脅威

Re:over

脅威


「急げ! 『やつ』が来るぞ!」


 仲間の誰かがそう叫ぶ。その声を聞いた瞬間、仲間全員が一斉に拠点へ向かう。


 迫り来る魔の手に怯えながら走り回る。後ろにいる仲間の生存すら確認できない状況になってしまった。


 そう『やつ』が来たのだ。『やつ』と対峙するなんて命を捨てるのと一緒だ。


 もう少しで着く。拠点に入りさえすれば……。


 小さな入り口に体をはめ込むように入る。そして、近くにあった穴から外の様子を伺った。


 外は全体的に茶色くとても広い空間になっており、目がくらむ。それと同時に煙が視界を遮る。少し空いた隙間から交際中である彼女が見えた。


 彼女は逃げ場を探すため辺りを見回している。背後に迫る恐ろしい魔の手に気づかないまま。


「おい! ここだ! 早くこい!」


 全力で叫ぶ声に反応してこちらへ走る彼女に向かって容赦無く煙は追いかけてくる。


 彼女はつまずきそうになりながらも懸命に進む。恐怖に涙しているが拭っている暇など無い。地を駆ける音も煙に掻き消され、走っている実感なんてなかっただろう。


 毒ガスが彼女の進行方向に立ち塞がった。気力、希望、その他諸々薄れた表情で拠点に着く。それでも恐怖から免れることはできない。


 『やつ』は拠点へ潜り込んで容赦無く攻撃を仕掛ける。と言っても『やつ』は大きすぎて体の一部しか入らない。彼女を引き連れて奥へ逃げる。


 迷路のように入り乱れた道を安全区へ向けて的確になぞる。たどり着いた安全区は狭く薄汚い部屋だ。


 ふぅ。と一息ついた隣で彼女が倒れる。だんだんと意識が薄れていく彼女を抱きしめた。彼女は今にも消えそうな声で呟く。


「好きだよ……」


 言い終わると同時に彼女の腕は力無く落ちた。


 復讐。その言葉がエネルギーとなり殺意へと変わる瞬間を見た周りにいた仲間達は固まった。


 流れる血、全てが沸騰する。溢れる涙は地を濡らし、瞳に映る感情は混沌の渦に飲み込まれていく。


 この辛さから解放されるには何度涙を流せばいいのか。『やつ』は家族、友達、恋人、全てを葬っても足りないらしい。


 彼女をその場に寝かせ、滴り落ちる涙を振り払い決意を固めた。


 止める者は誰もいなかった。立ち向かっても敵う相手ではないことも、どのような結果になるのかも仲間のみんなは知っている。だが、怒りを共感できるから止めなかったのだろう。


 一番近い通路から『やつ』の元へ。無防備な『やつ』に一矢報いる気持ちで飛びかかる。


 武器も道具も何も無い。あるのは殺された仲間達との思い出と、殺した者に対する怒り。


 仲間の思いを胸に今、拠点を飛び出した。


 煙の臭い匂いが鼻をかすめるが、脳内からは恐怖心が消えている。


 もうすぐ『やつ』に手が届く……と思った瞬間、甲高い叫びが聞こえる。それから何かで左半身を叩かれ、逃げ場の無い空間の隅っこへ飛ばされた。


 そろそろ煙が来るのではと思うと、恐怖心が芽生えてくる。もう、死ぬかもしれない。


 死にかけたことは何度もあった。しかし、ここまで絶望的な状況になったことはない。いつも仲間に助けられて生き長らえることが出来ていたのだ。


 ここに来てそれを思い知って、命が惜しくなり、死を拒みたくなった。


 逃げよう。


 そう決意すると体制を立て直し拠点へ向かって一直線に走り始めるが、それよりも先に『やつ』がその恐ろしいと共に現れた。


 拠点に入るのよりも早く煙が発射された。煙が広がるのはほんの数秒もかからないまま直撃。それでも足を止めることはなかった。


 縦横無尽に煙が飛び交う。煙を大量に吸ってしまっせいか、だんだん意識が朦朧として視界が歪み、思考も奪われた。


 入り口を目の前にして倒れ、仰向けの状態でのたうちまわり、必死になってもがいても『やつ』は容赦無く煙を吹きかける。


 仲間に謝らなければ、感謝しなければ。そう思っても、もう遅かった。


 みんな、ごめん……。


 最後の言葉を口にしようとしたが、口が動く事はなかった。


 痛みとは違う苦しみを抱いたまま意識が途切れた。


 遠のく記憶が走馬灯となって見えた時に声が聞こえる。それは、地を揺らし、耳を焦がすような大音量であった。


「ほんっと気持ち悪いわね、ゴキブリは……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

脅威 Re:over @si223

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ