第62話 下宿のルール
目の前には温かい食事が並んでいる。
母さんの作った食事は随分と久しい気がするな。
「「「いただきまーす」」」
姫川が作りたてのロールキャベツを一口。
姫川も母さんと一緒に作ったので合作と言えよう、多分……。
「おいしいですね」
「そうか? こんなもんだろ?」
「司はいつも食べていたじゃない。同じ味でしょ?」
「まー、いつもと同じ味だな」
「天童君のお母さんは料理が上手いんですね」
「流石に下宿でまずいもの出せないしね。あ、あと、ここでは私の事は『お母さん』って呼んでね」
「お、お義母さんですか!」
「そう、下宿ではみんな家族。私はお母さん。あんた達もいつまでも苗字で呼ばないで、下の名前で呼ぶんだよ?」
「そ、そんなルールあったのか?」
俺は初耳だぞ?
「五橋下宿のルール。そこの引き出しにルールブックが入っている!」
と、指さしたのは茶箪笥の引き出し。
俺は箸を片手に持ち、引き出しを開けてみる。
そこにはそれなりに古いノートが一冊。表紙には『下宿のルールブック♪』と可愛らしい丸文字で書かれている。
だ、誰の字だ? こんな字見た事無いぞ。
「あ、後で確認しておくよ」
俺は自分の席に戻り、食事を再開する。
姫川の方を見ると、何かブツブツと念仏を唱えている。
もしかしてこのノートに何か怨念でも感じたのか?
スープを一口飲む。うん、いつもと同じ味がする。いやー、懐かしい味!
「所で、司と杏里ちゃんは付き合ってるの?」
「ぶほぉうぁー! ゴホゴホッ……」
飲みかけたスープを若干吐き出してしまう。
そして、入ってはいけないところにスープが入って、激しくむせてしまった。
何てことを聞いてくるんですか!
あ、そんな時でも背中をさすってくれる姫川、サンキューです。
「だ、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。気管に少し入っただけだ」
「あ、もしかして聞いちゃまずかった、かな?」
テヘペロ状態の母さん。別に俺達はそんな関係じゃない。
ただ一つ屋根の下に住むクラスメイトで、それ以上でも、それ以下でもない。
一口水を飲み、喉を癒す。あーやばかった。
「別に俺達は――」
「あ、あの! どうして急にそんな事を?」
姫川が慌てた様子で母さんに話しかけた。
まだ背中をさすってくれている姫川が天使に見える。
「え? だって部屋は別にあるのに、同じ部屋で寝てない? 二人とも」
俺と姫川はきっと互いに同じことを思ったのだろう。
シンクロ率が互いに一致した瞬間だった。
二人で同じタイミングで席を立ち、同時に俺の自室に行く。
そこには俺のベッドと隣に畳まれた布団が一式。
あ、昨日姫川がつかった布団、そのままだった。
今朝、そのままにしていったんだっけ。
互いに目線を交差させ、少しだけ頬に汗が流れる。
「お、俺から話す」
「うん……」
再び席に着く二人。突然の出来事に箸のスピードが落ちる。
「あー、たまたま昨日俺が頭を打って、気にした姫川が同室で看病してくれただけだ。やましい事など一切ない!」
「そ、そうです。別に何もしてないです。膝枕とかもしていません!」
だー! 姫川は口を出さなくていい!
大人しくサラダでも食べていてくれ!
「ほ、ほら、その時に指も少し痛めてね」
母さんに指を見せる。昨日ほどの痛みはなく、なんとか通常生活はできそうなくらいまで痛みは引いた。
ありがとう、熊さん!
「そうなんです! 私がお風呂に入ろうとした時に、扉を急に開けてしまって!」
……姫川さん? 俺のフォローしてくれているんですか?
「えっと、要約すると杏里ちゃんのお風呂をこっそり見ようとした司が、杏里ちゃんの攻撃でダメージを負って、さらに看病までさせたって事かしら?」
違う! 全然違うよ! いや、少しだけあっているかもしれないけど、伝えたいことがちゃんと伝わっていない!
「違います! 天童君はそんなことしません!」
「え? だったらもっとはっきりと――」
少しだけ言葉を濁したが、何とか誤解を解くことができ、母さんは納得してくれた。
いやー、納得させるのも大変だな。
「今度、二人がいないときにでもスモークしておくよ。この家、結構古いからね……」
母さんが遠い目をしている。きっと母さんも同じような事があったんだろうな……。
「いや、てっきり二人とも付き合っていると思ってさ。ごめんね」
食事もそこそこ、しっかりとデザートもいただき、ニコニコしながら食器をかたづけている母さんと手伝っている姫川。
それを眺めている行き場所の無い俺。
「司は怪我しているんだから、しばらく家事しなくてもいいよ」
「代わりに私が頑張りますねっ」
お言葉に甘えて、一人ソファーで転がりながらテレビを見ている。
姫川と一緒に調理をしていた時が懐かしい……。
「お風呂の準備してくるから、台所任せても平気?」
「はいっ! 大丈夫です!」
母さんはエプロンで手を拭きながら台所を出ていく。
姫川は一人、黙々と皿を洗い、着いた泡を流し、カゴに入れていく。
本当だったらその隣に俺がいるはずなんだけどな。
「なぁ、手伝うか?」
……。返事が無い。聞こえていないのか?
少しだけ心配になり、ゆっくりと姫川の方に近づく。
再び俺の耳に念仏が聞こえてきた。
「つかさくん、つかさくん、つかさくん、つかさくん……」
俺の名前を連呼している姫川。
念仏と思った言葉は俺の名前だったようだ。
姫川さん、少し怖いですよ?
「姫川?」
姫川の隣に立ち、肩に手をかける。
「うひゃぁ――痛っ!」
姫川の変な声と同時に痛がっている姫川。
手先を見ると、デザートで使った果物包丁を洗っていた。
その刃先で少しだが指先を切ってしまったらしい。
しまった、そこまで気が付かなかった。
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