第65話 お姫様抱っこ


「大丈夫か姫川!」


 俺の目の前には、倒れ込んでいる姫川が。

そしての、その隣には大きな壺が転がっている。


 棚から壺が落ちて姫川を直撃したのかもしれない。

姫川を仰向けにし、楽な体制にする。よし、呼吸はしているな。

大きな外傷はなし、気を失っているのか?


「姫川! おい、姫川!」


 肩に手をかけ、優しく声をかけるが返事はない。

俺は急いで部屋から脱出するため、姫川をお姫様抱っこする。


「お、重っ、くない!」


 まったく力の入っていない姫川を床からお姫様抱っこする為、腋の下と膝に裏に手を入れて立ち上がろうとしたが、思ったよりも重い。

人間ってこんなにこんなに重いのか。


 よく結婚式とかでドレスに身を包んだ新婦が新郎に、お姫様抱っこをされながら階段を下りてくるシーンとか見るが、もしかして男はみなマッチョなのでは?

姫川はそこまで大柄ではない。どちらかと言うと小柄な方だし、体型だってスレンダーだと思う。

だが、思ったより重い。


「ふんぬっ!」


 俺は腰と足、腕に力をこめ、ガッツで立ち上がる。

おりゃぁー! まるで重量挙げの選手になった気分だ。

姫川をお姫様だっこ状態で立ち上がれました!


 姫川の呼吸は正常だが、若干息が荒くなってきた。

そして、心なしか顔が赤みを帯びている。熱が出てきたのか?

慌てず、ゆっくりと姫川の部屋から出ていき階段を下りる。


 そして、玄関ではなく、自室の窓から縁側に出てサンダルを履き、脱出。

すでに敷いてあるシートに姫川を寝かせ、呼吸を確認。

し、心臓も動いているか確認するんだっけ?

鼓動音を聞くのに、俺が耳を姫川の胸に当てるんだよな?


 ……姫川の胸? 胸?


 しょ、しょうがない。やるしかないのだ。

俺はゆっくりと姫川の羽織っていたカーディガンのボタンを上から順番に外していく。

すまん! だが、やるしかないんだ! いくぜ!

俺の顔は、姫川の胸に吸い込まれていこうとしていた。



――


「司、あんた何しているの?」


 隣には母さんがこっちをジト目で見ている。


「こ、鼓動の確認をしなくていいのか?」


「はぁ……、手首で脈を。ほら、こうするんだよ」 


 母さんが俺の隣に来て、姫川の手首をとり、時計を見ながら脈を計っている。


「脈はかなり早いけど、まぁ正常だね。司、もう少し勉強しないとダメだね」


「お、おう」


 俺は心ここにあらず。遠くの空を眺めている。


「怪我人を避難させたら、早めに救急や消防へ連絡。火が出ていれば初期対応が必要だね」


「消火活動もすぐにするのか?」


「火が小さければね。杏里ちゃんももういいよ、起きて。怪我人役ありがとう」


 目を開けた姫川は無言でカーディガンのボタンを閉めている。

そして、俺の方を生暖かい目で見てくる。あぁ、やめて下さい。大変申し訳ありませんでした。


「司君……。私は重いの?」


「重くないよ。うん、軽い軽い」


 本当は重かった。だがしかし、女性を目の前に『貴女は重いです!』とは、天地がひっくり返っても言えないだろう。

もし、言ってしまったらここが血の海になるかもしれない。

まぁ、姫川に限ってそんな事はないと思うがな。


「司。もう一度杏里ちゃんを抱っこしてみな」


「「え?」」


 はもった。互いに目線を交わし『いいの?』『いいんじゃないかな?』とテレパシーで会話する。

無言で俺は姫川に近寄り、腕を差し出す。

姫川も俺に答え、腕を俺の肩にかけてくる。


 よいこらしょ。あれ? さっきほど重くない。


「お、重くないか、な?」


「大丈夫だ、軽い軽い」


 姫川の細い腕が俺の肩に。

そして、俺の両腕はやわこい姫川をしっかりとさせている。

ここで恥ずかしがってはダメだ。姫川だってきっと恥ずかしいに決まっている。

無心だ。無の心でこの場を切り抜けろ。


「さっきより軽いでしょ? 動かなくなった人間って、思っているより重いんだよ。司もいざって時の為に鍛えておきなねっ」


 母さんからのありがたい話を聞き終え、俺は姫川を解放した。

ほんのりといい香りが残っている。


「じゃ、庭で消火訓練もするよ。実際には消火器使わないけど、するふりね」


 母さんの手元には良く見る消火器が。学校とか商業施設でよく見るお馴染みの消火器。

よくよく考えてみたら台所の隅っこにあったな。完全にインテリアになっていましたよ。


「じゃ、あれが目標ね。二人でやってみて」


「分かりました。私が先にやってもいいですか?」


「ん、いいぞ。じゃぁ俺は反対側で見てるよ」


 姫川の反対側に移動し、少し離れたところで姫川を見守る。

消火器を手に持ち、勢いよくピンを抜いた?

そして、目標にホースの先を向けている。


「いきます!」


 ちょ! 今ピン抜かなかったか! それ抜いたら――



――シュコォォーーー


 俺の目の前が真っ白になった。

そして、五橋下宿の庭は広範囲で白くなり、空へ白い煙っぽいのものが流されていく。


「ご、ごめんなさい! 間違ってピン抜いてしまいました!」


「うん。見ればわかるよ。しかしまぁ、やってしまったものはしょうがないね。新しい消火器手配しないと」


「か、母さん、この粉って人体に影響あるの?」


「少しくらいは大丈夫。早く粉を払ってシャワーでも入りな。訓練はここまでね」


「司君! ご、ごめんね! 粉、私も一緒に払うよ!」


「別に平気だ、姫川まで白くなっちゃうからやらなくていい」


「でも……」


 少し半泣きになりそうな、まるで子犬のような目で俺を見てくる。

やめてくれ、そんな目で見るな。


「本当に大丈夫だ。母さんと庭の方を頼むよ」


 俺は姫川の腕を払いのけ、少し離れたところで自分の体についた粉を落す。

のぅぁぁ! 粉っぽい! 早く、早く落したい!


 手で払うも中々とれない。

ジャンプしても走っても中々とれない!


 すると姫川が俺の隣にやってきて、背中を払ってくれた。

その表情はまるで灯りの消えたロウソクのようにしゅんとしている。

無言でひたすら払ってくれる姫川。


「もう大丈夫だよ。そんな顔するなよ」


 俺は軽く姫川の頭をポンポンとなでる。


「ご、ごめんね」


「ほら、もう粉っぽくないだろ。さて、俺は風呂に行ってくる! 後はよろしくなっ」


「あっ、でもまだ……」


 姫川の声を聞きながら、俺は風呂場に行き洗い流す。

そして、着替えて髪も少しだけセットする。何だかまだ粉っぽい気がするな……


 風呂場にいると台所から二人の話す声が聞こえてくる。

朝食の準備でもしているのか?



「で、抱っこされた感じはどうだったの?」


「えっ? ふ、普通です。普通」


「ふーん……」


「ほ、本当に普通ですよ!」


「顔、赤くなってるよ?」


「そ、そんな事ありませんっ!」


 まったく、朝から何を話しているんだか……。

そんな中、俺は新しい服に着替え、風呂場を後にする。


「かーさーん! 牛乳ー!」 


 二人の会話を切るように、俺は台所に行くのであった。

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