移民アパートの憂うつ

弐刀堕楽

 ジリジリと焼けるような暑さのなかで目が覚める。

 枕元では目覚まし時計が、けたたましく俺の起床を催促さいそくしていた。

 その音もまたジリジリジリ、だ。


「まったくイヤになるぜ」


 ひとりごちる。俺の声は想像以上にかすれていた。まるで大量の干し肉ジャーキーをほおばったときのようにのどがかわいていた。

 全身のくだという管がカラカラに干上がっている。それもこれも、このいまいましい気温のせいだった。夏という残酷ざんこくな季節が、俺の身体からまるっきり水分をうばい取っちまいやがったんだ。

 おかげで俺は朝っぱらから、晴れて念願のジャーキーに変身できちまったってわけ。自家製の汗くさいジャーキーがいまここに誕生した。ワーオ、夢がひとつかなったよ。ありがとう神様しんでくれ。


「ああ、カーテンを閉め忘れていたのか。くそが」


 窓からし込む日差しがにくい。ベッドの上は天然のオーブンレンジと化していた。湿っぽいベッドをきしませて、調理済みの食材が立ち上がる。全身がくさい。まずはシャワーを浴びなくては……。

 それからほどなくして、起床きしょうとどこおりなく行われた。まあ毎朝のことだから当然だよな。顔を洗ってシャワーを浴びて、それからガンガンにクーラーの効いた部屋で、パンツ一丁のまま朝食を食べる――それだけだ。

 朝食は決まりきったメニューのルーチンでできている。同じような物を日替わりできずに食べる。実際は飽き飽きしてるけどな。

 まあ、朝食なんてもんは何を食ってもいいのさ。苦痛なく胃袋につめ込めて、午前中の燃料になるもの。そういうものならなんでもいい。独り身の中年男子はその辺にあまりこだわらない。


「今日のゴミはなんだ?」


 食器を片付けながら、冷蔵庫のドアに貼ってあるゴミ収集カレンダーに目を通す。毎日の日課だ。

 曜日によって出せるゴミは違う。カレンダーに沿って正しいゴミを出すことは国民の義務でもある。しかし俺にとって、ゴミ収集日というものは、それ以上に大きな意味を持っていた。


「今日は水曜日で、出せるのは可燃ゴミと、それから……」


 宇宙ゴミだって?

 しまった!


 食器を流し台シンクに叩き込む。俺は玄関に向かって駆け出した。そして外に出る直前、自分がパンツ一枚の姿だったことにようやく気がついた。おいおい、変態かよ。

 あわてて居間に戻る。なにか着るものはないか?――見るとフローリングの上に、昨夜脱ぎ捨てた衣服がそのままの状態で散らばっていた。すえた汗のニオイがする。だいぶ発酵が進んでいるようだ。

 だが時間がない。急いでそれらを身にまとうと、俺はすっかりと元どおり。寝起きのジャーキーがそこにいた。全身がくさい。これでシャワーを浴びた意味がすっかりなくなっちまったな。


 気を取り直して再び玄関へ。ドアノブに手をかけるも一瞬、躊躇ちゅうちょする。俺はこの瞬間がいつも嫌いだった。べつに外に出るのがイヤなんじゃあない。ただ、扉の向こうに広がる世界を見るのが地味に苦痛だったのだ。

 だが、そんなガキみたいな感情はすぐに消え去った。まったく、いい年こいて駄々だだをこねるとは情けない。いいかげん現実を見ろよ。


 舌下ぜっかの生ツバを飲み込んで、ガチャリ。

 ドアが開いた。


 空の色が目に刺さる。青、白、青、白、紫、黄色、緑……。あざやかな原色をまとった巨大な鳥の群れ――宇宙船だ。

 大小さまざまな形の宇宙船が、青空の雲間をうようにして飛び回っていた。船のほとんどが貿易商の貨物船だ。ありとあらゆる星々を行き来して、この地球に物資を運んでくる。うわさによると一番でかい船は、ピラミッド百個分を合わせたよりもさらに大きいらしい。

 とにかく俺はこの外宇宙からやってくる商人たちを嫌っていた。はっきり言って目ざわりな連中である。こいつらは空の景観と大気を汚している。……まあ、外の世界から珍しい物品が入ってくるのは、ちょっぴり悪くない気もするがな。

 しかし貨物の中身がいつもありがたい代物しろものとは限らない。なかには要らないゴミも大量に混じっているわけで……。


「ナディーン」


 玄関の外に出ると、俺のすぐそばに枯れ草の束が立っていた。それはアパートの廊下の壁に寄りかかって、カサカサと静かにれていた。

 今朝は風ひとつない晴天。それなのに枯れ草は、ひとりでに揺れ動き――そして、しゃべった。


「モクシュ、モクジュシュ、ナディーン」

「ああ、おはようさん」と俺がそれに挨拶あいさつをする。そして心にもない言葉を、「今日もきれいだね、サラ」

「ナディーン」


 さて、こいつがさっき言った要らないゴミのひとつだ。

 名前はサラ・サザーラ。ササクレー星から来た異星人。ぱっと見では小汚い雑草のかたまりにしか見えないが、これでも知性がある。れっきとした知的生命体。生物学の専門家たちは、ササクレー星人のことを生命の奇跡きせきと呼んでいるが――俺には到底とうていそうは思えなかった。

 こいつらにそこまでの価値はない。たぶん神様が鼻くそほじりながら適当に作った出来損ないだろうよ。自律走行するほうきかなにかを作ろうとして失敗したんだ。本来であれば、こいつらの通った道にはチリひとつ残らないはずだった。

 ところが現実はどうだ? サラが廊下を歩くと、必ずといっていいほど葉っぱが散らばっている。ササクレー人のクズ女がゴミをまき散らしている。それを掃除するのはもっぱら俺の役目ってわけだ。くそったれが。


「ディクシュ、ディクジュシュ、ナディーン」

「はいはい、失礼。ちょいと横を通るよ。急いでるもんでね、失礼」


 もっと会話を続けたそうにしている雑草を軽く押しのける。優しく語りかけながら、おずおずと横を通る。だが勘違かんちがいしないでくれよな。俺が必要以上に下手したてに出てるのにはわけがある。

 というのも、以前俺はこいつをぞんざいにあつかってひどい目にあった。サラは一ヶ月以上にわたって怒りまくった。そこらじゅうを草だらけにした。おかげでこっちは全身草まみれになって毎日掃除するハメになった。

 それ以来、俺は彼女を刺激しないように注意している。世の中、見た目では性格がわからないものなのだ。ササクレー星人はおとなしい種族だと思っていたが、意外と根に持つタイプらしい。まあ植物だしな。根っこには注意が必要ってことさ。


 うまいことサラをやり過ごして、アパートの裏に向かう。道路沿いに共同のゴミ捨て場が設置してある。俺の部屋は一階だからすぐ近くにあった。

 玄関を出たときには気づいていたが、すでにゴミ捨て場での言い争いは始まっていた。ウォルターとビッグローチだ。サラ以上に要らないゴミの代名詞のような連中。まったく毎度毎度トラブルを起こしやがって。


「よーし。そこまでだ、お前ら」

「うるせえ! てめえは引っ込んでろ!」


 ウォルターが俺に向かってがなり立てる。でかいネズミのようなナリをした異星人の男。まあでかいといっても、それはネズミの世界の話であって、俺と比べりゃ小男レベルだ。恐れるに足りない。

 だが、ビッグローチのほうは別物だ。こいつはもう見た目が完全にNGだった。お察しのとおり、こいつはでかいゴキブリにそっくりな種族。身長も規格外のサイズだった。この体格でよく俺のせまいアパートに住もうと思ったな、と少し感心する。ヤツにいわせると身体がうすっぺらいのでとくに問題はないらしい。

 ふたりのケンカの原因はわかりきっていた。聞くまでもない。どうせまたロクでもないことに決まっている。「なにジロジロ見てんだ?」とか、「てめえのゴミを俺のゴミの上に乗せるな!」とか――とにかく何でもいいのさ。

 こいつらはケンカを売り買いできるのなら、どんな難癖なんくせだって平気で取り引きする、害虫以下の脳みそ腐ったケツメド野郎だった。


「おい、ローチ!」と、俺は顔をそむけながらヤツに言った。「頼むから羽を広げて威嚇いかくするのはやめてくれ。地球人はお前のその姿を生理的に受け付けないんだ。またご近所さんから苦情が来るぞ」

「ガガガッ! ギギギッ!」


 だめだこりゃ。ローチは歯をカチカチと鳴らして言うことを聞かない。

 ふたりは胸ぐらをつかみ合いながら――ウォルターの背丈せたけだとローチの腰辺りにしか手が届いていなかったが――今にも殺し合いを始めそうな雰囲気でにらみ合っていた。

 どちらも凶暴な種族だ。ローチには六本の力強い手足があり、対してウォルターにはするどいツメとキバがあった。勝敗の行方はわからないが、最悪死人が出るのは確かだろう。そうなったら俺の沽券こけんに関わるのは間違いない。

 ならばしょうがない。打つ手はひとつだった。俺はポケットから一本のペンを取り出した。これは正確にはペンじゃない。細長いペンの形をしたスイッチだ。外の惑星から来た土人どもが震え上がる恐怖のスイッチ――通報のボタン。


「移民局の処刑人に会いたいヤツはだれだ?」


 ネズミとゴキブリがこっちを見てギョッとする。目はスイッチに釘付くぎづけだ。そりゃそうだろう。こいつをポチッと押し込めば、お目付け役の担当者がテレポートして、ここにすっ飛んでくるんだからな。

 移民労働者たちにとって、移民局の役人は絶対権力者である。いわば神に等しい存在なのだ。たとえどんな惑星のどんな種族であっても、神に逆らおうとするヤツはいない。仮にそんなヤツがいたとしても、そいつはとっくの昔に消されているはずだから……。つまり、それはいないのと同じだ。そうだろう?

 だが移民ってのは、たいていアホだからな。なかなかそれがわからない。わからないから、神の代理人である俺に向かって平気でツバを吐きかける。


「どうせ押さねえんだろ?」とウォルター。「いつもみたいにおどしに使うだけなんだろ? そうだとも。あんたには押せねえさ。移民局の役人様をケンカ程度でホイホイ呼び出したら、あんただって大変だ。あんたにはできねえよ。そんな勇気、あんたには――」

「わかってないな、ウォルター」俺はため息まじりに言った。「こういうのは勇気で押すんじゃない。我慢の限界を越えて押すんだ。確かにこの程度のイザコザで呼び出せば、役人はいい顔をしないだろうな。俺もあとからわりを食うかもしれん。

 だがそれでもお前らを追い出すとなれば、反対するヤツはいないさ。役人どもは喜んでお前らを地球の外に追放するだろう。問題児のお前らをな。さあ、これを聞いたうえで、まだケンカを続けるのか、それともやめるのか? さっさと決めろ」


 こうしてようやくいさかいが終わった。ふたりはブツクサと母国語で文句を垂れながら、それぞれの部屋に戻っていった。あとに残されたのは、プンと鼻をつく悪臭と、さっきより不機嫌さを増した汗くさいジャーキー、それだけだった。

 しかしなんで連中は、宇宙ゴミの日に限ってトラブルを起こすのだろうか? これは俺の仮説だが、たぶんゴミ袋が原因ではないかと考えている。


 宇宙ゴミとは、環境保護の観点から、地球外での処理を義務付けられた特殊とくしゅ廃棄物はいきぶつのことを指す。

 いったいどのようなものが宇宙ゴミに該当がいとうするのか。一番身近な例でいえば、移民どもが使っている薬がこれに当たるだろう。かれらは地球環境に適応するために毎日さまざまな劇薬げきやくを摂取している。その薬が入っているビンや注射器などの容器――これが一般的な宇宙ゴミとなるわけだ。

 で、これを捨てるためには、行政から指定された有料のゴミ袋が必要になるのだが――この袋がやけに高い。ずいぶんと値が張る。地球人の俺から見ても、政府が暴利ぼうりをむさぼっているようにしか見えない。

 つまり宇宙ゴミを捨てる日が来るたびに、ネズ公とゴキブリはそのことを思い出す。俺たちは不当に搾取さくしゅされてるんだ、とイライラする。それで朝からどうしようもなく腹を立てて、いつもどおりケンカをおっぱじめるってわけだ。

 で、俺はそのクズどものイザコザを毎回止めるハメになる――ってなんだよ、おい。よくよく考えてみれば、これは終わりのない無間地獄むげんじごくじゃねえか。クソみてえなループだな、マジで……。だが法律で決まっていることだしな。俺のような一介いっかいの市民じゃどうにもできねえか……。


 ごうごうといううなりがセミの声をかき消す。辺りが一瞬暗くなり、巨大な貨物船が俺のはるか上空を通過していった。

 ゴミ捨て場に立って空をあおぎ見ると、なんだか言いようのない無力感におそわれた。いまこの瞬間が、俺の人生の縮図だ――理由はわからないがなんとなくそう思った。

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