第343話 二人の思い出


 冷たい風が吹く中、杏里と二人で駅に向かう。

お互いに何を言ったわけでもないのに、自然と手を重ね、歩き始めた。


「今日は少し冷えるね」

「そうだな。天気予報があっていれば、今夜に雪かもな」

「ホワイトクリスマスか……。一緒に雪も見られたらいいね」


 そんなたわいもない話をしながら、いつもの公園の隣を通り過ぎる。


 まだ暖かったあの頃、杏里と付き合っているわけでもないのに一緒に暮らすことになった。

ちょっとした事がきっかけで、一緒に住むことになって、お互いを知っていって……。


 たった数ヶ月前の事。

今でも鮮明に覚えている、杏里に想いを伝えたあの日の事。

杏里も覚えているのかな。きっと、覚えていてくれているよね?


 ふと、ブランコが揺れているのが目に入る。

杏里がブランコから飛び降りて、危うく転びそうになった事もあったなー。

そして、俺がこう、ぎゅっと杏里を抱きしめて……。


「最近、この公園に来ていないね」

「おぉぅ! そ、そうだな! まー、寒いし。なんだ、ブランコでも乗りたいのか?」


 びっくりした。急に話しかけないでほしい。


「違うよ。なんだか、懐かしいなって。司君はそう思わない?」


 なんだ、考えることは同じか。


「俺も同じ事考えていたよ」

「やっぱり、私たちは似た者同士だね」


 杏里の手が俺の手を強く握ってきた。

俺も杏里の手を強く握り返した。


「また、線香花火で勝負するか?」

「夏に。また夏になったら一緒に花火しようね」


 杏里は笑顔で俺の手を引いていく。

俺は引っ張られるように、杏里についていく。


「今日は水族館に行って、一緒にご飯食べて、街を少しぶらついて」

「そのあとイルミネーションを見て、買い出しして、帰って、一緒にケーキを作るんだよな」

「うんっ。今日は楽しい事ばかりだね。今からドキドキするよ」

「まだ駅にもついていないのにか?」

「そう。私は司君と一緒にいるだけでドキドキするよ? 司君はしないの?」


 そう言われると困りますね。

杏里の隣にいるだけで、石鹸のいい匂いとか、向けられる笑顔とか、毎回杏里に触れる度にドキドキしていますよ。


「ま、俺も杏里と同じかな」

「もしかして照れてる? 少し顔が赤いよ?」

「そんなことない。ほら、早く行こうぜ」


 今度は俺が杏里の手を引く。

杏里を直視できなくなってしまった。


 あんなこと言われたら、いろいろと思い出してしまう。

杏里のあんなことやこんなことまで。早く駅に行こう!


「おーい! 司! 朝から出かけるのか!」


 八百屋のオッチャンは朝から声が大きい。

というか、いつでも声が大きい。


「今から二人で水族館に行こうかと思って」

「そっか! 今日はイブだからな! しっかりと決めろよ!」


 何を決めるんですか! どう決めるんですか!


「そ、それよりも帰りに買い物していきたいから、いいところ取っておいてくれよ」

「任せとけ! 頼まれていた物はしっかりと確保しておくからよっ」


 杏里も俺の陰から顔をのぞかせ、八百屋のオッチャンに声をかける。


「よろしくお願いしますねっ」

「おうよ! いいところ取っておくからな! 帰りに肉屋にもよっていくんだろ?」

「はいっ、今日はお家で夕飯を作るので帰りに寄ります」

「いいねー。肉屋には俺からも、いい肉確保しておくように伝えておくからよ」

「ありがとうございます」

「じゃぁ、一日楽しんでこいな!」

「行ってきます!」


 事前に話をしておいた通り、今日は帰りに買い物をして帰る。

お肉に、ケーキの材料。

商店街で買って、杏里と一緒にお家でご飯。


 別におしゃれなレストランでもいいと思う。

だけど、一緒にご飯やケーキを作って、二人で食べて。

そんなクリスマスでも悪くないだろ?


「やっと駅に着いたー」

「じゃ、シャトルバスが出ている駅まで行きますか」

「行きましょう!」


 改札口を通り、電車乗りこむ。

まだ少し早い時間。それでも電車の中はそれなりに人が多い。

きっと今日は高山達や遠藤達もそれぞれ二人で過ごしているに違いない。


 たった一度しかないこの時間。

少しでも好きな人と過ごしたい。一緒にいたい。


 この手を握って、笑顔を見ていたい。

俺の隣には、杏里がいる。

窓の外を眺めている杏里の目を見て、俺は少し幸せを感じた。


 ふと、杏里が俺の視線に気が付いたのか、視線を俺に向けてきた。

そして、少し背伸びそして俺の耳元でささやく。


「私の顔に何かついている?」


 俺も杏里の耳元でささやいた。


「何も。杏里の顔を見てただけだよ」


 そして、杏里は何も言わずに俺に笑顔を向ける。

その頬には『幸せだよ』って書いてるかのように。


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