第279話 増えていく招待客


「いらっしゃいませー」


 今日は朝から杏里と一緒にバイト先の喫茶店に来ている。

夏休みはセブンビーチでバイトをしていたが、今日はいつも通りの店だ。


 俺はカウンター越しにあるキッチンでオーダーを作っている。

杏里はホールで接客中だ。


 遠くからでも杏里のウェイトレス姿が目に入る。

杏里は一人で仕事ができるようになっており、俺のサポートはほとんど必要ない。

キッチンに入ってもマニュアル通りの物を作る事ができるようになった。

大変すばらしい事です。


「オーダーお願いします。ブレンドコーヒー二つ、ホットで。あと、ホットドック二つ」


「かしこまりました」


 オーダーを取り終えた杏里がカウンターに戻ってきた。


「お願いします。ブレンド二、ドック二」


「かしこまりました」


 仕事ではそっけなく話すが、時折交わす視線が何とも歯がゆい。

俺はホットドックのパンを焼きながら、ソーセージを鍋に入れる。


「天童」


「はい、何か?」


「その、姫川と式を挙げるって本当か?」


 店長はコーヒーを入れながら俺に話しかけてくる。

普段は私語をしない店長が、仕事中に話しかけてくるのが珍しい。


「はい。文化祭の日に学校で」


「そうか、天童にも姫川にも先を越されるのか……」


 何だか最後の方が上手く聞き取れなかった。

下を向いたまま、何かごにょごにょ言っている。


「店長? どうかしました?」


「いや、なんでもない。そうか、結婚か……」


 店長はドリッパーにお湯を注ぎながら少しだけ上を見ている。

何だか遠い目をしているな……。

ポットを握っている手も何だか小刻みに震えている。


「良かったら招待状出します?」


 くわっと開いた目で俺を見てくる。


「私に招待状?」


「はい。俺と杏里がお世話になっているし、どうですか?」


 俺を見たまま動かなくなった店長。

何を考えているのだろうか?


「店長?」


「っは! あ、あぁ、行こう、かな……」


「ドリッパーから、お湯溢れてますよ?」


 慌てて入れ直す店長。

やはり仕事中に私語は良くない。


「そうだ、オーナーも呼べますかね? 海の家はもう閉めていますよね?」


「海の家は閉めているが、この時期だと泉之岳のロッジに行ってるはずだ」


「はい? 泉之岳ですか?」


「秋の散策や紅葉を見に来る人を相手に、ロッジで土産物屋兼食堂っぽいものをしているぞ」


 オーナー、随分いろいろと手を広げているのですね。

夏は海、秋は紅葉。


「もしかして、オーナーは冬になったらスキー場に行ってますか?」


 まさか、ね。


「スキー場にはいかないな。南の海でダイビングだ」


 おーう、予想斜め上です。

まさかのダイビング。オーナーすごいな。


「そ、そうですか……」


「オーナーにも招待状を出していいぞ」


「事前確認は必要ないんですか?」


「不要だ。でも、出来れば二席欲しいな」


「あれ? 奥さんいましたっけ?」


 店長が少しだけにやける。


「いるぞ?」


 あれ? 奥さんって生きてるんですか?

でも、海の家で寂しそうにブレスレット触っていたような……。


「わ、分かりました。オーナー宛に二席、店長には一席用意しておきますね」


「あぁ、私は一席だな。連れていける人もいないし……」


 あ、何だか黒いオーラ―が出ている。

もうこの話題はやめた方がいいな。


「店長、ここのコーヒー豆って買えますよね?」


「ん? 欲しいのか?」


「いえ、結婚式で出すコーヒーの豆も買う予定だったので」


「いいぞ。百もあればいいか?」


「そんなにいりません! 豆の種類と数は後で連絡しますね。売り上げに貢献しますよ」


「おー、なんだか悪いな」


 そんな話をしながら依頼されたオーダーをこなしていく。

今日はいつもよりお客さんが少ない。何かイベントでもあるのだろうか?


「お待たせしました。ブレンド二、ドック二」


 出来上がったオーダーをキッチンからカウンターへ移動する。

待機してた杏里がトレイに出来上がったオーダーを乗せ始めた。


「さっき、店長と何か話していたでしょ?」


「ん? あぁ、式の事でちょっとな」


「もしかして来てくれるの?」


「あぁ。オーナーにも招待状を出していいって」


「やったっ。嬉しいな、何だかみんなに祝福されているみたい」


 ソーサーを持つ杏里の手に、少しだけ触れる。

ふと、杏里と視線が重なる。


「みたいじゃないよ。本当に祝福しているんだ。杏里の事……」


「司君……」


 見つめ合う俺達は、二人っきりの空間――。


「おーい、そこ二人。働け」


 後ろから低い声が響いてきた。

目も怖いっす。


「ほら、二人共。店長が嫉妬して事務所に籠る前に仕事終わらせちゃおうか」


 先輩はいつでも笑顔で対応してくれる。

まるで店長が子供みたいじゃないか。


「でも、本当に二人とも式を挙げるんだね。大変だと思うけど、頑張ってね」


「ありがとうございます」


「私にできる事があれば、何でも言ってね」


「はい。その時は遠慮なくっ」


 笑顔で対応してくれる先輩。

きっと、この先輩の彼氏さんも素敵な男性なんだろうな。

そんな気がした。


 バイトも終わり、事務所で着替える。

カーテンの向こうでは杏里が着替え中。


 布の擦れる音と、ジッパーの音。

見えないだけに何だかモヤモヤする。


「お待たせ」


「よし、行くか!」


 俺は事務所の扉を勢い良く開けた。

帰りがけにカウンターにいるみんなに声をかけながら店の入り口に向かう。


「「お疲れ様でした!」」


「二人共、夜道に気を付けてね」


「は、はい……」


 何だか店長の言葉を別な意味で考えてしまう。

しばらく夜道には気を付けよう。


 店を出て、駅とは反対のアーケードに向かう。


「杏里、準備はいいか?」


「もちろん。司君は?」


「問題ない。しかし、緊張はするな」


 握った杏里の手に汗が付かないか気になる。

ふと、握っている手を杏里が強く握り返してきた。


「私も緊張するよ」


 俺達は今日、出来上がったリングを取りに行く。


 二人で作ったペアのリング。

俺達の運命の日が刻まれたリング。

俺と杏里はその身に翼を着け、きっと遠い未来へ飛んでいく事ができるだろう。


 そして、俺の財布からも羽の生えたようにお札が飛んでいくだろう。

杏里の笑顔が見たい。杏里の幸せを願いたい。


 俺達の足は自然と早くなり、店を目指し歩いて行った。

握り合った手は、杏里の温もりを感じる。

杏里も、俺の温もりを感じてくれているのだろうか?


 きっと、俺に向けられた杏里の笑顔がその答えなんだと思う。

幸せは、気が付かないけど自分のすぐそばにあるのかもしれない。

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