツなんか人間にはいない】


【英雄志望701:加えてニコちゃん、アバターじゃん。自分で外見のレベル上げてるわけよ。……人が人の理想としてるレベルだぜ? (勝てるわけ)ないじゃん】


【英雄志望702:さらにこの時代、娯楽少ないっしょ。男なんざみんなケダモノよ、女に目がない。美人なだけで男の欲補正が掛かる。外見が良くて、雰囲気があって、話も上手い。大概の男はコロッと騙されるだろうぜ】


【英雄志望703:得意げに語ってるけどほんとにそれ正解なの? どうなんですかニコちゃん!】




「さあ? 私、そんなに深く考えていませんよ? ただまあ……初手で頭押さえて、流れ掴んで、イニシアチブ握って勢いで押せば、多少話下手でも押し切れちゃいますね。

 交渉事とかって頭のデキで殴り合ってそうなイメージがあるかもしれませんけど、根っこは子供の口喧嘩と同じです。どこまで自分のペースを押し付けて迷いなく強気に押してイケるかが肝。ハッタリ織り交ぜて流れの舵を自由に切ることができれば勝ったも同然。

 今回私が使ったハッタリは、魔女の娘ってとこですね。ギリシア神話だと魔女ってコルキスのメディアが有名でしょ? 神様がいるわけですし、ほんとうに魔女もいるかもしれないってとこに賭けてみました。

 で、イリオン王ラーオメドンが子沢山だってことを知ってたので、私が初手の『お父様』呼ばわりで殴り、相手側の反応を見て流れに乗り、ちょくちょくこっちに流れが来るように刺して、さりげにこっちの目的に着地させただけですよ。誰でもできますし、冷静になられたら誰でも論破できます。ちょっと今回は雑でしたね。彼らが冷静になれないように振る舞いはしましたけど」




【英雄志望704:誰でもできる(できません)】


【英雄志望705:論破できる(できません)】


【英雄志望706:(´;ω;`)ニコちゃんの基準押し付けないで】


【英雄志望707:ちょっと今回は雑でした……雑? 雑だった?】


【英雄志望708:文字に起こして粗を探せば見つかるだろうな。雑だったねと評価できるかもしれん。だけど実際にリアルタイムで追ってる側からすると雑じゃなかった】


【英雄志望709:ニコちゃんの前世は詐欺師だった……?】


【英雄志望710:ところでニコちゃん、スゴイ剣捌きでつね……剣自体もなんかスゴイけど】




「んぅー?」


 不意の指摘を受けて手を止める。

 私はイリオンの外に出て、海岸沿いに来ている。断崖絶壁だ、打ち寄せる白波と剥き出しの岩礁は、落ちた人間の死を確約しているようだ。

 ここに神話的怪物さんへ生贄を捧げる祭壇があるらしい。場所だけ教えてもらい一人で来たが、すぐに怪物さんが顔を見せてくれることはなく、暇だったので剣技の練習をしていた。


 さながら、剣舞。


 以前クリアしたデスゲームの中には、刀剣を主体にした戦闘システムの物があり、それに実装されていた剣技スキルをなぞって慣らしているのだ。

 しかし指摘を受けて気づく。

 体のキレが異様にいい。最適の剣筋を自然と編み出して、剣技スキルの補正を完全に再現するどころかそれを超える冴えを見せていた。達人の技術を再現したものでも所詮はゲームのシステム、実戦の技には程遠いはずが……。


「………」


 ニコマ・ソクオーチというアヴァターラが保有する、『未完の大器』スキルによる才能の底上げ。それが関係しているのは疑いの余地はない。だがそれだけではないような気もした。

 あるいはこれこそが、軍神アレイスの血の加護か? 戦闘技能の習熟難度を引き下げ、完成度を高めるのに最善最短の道を直行するもの?




【英雄志望711:バッカおめぇ、イッチのプレイヤースキル舐めんなよ? 日本自治区内のデスゲームまとめサイトに載ってる、ベストバウトランキング三位『山口駅VS羽田クーコー』見てみろ。バカスカ剣技スキル打ち合って神回避しながら戦ってんぞ】


【英雄志望712:なにその異種格闘技戦、ちょっと見てくるわ】


【英雄志望713:駅が空港に勝てるわけないだろ! いいかげんにしろ!】


【英雄志望714:ところがどっこい勝って生き残ったのは山口駅! 現実、これが現実……!】


【英雄志望715:やまぐちえきちゅよい】


【英雄志望716:つまり今ニコちゃん、その剣技スキルをリアルで再現してるわけだ……もしかしてニコちゃんは天才なのでは?】




「んー……私は運動神経は良い方ですが、天才とは言えないレベルだと思いますよ。多分これ、ニコマの『未完の大器』の補正と、アレイス様の血の影響ですね。お忘れかもしれませんけど私、今は半神ですから」




【英雄志望717:なんやて! チートや、チーターや!】


【英雄志望718:あー……そういやそんなこと言ってたな。大丈夫なん?】


【英雄志望719:心身に影響出てるかってのもあるけど、半神になっちゃったら神様連中に感知されたりしない? バレたらヤバイ気がするけど】




「心、精神の方には特に何も……ですが体はメチャクチャ影響受けていますねこれ。身体能力と戦闘技能に関する補正、エグいことになってるみたいです。見てください」


 言いつつ全力で跳躍する。その場で真っ直ぐ十メートル以上飛び上がり、四十回ぐらい転回し綺麗に姿勢を保ったまま着地した。

 人間離れしているどころの騒ぎではない。まさしく超人的だ。




【英雄志望720:えぇ……】


【英雄志望721:ヤバイ(確信)】




「一応、アレイス様の血を私のアヴァターラに混ぜるにあたり、神の気配なるものが現れないよう隠蔽はなされてるはずです。でなければ神に出くわしたが最後、一発で半神化がバレて首が飛びそうな気がします。尤もその隠蔽も通じるか不明な、試行されたものなんでしょうけどね。そうです私が実験体です」


 まあバレたらバレたで構わない。死ぬだけなら安いものだ。


「ところでこの剣、なんだと思います?」


 言いながら持ち上げるのは、手に握っている宝剣だ。

 ギリシア神話の刀剣と言えば、青銅のものが主である。岩石を削って作られた刀剣もあるが、主武装は青銅製なのだ。

 最高神がクロノスの時が黄金時代、クロノスにゼウスが取って代わると白銀時代となり、白銀時代がゼウスに滅ぼされて青銅時代が始まるのである。現在は青銅時代を経た英雄の時代であり、これ以後が歴史に記される鉄の時代だ。

 つまり今は鉄製の武具というものはほぼ存在しないと言っていい。であればこの宝剣も青銅製であると見るのが正しい。


 だが違う。これは青銅製などではない。


 両手で持てる柄の握りの部分は黒革で巻かれ、柄頭には紅玉が埋め込まれている。鍔には幾何学的な紋様を刻まれた円盤が用いられていて、剣身にいたっては黒に近い青い材質で出来ている。そしてその剣身は、あろうことか日本の刀のような反りを有した曲刀となっている。

 青銅製ではない。岩石でも、黄金でも、白銀でもない。鉄でもガラスでもない、リアルに存在しない物質で作り上げられているのだ。

 神話の武器、という奴である。ラーオメドンに与えられる際に、スレ民に秘密にするため集音器を切り名前を聞いてみたところ、とんでもないビッグネームが飛び出した。




【英雄志望722:あれ? そういやニコちゃんに渡された時って、普通の西洋剣みたいな形じゃなかった?】




「ええ。実はこれ、所有者の望む形に変化するみたいでして。以前のデスゲームで私が使い慣れていた日本刀の形状になったみたいです。で、この剣。銘が『デュランダーナ』っていうらしいですよ」




【英雄志望723:ふーん。……え?】


【英雄志望724:あっ(察し)】


【英雄志望725:デュランダーナ? デュラン……デュランダル!?】


【英雄志望726:それってあれやん! ローランのあれやん! なんでこんなとこにあんの!?】


【英雄志望727:あれや、デュランダルってトロイア王子ヘクトルの剣だったからや!】


【英雄志望728:返してきなさい! めっ! めっ、ニコちゃん!】




「もう私のですので返しませーん。――と、そろそろみたいですよ」


 やおら賑やかになりはじめたスレから目を逸らし、断崖の果てに視線を転じる。

 体がざわついている。軍神の血が、昂ぶりを訴えている。強大な敵との戦いを前に、体温が急激に上昇して体から滲んだ汗が蒸気となった。

 立ち昇る白い蒸気。非現実的な体温。興奮とは裏腹に冴えていく意識。

 だがそれらよりもなお現実離れしているのは、遠くの海より姿を現し始めた怪物の方だ。


 海面より顔を出す、黒い恐竜。分厚い鱗は岩石の如く、見え始めた背びれは孤島の如し。筋肉の詰まった二本の尾は破壊の鞭、腕は短いものの備えた三つの爪はどんな刃物よりも鋭利だ。

 体長は百メートル近い。予想される体重は五万トンの半ばほど。顔立ちは厳つく、破壊の化身のような迫力に満ちている。

 化物だ。まさしく神話的怪物である。




【英雄志望750:怪獣キングだこれぇ!?】


【英雄志望751:世界観こわれちゃーう!】


【英雄志望752:いや似ても似つかんぞ。デカくて黒い、海から出てくるってとこ以外ほぼ違うだろ。一緒くたにすんな】




「うーん……この人間じゃ相手にならない感。帰っていいです?」


 だめ! とのレスが一斉に。まあ分かっていましたけど。


「じゃあ安価取ります。私、どうします? 下1からそれっぽいの先取で」




【英雄志望760:帰っちゃだめだめ! つまんないでしょ!】


【英雄志望761:逃げ癖がつく、逃げちゃ駄目だ!】


【英雄志望762:ゲェ! 奇襲安価ァ! 逃げずに戦って! 後はニコちゃんの好きにして!】


【英雄志望763:ウワァァ! 安価いきなりすぎりゅうぅぅ!】




「うーん……切った張ったは嫌いじゃないんですが、私の今のロールには合わないんで出来る限り避けたいんですけどね。それにほら、今の時系列的にそろそろじゃないですか? そちらにお任せしようと思ってたんですけど……まあいいです、オーケーですよ。好きにさせてもらいます」


 安価は絶対。逃げるわけにはいかなくなった。

 私はぼんやりと大型船舶の如く海面を泳ぎ、陸地に近づいてくる神罰の獣マレハーダを眺める。

 私を見つけているのだろう、主人の命令か何かがあり、私を生贄と勘違いして連れ去る気だったらラッキーだ。先制攻撃を叩き込める。このデュランダーナの斬撃が通じればの話だが。


 通じなくてもいいですけど、と内心に溢す。私はまったく悲観していない。『オリンポス』がギリシア神話に類似した世界観であるのなら、恐れることなどないのだ。

 何せ先程の話の中で、ラーオメドンは娘のヘーシオネーを生贄にするつもりでいたと聞いている。ヘーシオネーを生贄、ここから導き出される答えとは。


「――ほら、来た」


 私は笑う。この邂逅を狙って、こうして怪物退治なんて請け負ったのだ。


 背後から馬蹄が聞こえる。尋常ではなく強い蹄の音だ。

 振り返ると、そこにいたのは四メートル近い巨躯を誇る黒い裸馬。息を乱し今にも潰れてしまいそうな様子で、一人の偉丈夫を背に乗せている。

 その男の身長は二メートルほど。肌の露出している箇所全体に浅い傷が刻まれており、健康的とは言い難いほど黒く日焼けしていた。

 筋骨逞しく、男性の理想像のように筋肉が盛り上がっている腕で黒馬の頭を押さえつけ、無理矢理巨馬の歩みを止めた偉丈夫が私を見下ろす。


 そして、目を見開いた。


 その瞳の奥に宿る火は、激しい。だが強靭な理性がそれを鎮火させ、グッと情欲の大火を堪えたようだ。

 彼は獅子の鬣の如き金色の髪を有し、手入れもせず野放図に伸ばしている。裸の上に赤い外套を纏い、その下に無数のベルトで固定した白銀の腹甲と肩当てが見えた。時代にそぐわないレザーズボンと合わさり、不思議と着こなしている偉丈夫は、微かに声を震わせながら私に問い掛けてくる。


「娘、こんな所で何をしている?」


 その存在感。その背に負った長大な岩石のような棍棒。間違えようがない、彼と出会うために私は来たのだから。


 ――ヘーラクレース。散々利用し尽くして、ボロ雑巾のようにして捨ててやる!(三下ムーブ)










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る