第88話 信じる心


 屋上の扉を開け、階段を下り廊下もダッシュで駆け抜ける。

この時間だったらきっとあそこにいるはずだ。


 目的の人がいる部屋が見えてきた。

よし、間に合った!


 ところがその部屋の扉から誰かが出てくる。

しまった、先客がいたのか? もしかして誰かほかにも生徒がいるのか?


 その部屋から出てきた女生徒の少し手前で俺はゆっくりと歩き始める。

ダッシュしたまますれ違う訳にはいかないならな。


 その女生徒とすれ違いざまに声をかけられた。


「天童、司君ですね?」


 聞いたことのない声。誰だ?

俺は歩くのをやめ、声の方へ振り返る。

ショートカットの女生徒。多分見た事がないし、声も聞いた覚えが無い。

それなりの美人さんではあるが、やや釣り目の彼女は何だか少し冷たそうな感じがする。

他のクラスの奴か?


「そうだが。どちら様で?」


 彼女は俺に数歩近寄り、俺の顔を覗いてくる。

ち、近いですね……。


「ふーん、こんなパッとしない奴がか……」


 パッとしなくて悪かったな。俺は今時間が無い。


「なんだ? 用が無いなら俺は行くぞ」


「まぁまぁ、すぐに終わる」


 彼女は何を考えている?

俺の事を知っているのか?


「時間が無いんだ。話なら手短に頼む」


「では、手短に。あんた、ナデシコと最近仲がいいんだろ? 何か、彼女の弱みとか、秘密とか知らないか?」


 こいつは何を聞いている? 俺の空耳か?


「悪い。言っている意味が分からない。姫川さんの事は良く知らない。最近一緒に勉強会をしてもらっているだけだ」


「タダでって訳ではない。それなりの報酬はちゃんと出すよ? 何か知らないか?」


 そう言った彼女はスカートの裾を持ち上げ始めた。

徐々に捲れていくスカート。周りには誰もいない。このまま凝視していていいのか?


「悪い。本当に時間が無いんだ。姫川さんの事だったら他を当たってくれ」


「そうか……。悪かったな、もし何か知っていたら教えてくれ」


 スカートを戻した彼女はそのまま振り返り、俺の目の前から去って行った。

一体なんだったんだ?


 そんな事より俺にはやらなければいけない事がある。

早くあの人に合わなければ。


 部屋の扉を開け、中を見渡す。

いた! いました! 偶然にも他の生徒は誰もいない。

チャンス到来!


「先生! 相談したいことが!」


 振り返った先生のお腹は相変わらずタプタプし、シャツのボタンが悲鳴を上げている。


「なんだ、天童か。テーピングでもしに来たのか?」


「いえ、指はもう大丈夫です。おかげさまですっかり良くなりました」


「そうれは良かった。あんまり、激しい運動とか右手を酷使するような事は控えるんだよ」


 右手を酷使する事などありません。勉強でペンを握るくらいです!


「先生、そんな事より相談したいことが!」


「珍しいな、そんな血相を変えて。私の分かる範囲だったら相談に乗るよ」


 俺は熊さんの目の前にある椅子に座り、熊さんの目を見ながら真剣に話をする。


「お、俺の友人の話で、相談されたんですが――」


 ここでは俺や姫川などの実名は出したくない。自分の事だと恥ずかしいので、名前は伏せてしまった。

男女四人のグループで、そのうち男女一人ずつがグループ内のメンバーに内緒で交際を始めた事。

そして、その四人の関係を壊したくないと思っている事。

どうしたら今の関係を維持したまま、その男女が交際していくことができるのか……。


「男女間の問題は結構、色々あるからね。もし、その四人がこれからもずっと先の未来でも、一緒に居たいと仮定するのであれば、本音で話した方がいいんじゃないかな?」


「話したら関係がギクシャクしないかな?」


「何かをやったら、その反動は絶対にあるんだ。仲間だったら恋愛も受験も家族の事も相談ができるんじゃないか? 自分の夢を語ったり、一緒に何かに向かって頑張ってみたり。もし、男女間の問題で切れるくらいの縁だったら、この先何かあった時もその縁は切れる、果たしてそれが親友と呼べるのか」


 熊さんの言っている意味は俺でも理解ができる。

もし、平穏に過ごしたいのであれば、昔の俺のように何も動かず、行動せず、ただ無関心に生活をしていればいいだけだ。

そうすれば失うものなどないし、考える必要もない。


 だが、今の俺は昔と違う。

杏里に恋をして、高山と杉本と一緒に過ごす時間が、俺にとっての大切な時間になっている。

失うのが怖い。でも、失いたくないと思えるほど、自分の中で大切なものになっているんだ。


「きっと、そいつは怖いんだと思います。失うのが、今の関係を自分の手で壊してしまうのかもしれないと考えているんだと思います」


「天童。この湯のみ見てくれないか?」


 熊さんの手には少しいびつな湯呑が。でも、なぜかしっくりくる湯呑がそこにはある。


「これ、先生が自分で作って、焼いたんだ。土から粘土を。形を作り、何度もやり直して、何十回もな。そして、最後にやっと火が入ってこの形になった」


 熊さんの手の中でくるくる回る湯呑。何で湯呑の話をしてくるんだ?


「人と人の関係も、何度も壊れて、やり直して、何度も喧嘩して、仲直りして、そしてお互いを知っていく。共に何年も何年もの時間を過ごし、やっと互いの関係が出来上がっていくんじゃないかな?」


「喧嘩別れしても、仲直りできるのか?」


「もし、本当の親友(とも)と呼べるのであれば、切っても切れない縁になるよ。その彼に伝えてもらえないか?」


 『怖いのは関係を壊す事ではない。本当に怖いのは相手を信じられなくなる事だ。最後まで、信じて、信じぬいてごらん』


 俺は椅子から立ち上がり、保健室を後にする。

扉を閉めようとした時、熊さんが俺の手に何かを渡してきた。


「ほら天童。これをやるよ。後で飲んでおけ」


 俺の手には胃腸薬が握られていた。


「どうしてこれを?」


「んー、何となくな。腹でも痛くなっていたような気がしただけだ」


 できる男、熊さん。

人気の秘密が何となくわかった。


 保健室から急いで教室に戻る。

テストが終わり、映画を観終わったら、話そう。

正直に全てを。高山にも杉本にも。


 杏里はきっと杉本に話をすると思う。

その時に、俺も一緒に高山に話をしよう。


 俺達の関係が壊れるのか、壊れないのか。

それは誰にも分からない。でも、俺は杏里を、高山を、杉本を信じる。

都合のいい話かもしれない。自分勝手な話かもしれない。


 でも、俺はどんな結果になろうとも、全てを打ち明ける覚悟を今決めた。

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