第159話 眠り姫の覚醒


 杏里の使っていたベッドの上で胡坐(あぐら)をかきながら考える。

恐らく外には行っていないだろう。もう一度連絡してみようかな……。


 ポケットからスマホを取り出し、杏里に電話かける。

はやりこの部屋にはいないようだ。


 ふと、小さな音で何かの音楽が聞こえてきた。

どこから聞こえてくる? かなり小さな音だが確かに聞こえる。


 壁の向こう側? 俺は壁に耳をあててみると、聞いた事のある音楽が聞こえてきた。

まさか、杏里は隣の部屋で寝ているのか?


 ベッドから降り、急いで隣の部屋に行ってみる。

扉をゆっくりと開け、中に入るとさっきよりも大きな音で音楽が流れている。


 まさかと思ったが自分のもともと使っていた部屋で寝ているとは。

ベッドに上がって音の鳴る方を覗いてみると杏里が寝ている。


 まったく、みんなに心配かけさせやがって。

そっと杏里の頬をなで、髪をかきあげる。


 目を閉じ、ゆっくりと呼吸している杏里の寝顔は、まるで眠り姫。

よほど深く寝ているのか、頭をなでても起きない。

こんな時に、目を覚まさせる方法は一つですよね。


 杏里のおでこにキスをして、手を握る。

杏里のベッドから女の子の匂いがし、なんだか照れくさくなる。


 早く起きないかな。起きたらなんて声をかけようか。


 杏里の呼吸が少し乱れ、俺の手を握り返してきた。

ゆっくりと杏里の瞼が開き、俺の方に視線を移動させる。


「ん……」


「おはよ。良く寝れたか?」


「ん、ねた」


「体調は」


「うにゅ」


 『うにゅ』とはとういう意味だろう。

大丈夫って事かな?

今度は唇にキスとする、これで覚醒するだろう。


 軽く唇を重ね、杏里の目の前で一言。


「姫、今晩は焼肉ですよ」


 さっきまで半分寝ぼけていた杏里の目が開き始める。


「おにく? ご飯?」


「そう、今日は焼肉だって」


 しっかりと開いた杏里の目は輝いている。

おかしいな。ここはキスで目覚めたお姫様が、王子様に抱き着くシーンなはず。


 しかし、杏里の瞳には『肉』の文字が浮かんでいるように見える。

そんな事はない、まだ寝ぼけているだけさ。


「おなか、すきましたね」


「よし、杏里も起きたしご飯にしようか」


「んっ」


 背伸びをしながら杏里が起き始める。


「所で、なんでこっちで寝ているんだ?」


 杏里の頭の上にクエスチョンマークが浮かび上がっている。

首を少し斜めに傾け『何の事?』と目線で俺に訴えている。


「あのさ、杏里は隣の部屋で寝るはずだろ? こっちの部屋は封印中だ」


「あっ……」


 ですよね。普段と使っている部屋に戻った感じですね。

疲れ切って、頭もボーっとしていたら、そんな事にもなるだろう。

杏里を責めることはできない。


「どうする? 杉本は杏里を探して、部屋にいない事はもうばれてる」


「ど、どうしましょうか……」


 しばらく無言の時間が流れる。

高山達に話すか、ごまかすか。

ごまかすとしても、どうやってごまかすか。


 部屋にいない事はもうばれている。

二階から二人で降りたらどこにいたのか絶対に聞かれる。


「窓から抜け出して、裸足で玄関から帰ってくるか?」


「そっちの方が怪しく思われるよ。夢遊病になっちゃう」


「……案が無い」


「あの二人にだったら話してもいいんじゃない?」


「うーん、ごまかしてもきっと高山は気が付くだろうな」


「だと思うよ。正直に話そうか」


「そうだな、あの二人だったら話してもいいか」


 杏里と意見をまとめ、俺達は二人に話す事に決めた。

手を繋いで階段を下り、一階のホールに出る。


「あー! 杏里! どこにいたの! 探したんだよ!」


 さっそく杉本に声をかけられた。


「ごめん、着信に気が付かないで寝てた」


「良かった―! もしかしたら一人で出ていちゃったかと思ったよ!」


「そんなことしないよ。ごめん、心配かけさせちゃったね」


「ううん、大丈夫。部屋にいなかったけど、どこにいたの?」


「そ、その件なんだけどね。後で話すよ」


「え? あ、うん……」


 すぐに返事をもらえなかった杉本は、すこし戸惑っている

表情も少し固くなった気がした。


「おー、姫川さん! 良かった、部屋にいたんだね。さ、ご飯にしよーぜ!」


 みんなで台所に集まり席に着く。山盛りの肉に山盛りのご飯。

肉奉行は毎度おなじみ高山。


「では、原稿完成を祝って! かんぱーい!」


 こうして、俺達の原稿完成記念イベントの焼肉パーティーが開幕した。

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