第345話 おやつタイム


 もう少し館内を見て回り、そのあとゆっくりショーを見に行く予定だったが変更。

まさかこんなところで先生に会ってしまうとは。


「さて、ちょっと早いけどイルカショーに行くか?」

「うーん、でも始まるまでまだ時間あるんだよね……」


 確かにショーの時間までまだまだ。

場所取りといっても外だし、体が冷えてしまう。

それに席数も多いし、満席になる事はないだろう。


「だったら、ちょっとおやつでも食べていこうか」


 杏里の瞳が輝き始める。

その瞳で俺を見ないでくれ、財布のひもが空の彼方に飛んで行ってしまうじゃないか。


「しょ、しょうがないな。時間はまだあるし、行こうか」


 杏里に腕を絡まれ、フードコートに拉致される。

口ではしょうがないとは言っているが、杏里の目は輝く一方。


 フードコート入り口近くに写真付きのメニューが置かれていた。

杏里はじーっとメニューを見て、しばらく動かない。


 杏里の視線を何気に追ってみる。


「ビッグパフェ、ソフトクリーム、ベリーベリーサンデー、ミックスかき氷……」


 何かぶつぶつ、念仏のように唱えている。

えっと、それ全部は無理だよ?


「司君。どれもおいしそう、どうしよう……」


 真剣に悩んでいる模様。

まぁ、ビッグパフェは無理だな。でかすぎるし。


「俺は何でもいからさ、杏里が食べてみたいもの二つ選んでいいよ。分けっこしよう」

「うんっ、じゃぁ――」


 魚が遊泳しているところを間近で見ることができる席を確保。

なかなかいい席が空いていた。

というか、まだお客さん自体少ない。

杏里を席に残し、買いに行く。


「杏里、おまたせ」

「おぉ、おいしそう。それに、かわいい!」


 杏里の頼んだストロベリーパフェ。

てっぺんには青とピンク、二頭のイルカピンが立っている。


「良かったな」

「司君のもおいしそうだね」


 これにはストロベリーパンケーキ。

冷たいものばかりだと、冷えるかもしれないといって一つはパンケーキにした。


「んー、甘い! 司君も一口どう?」

「んじゃ、一口だけもらおうかな」


 杏里がパフェのアイス部分をスプーンに乗せ、生クリームをたっぷりとつけてくれた。


「はい、どうぞ」


 差し出されたアイスを一口で食べる。

んー、冷たい! でも、甘くておいしい!


「んー、おいしいな。パンケーキも食べてみるか?」


 俺はフォークとナイフでパンケーキを切り分け、一口サイズにカット。

少し小さめに切ってイチゴとクリームを乗せてみた。

ミニパンケーキの出来上がりだ。


「ほら」


 杏里の口にパンケーキを放り込む。

なんとも幸せな顔をしている。


「うん、こっちもおいしいね」


 ふと、気になったので杏里に聞いてみる。


「なぁ、今日いつもより雰囲気が違って見えるけど、化粧でも変えた?」

「お、さすが司君ですね。今日はちょっと頑張ってみたの。どうかな?」


 いつもより瞳が大きく見える気がするし、唇も光っている。

それに何というか、全体的にかわいいオーラが出て着る気がする。


「うん、かわいいね」

「へへっ。この日の為に彩音と一緒にいろいろと勉強していたのですよ」

「化粧のか?」

「うーん、それも勉強の一つかな……。あとは、内緒」

「そっか。まぁ、杏里は化粧なんかしなくても、十分かわいいけどな」

「わかってないね、司君。好きな人の前では女の子は頑張ってしまうのですよ。司君だって、そうじゃない?」


 あー、まぁそうかもしれない。

服を気にしたり、髪を気にしたり。

今まで気にしてこなかったところを気にしてしまう。


「そうかもな」

「でしょ? 女の子はいつだってかわいく見られたいの」


 ふと周りに視線を向ける。

数組の男女がデートしている。

俺達よりもずっと年上の大人たちがデートしている。

女の人も、男の人も楽しそうだし、それに着飾っているのがわかる。


 パンケーキをカットし自分の口に放り込む。


「うん、そうだな。俺も杏里と並んで胸を張れるようないい男にならないとな」

「あ、司君。ほっぺにクリームが」

「ん?」


 杏里はそのまま俺の頬に着いたクリームを指でとり、自分の口に放り込んでしまった。


「うーん、甘いね。パフェも甘いけど、パンケーキのクリームもおいしい。もう少しもらってもいいかな?」


 杏里の仕草にドキドキしてしまう。

杏里って、こんなに積極的だったけ? それに、以前よりもナチュラルーな対応だ。

俺だけドキドキしてるのか?


「お、おう。いいぞ、好きなだけ食べてくれ」

「司君もパフェほしかったら言ってね」


 杏里の仕草にドキドキしながら、イルカショー前のおやつタイムは終わろうとしている。


「ごちそう様でした。おいしかったね」

「あぁ、思ったよりうまかった」


 食器とトレイを返し、二人でトイレタイム。

トイレ近くのソファーに座って、出てくる杏里をしばらく待つ。


 スマホで何枚か杏里の写真を撮っていたけど、やっぱりかわいい。

特にこの角度、この表情。あぁー、俺って杏里の事本当に好きなんだなーと、あらためて実感。


「司君もデートかい?」

「はい?」


 隣に誰か座っている。

写真に気を取られ、全く気が付かなかった。


「く、熊さん」

「私も今日はプライベートでね」

「えっと、浮島先生とですか?」


 熊さんは普段と同じように微笑んでいる。


「そうだね。浮島先生と二人で来ているんだよ。いやー、なかなか水族館も楽しいところだね。初めて来たよ」

「そうですね、俺も思ったより楽しいです」


 何を話していいかわからない。

何を話せばいいんだ?


「今ね、浮島先生と交際しているんだ」


 な、なんですと!

そうだったのか! なんとなく浮島先生の雰囲気とか変わっていたのは、熊さんに恋していたからなのか!

って、そうなのか?


「そ、そうですか……。おめでとうございます」

「ははっ、ありがとう。お、そろそろかな。じゃ、また学校で」

「はい、また、学校で……」

「司君、君は今、幸せかい?」


 熊さんは去り際に一言俺に向かって話す。

俺の返事は一つしかない。


「はい。幸せです。とても幸せです」

「それは良かった。今を大切にね」


 去り際の熊さん。

相変わらず横幅はあるけど、心に響く言葉をもらってしまった。


 そう、俺は今幸せだ。

杏里と一緒に過ごし、毎日が充実している。

これ以上の幸せって何があるんだろうか。


「お、お待たせ! ごめん、遅くなっちゃった」

「いや、全然待ってないよ。そんなに慌てなくてもいいだろ?」

「え? だって、イルカショーの時間が……」


 時計を見る。

おっふ、時間ギリギリになっているじゃないか!


「杏里、少し急ごう!」

「うん! 席、残っているかな?」


 杏里の手を握り、館内を少しだけ急いで移動する。

握った手は温かく、杏里もしっかりと握り返してくれる。


「大丈夫、席はたくさんあるんだ」

「だ、だといいね。できれば近くで見たいから、前の席が空いているといいな」


 杏里と薄暗くなっている館内を抜け、表に出る。

朝は晴れていたのに、曇り空になっていた。

それに、少し寒くなってきた気がする。

そろそろお昼なのに、寒いし風も冷たい。


「あ、あそこ」


 杏里の指さす方に視線を向けると、席が空いていた。

目の前ってわけではないけど、なかなかいいポジション。


「よかった、ちょうど空いていたねっ」

「だな。運がよかった」


 今日の俺には幸運の女神、杏里という女神がついている。

きっと、今日一日が楽しく、思い出に残るい日になる気がした。


――ピィィィィィ


「お待たせいたしました! ご来場の皆様、ようこそ、なみ杜水族館へ!」


 ショーが始まる。

少し寒い、外でのショー。


 俺は貸出用のブランケット一枚を杏里と自分の膝の上にかける。

そのブランケットの下では、しっかりと杏里の手を握っていた。


「ブランケットありがとう。司君の手もあったかいね」


 杏里の笑顔、この笑顔のためなら俺は、なんでもできる気がした。


「さ、ショーが始まるよ」

「うんっ、楽しみだね!」


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