「恋、」
熊男
第1話 困惑
その物語の題名は「恋、」。
男は家のトイレで何気なく読んだ新聞の記事と覗いてしまった。
《この映画は彼の今までの功績や作品の雰囲気には決して似合わない、『高校生の淡い恋』というものテーマにした作品だ。世間一般から見ると無難であろうテーマだが、彼の構成するそれは、どこか現実的でありしかし、特に結末にて賛否両論あり得る挑戦的な作品だと言えるだろう》
「うーん……」
男は思わず唸ってしまった。新聞を閉じると、持ち込んだラジオをつける。
〝お仕事中の皆さんも、そしてお仕事や学校に向かう皆さんもお疲れ様です! 『ユーカのバッテンラジオ』mcのユーカです!〟
彼にとって少ない癒しの時間だった。
〝みなさん、津田裕作さんが作った『恋、』ていう映画見ましたか? 私公開初日で──〟
静かにボリュームのネジを下げる。
男は静けさと二人きりになってしまった。
(なんでみんなしてこの映画の話ばっかり……)
男は「恋、」という映画がなぜ大ヒットしたのか疑問に思っていた。何せこの映画は大衆にウケそうな要素が少ない作品であり、ヒットした原作があるわけでも人気に便乗できるほどの俳優が演じていたわけでもない。
多くの人の心に響いたというのが答えなら、これほど単純明快で素直なものはない。映画制作で苦労する人間はいないはずだ。必ずどこかにその要因はある。隠されているというよりどこか見落としている男はそんな雰囲気があるように感じた。自称映画コメンテーターが言うには「おそらく実体験が加えられた作品。そうでなくては多くの人が共感できる内容とはなっていない」らしい。
これを初めて見たとき、男は震えた。人と人の間を走る冷たい隙間風のようなものを感じた。
こんなことをする意義はどこにあるんだと自問自答しながら、それでも映画のヒットの理由を調べることにした。
かつての友人が自分の映画の感想を書いているブログを見つけた。友人とは言っても高校以来会ったことのない、携帯に電話番号があるだけの友人だが、彼はどうやら一人のライターとして生きているらしい。彼は写真で見る限り高校と変わらないような明るい性格のようだ。人の写真をまじまじと見つめたことがないためか『明るい』ということしか男には読み取れなかった。
高校ではなりふり構わず何にでも興味を持っていた彼だが、他の記事を見るとその性分は変わってなさそうで色々な分野に触れている。非常に勝手だが、男はほっとした。学生時代、分け隔てなく接してくれる彼の性格に男は何度も救われた。
男は他にも感想をネットに上げている人たちを見つけた。こうしてみると、本当に色々な人が見たんだなと改めて実感した。
その中で、とあるSNSで映画のポスターと人が写っている写真が男の目を引いた。 ドクン、と心臓が一回飛び跳ねた。
こんなことしてはいけないと頭の中の自分が言う。だがその声は非常に小さい。洞穴の影から自信なく響かせて、絶対にそれより出口に歩み寄ろうとしてこない。後悔するぞという強い確信だけが背後から伝わってくる。
心が、胸の奥の方でジンジン燃える。
もう一度、ただそれだけ。
枯渇したはずのハイリスクノーリターンなエネルギーがもう一回心を満たしていく。
パンドラの箱を開けるような感覚だった。押してはいけないボタンを目の前に差し出されたような気分だった。時にスリルはこの世のどんな物より甘い知恵の実になる。
プルル、プルル。
電話が鳴った時、指はまだキーボードの上で止まっていた。
男はその電話のタイミングに感謝し、安堵する。その時間をじっと噛み締める。断じて苛立ってなどいない、断じて。
電話の主は偶然にも先ほどのライターになった高校の友人で、取材がしたいと言ったので快く承諾し、そのテンションのまま懐かしの地元トークに花を咲かせた。男がパソコンを見ないあまり無意識に閉じたので、写真のことをすっかり忘れ、最後は気持ちよく寝てしまった。
次の日、男は映画館に来ていた。やはり実際に来てみることより勝るものはない。
〝昔からアイツのことを本当に想っていたのは俺の方だ!〟
スクリーンの住人が外から見ている人間の存在も知らずに大声をあげている。客は見入っている。
映画は序盤こそ高校生らしいいわゆる青春の真っ最中という描写が多いが、主人公の少女は二人の少年と付かず離れずの関係が中盤の展開に不穏なものを感じさせる。
前半の何気ない日常が一番幸せであったということを、登場人物が気付く様子は一切ない。『仲間』の脆弱さ、発言と行動の矛盾、流されやすい感情。今まで大事にしていたことがゆっくりと崩れ落ち、お互いの化けの皮が剥がされていく。歪んだ彼らの心の想いの熱さは思わぬところに飛び火していき、巻き込まれた周囲の心は荒んでいった。
終盤、板挟みの状況に耐えきれなくなったヒロインが「二人とも嫌い!」と弁明の余地もなく切り捨てたことで、三人はお互いに口もきかなくなってしまう。
改善されることのないまま、三人はそれぞれ違う方向を向くのが当然となり、高校生活が終わってしまう。
残されたものは、固い友情か、それとも足枷同然の腐れ縁か。十年、二十年経っても三人のうち誰かが結論を出した様子はない。場所は違えども、時を同じくして大人になった三人が笑うシーンで映画は完結する。結末のない「恋、」だったというわけだ。
最終的には「忘れたい、消せない過去があったとしても、距離が離れれば上手に生きていける」という一つの生き方を提示するような終わり方となっている、……と記事では締め括られていたが。
バットエンドだ。現代の人間の多くがこの映画を見て感動するとしたら、随分とこの世には幸せな人ばかりいるんだろうと男は感じた。
前の席の女性が泣いていた。
男は戸惑った。
なんで泣けるのか? なんで感動できるのか? 男には分からない。逆にどうするべきなのか? 自分はどんなリアクションをしているのだろうか? それも一切分からない。映画自体に考察するならともかく、それを見ている人間の心理を知ろうとするなんて、俺は今何をしているのか。マーケティングという言葉は好きじゃない。
映画として素晴らしい作品を見ると、人々は現実にいることも忘れて映画の世界へ引き込まれる。全ての映画はそうあるべきだ。この映画はどうなのか。いや、そもそも人が泣くこともこの映画が感動させるものかどうかなんてことも、人それぞれの尺度であって、個人の尺度を追求したところでなんの利益にもならない。しかし、ヒットするということは何か共通する要素があるはずなんだ。じゃあそれは……。
「ハァ……」
頭が痛くなってくる。
辛いものを食べたときで悶えている時の声を想像しながら耳を澄ましても、それは泣き声以外に置き換えてられなかった。
気がつくと周りも泣いているどういうことだろうか。男は困惑のあまり「なんで泣いているんですか」と隣の人に尋ねてしまった。「えっ?」
隣の男性も含め四方八方から視線が飛んでくる。
「逆に感動しませんか? 僕は男だけどこの人(主人公の親友)はカッコいいと思いますし、こっち(主人公の少女)はどっちかを捨てなくちゃいけない状況で可哀想だなって思うし……」
「…………」
不審者と捉えられてもおかしくない人物に話しかけられても気兼ねなく話せるこの人はきっと良い人なんだろうなと思った。
「でもこの作品の登場人物って、単純に自分の欲望を整理できずにそれぞれが勝手に葛藤しているだけでしょう?」
後ろから舌打ちの音がした。
「それをどうしようもなく感じて考えすぎるのが学生特有の行動っぽくて、皆少なからずそんな経験があるから共感しているんだと思います」
男性は続けて言った。
「あなたもそんな風に感じたことあるんじゃないですか」
「で…、でも……」
前の席から騒ぎが気になった子供が母親の腕をよじ登って不思議そうに覗いている。従業員に注意される前に、逃げるように出口へ向かった。
家に向かうまでの間、彼の言った言葉が車のライトのように頭の中で点滅して、理性の信号が時にその言葉の侵入を許そうとしない。
理解ができても納得はできない。人それぞれに感じようの違いがあるなら、それは俺だけの感じようがあってもおかしくはない。妥協することは簡単でも、何か大切な物を失う気がした。
家に帰っておもむろに靴を脱ぎ、そろそろ靴を買わなきゃいけないと思いつつ、何気ないことを考える。
(マスク着けてなかったらバレてたかもな……)
津田裕作、33歳。無精髭にボロボロのステンカラーコートという酷い見た目を、映画監督という肩書きで周りに受け入れることに強制している。
(こんなに話題になるなら、もっとしっかり作ればよかった)
彼は自らが作った映画を後悔、さらに酷評までしている。
津田裕作。「恋、」という映画の脚本・監督・編集をしたこの作品の生みの親である。
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