第359話 月明りを浴びる妖精

 

――ジャァー


 夜の水道水は冷える。

俺は食器を洗いながらいろいろと考えていた。


 最後の皿を洗い終え、洗いかごに放り込む。

今この場には俺しかいない。

杏里は先に風呂に入っているからだ。


「さて、と……」


 自分の部屋に行き、部屋を眺める。

そして、ベッドの脇にあるライトをつけ、布団を整える。

枕元には大きめの靴下もしっかりと準備しておこう。


「こんなもんかな……」


 今日はクリスマス。

なぜか毎年クリスマスの夜には枕元に靴下を設置するのが当たり前になっていた。

ベッドに転がり、うっすらと見える天井を眺めながら過去を振り返る。


 杏里がうちに来た時の事。

映画を見に行ったことや海に行ったこと。

夏祭りに行ったこと、公園で花火をしたこと。

そして文化祭の事。


 本当にいろいろなことがあった。

こんな日々を過ごすようになるとは、夢にも思っていなかった。


 『充実した日々』


 きっと毎日が充実していたに違いない。

これから俺も杏里も大人になっていく。

きっと、今しかできないことも沢山あるだろう。


 後悔しない。

たとえ、間違った選択をしてしまったとしても、後悔はしたくない。


――コンコン


「んー」


 ゆっくりと扉が開く。


「あがったよ……」


 うっすらと浮かび上がる少女の姿。

薄暗く、表情までは読み取れない。


「お、おう。じゃぁ、俺も風呂行ってくるわ」


 体を起こし、ベッドの脇に腰掛ける。

と、隣に杏里も腰を落とした。


 そのまま無言で部屋を出て、ダッシュで風呂に入る。

何度も手のひらに『人』という字を書き、飲み込む。


 二度も体を洗い、上がった後は歯を三度も磨いた。

鏡に映る自分の顔を覗き込む。

昔と今と、俺は変わったのだろうか。

少しだけ鼓動が早くなる。


「大丈夫、心配するな」


 鏡に映った自分に言い聞かせ、髪をささっと乾かす。


――戦闘準備完了


 今宵の俺は聖戦士になる。


 鼓動も徐々に早くなり、もう後には引けない。

ゆっくりと戦場へと歩み寄る。

この扉を開いたとき、俺は最終ステージへと進んでいくだろう。


 緊張してはいけない。

俺がしっかりとリードしてやるぜ!


――キィィィィィ


 最終決戦場の扉が開き、聖戦が始まろうとしている。

もう後には戻れない。今夜、俺のファイナルウェポンが火を噴くぜ!


 中に入り、ゆっくりと扉を閉める。

まずは、状況の確認だ。視線をベッドに向ける。


 が、姿が見えない。


 ん? どこに行った?

部屋の中を見渡すと、カーテンを開け、月明かりを浴びている妖精が視界に入ってきた。


「あん、り?」


 妖精は俺の声に反応し振り返る。

月明りを浴びた妖精は濡れた髪をかき上げ、俺のほうに視線を向ける。


「月が、きれいだよ」


 妖精の姿に見惚れ、吸い込まれるように歩み寄る。

そして、そのまま妖精の正面に立ち、そっと抱きしめてしまった。


「んっ……」


 温かいぬくもり。

いま、俺は夢の中ではなく現実の世界にいる。

この現実を、なくしたくはない。

もし仮にこれが夢なのであれば、この夢から覚めたくはないと思ってしまう。


「髪、まだ濡れているな。乾かそうか」

「うん……」


 肩を抱き、杏里をベッド座らせ髪をとかす。

短くなってしまった髪、でも時間が過ぎればまた以前のように長い髪になるだろう。


「こうやって乾かしてもらうの、何回目だろうね……」

「そうだな、ざっと二百回くらいかな」


 お互いの髪を乾かすことが多かった。

自然と俺が杏里の髪を乾かす回数が多くなっていったいった。


 夕飯も終え、ゆっくりとくつろげる時間。

そんな時に、こうして杏里の髪を乾かすのが俺にとっても居心地の良い時間になっている。


「そっか……。もう、そんなに乾かしてもらったんだね」

「だなー。このままいくと死ぬまでに何回乾かすんだろうなー」

「大変?」

「いや、そんなことないよ」

「そっか。これからも、お願いできたりする?」

「もちろん。これから先も、ずっと乾かすよ」

「……ありがとう。大好きだよ、司君」


 杏里の手が俺の手と重なる。

そして、自然に唇も重なった……。


 月明りが照らすクリスマスの夜。

さっきまで降っていた雪もやみ、空を覆っていた厚い雲も薄くなり、月が出ている。

まるで、俺たちを祝福するかのように月明かりが俺たちを照らしている。


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