第51話 ゆったりとした時間


「お風呂あがりましたー」


 いつもと同じように頭タオルの姫川。

さっき脱衣所にあったピンクのパジャマを着ている。


 ペンをテーブルに置き、姫川の方に歩み寄る。


「おう。俺も風呂入ってくる」


 姫川の目線は俺のおでこ、それからハンカチを巻いた指に移る。

少し申し訳なさそうな表情をしながら、俺の目の前まで歩み寄ってくる。


「おでこと指、大丈夫ですか? まだ痛みますか?」


 正直なところデコはともかく、指が痛い。

さっきまでの激痛はないが、若干生活に支障が出そうな気がする。


「さっきほどは痛くない。姫川が気にするほど痛くないし、気にしないでくれ」


 少しだけ強がってみた。あまり女の子の前で弱みを見せたくない。

それに痛がっても姫川が困るだけだしな。


 姫川の小さな手が俺のおでこをさする。

湯上りの姫川はほのかに火照っており、手も温かくなっている。


「血は止まったみたいですね。指は?」


 姫川の手が俺の指を軽く握る。


「あー! 汗かいた! 風呂に行ってくる!」


 少し叫んでしまった。

キョトンとした表情の姫川をリビングに残し、俺は風呂場に急ぎ足で移動する。

なるべく痛みのある指を動かさないように服を脱ぎ、ぎこちないが頭と体を洗う。

風呂も上がり、タオルを首にかけいつも通り牛乳を入手するため台所に行く。

ここまでは問題ない。あまり右手を使わないで済んだ。


 リビングにはソファーでノートを開く姫川の姿が見える。

しかし、そのノートは俺のノート。なぜ見ている?


「天童君。正直に話してください」


 ノートを片手に俺の目の前までやってくる姫川。

若干表情が恐い。何か責められそうな予感がする。

もしかして、脱衣所で見たあれの件についてだろうか?


 もしそうだったら全力で謝罪しよう。

腰を直角に曲げ、素直に謝ればきっと許してもらえるはず。


「俺はいつでも正直さ。で、なんだ?」


 俺の目の前に開かれたノート。

とあるページを境目に筆跡が異なっている。

あぁ、さっき書いたところが変な文字になっているな。


「これはどういうことですか? もしかして、ペンを握ると痛いとか?」


 お、気が付きましたね。当たりです。

素晴らしい推理力ですね。


「ん? ちょっとペンの持ち方を変えてみた。まぁ、俺には読めるし、勉強するにも問題ないぞ」


 疑惑の目を向けてくる姫川。

ノートを閉じ、テーブルに戻す。

そして、俺の指を優しくさすってくれた。


「痛くないですか? 大丈夫ですか?」


 泣きそうな声で。今にも泣き出しそうな声で俺の指をなでる姫川。

事故とはいえ、責任を感じてしまっているのだろう。


「問題ない。湿布も貼ったし、多分明日には治る」


 治るはずがないとちょっとだけ思った。


「無理、しないでくださいね。髪、リビングで乾かしてもいいですか?」


「別に構わないけど?」


 そそくさ部屋を出ていき、ドライヤー片手に戻ってきた。


「はい。じゃぁ、ソファーに座ってください!」


 え? なぜそうなる?


「何をするんだ?」


「天童君の髪を乾かします。さぁ、早く来てください」


 手招きをしている姫川。

とりあえずソファーに座り、正面を見る。

後ろには姫川がドライヤー片手にスタンバっている。


「いきますよー。熱かったり痛かったら言ってくださいね」


 勢いよくドライヤーから熱風が放たれ、俺の頭皮を直撃する。


「熱っ!」


「ご、ごめんなさい! ちょっと近かったですね」


 ひ、姫川。そんなに近づけてドライヤー使ったらそりゃ熱いよ。

数分経過し、姫川も段々と慣れてきた。そして俺の髪は乾き始める。


 そう言えば、誰かに髪を乾かしてもらうの初めてだな。

ちょっと気持ちいかも。

目を閉じ、ソファーに体重を預け、ゆったりとした時間が流れる。


「終わりました!」


 自分の手で髪を触ってみる。

うん、乾いている。が、何か今までと違う感じがする。

何だこの違和感。


「ありがと。助かったよ」


 振り返り、姫川の方を見る。

熱風のせいか、すっかり姫川も顔が赤くなっている。


「私もここで乾かしていいですかね?」


「ん? いいぞ」


 俺の隣に座った姫川は頭タオルを取り、テーブルに置く。

濡れた髪を手ぐしで少し整え、ドライヤー片手に乾かし始める。

 

 隣にいる姫川の髪が、ドライヤーの風に乗り、俺の腕をくすぐる。

初めは少し冷たく湿っていた髪も、次第に乾き始め、真っ黒な髪が舞い踊る。

ほのかに漂う石鹸の匂い。そして、俺をくすぐる姫川の髪。


 俺は無意識に指が痛い事も忘れ、姫川の髪を掴んだ。

軽く握った髪は、サラサラで俺の手からすぐにすり抜けてしまった。


「髪、痛んでました?」


 俺の目を見ながら姫川が訪ねてきた。

無意識でしてしまったので、回答に困る。


「っへ? あ、いや、えっと、サラサラで痛んでないと思う」


「そうですか。もし枝毛とかあったら教えてくださいねっ」


 笑顔で俺に話しかけてくる姫川。

うん、その笑顔は激しく可愛い。これは本心だ。

今まで気にしなく、考えようともしなかったが、やっぱり姫川は可愛い。

クラスの奴が姫川にお熱になるもの理解できてしまう。


「終わりました! ドライヤー元の場所に戻してきますね」


 ソファーから立ち上がり、姫川が部屋から出ていく。

あー、疲れた。今日は早く寝よう。もう、寝よう。


 リビングから自室の扉を開け、寝る準備をしようとした。

が、いつもと違う事に気が付く。


 俺のベッドの手前に、布団が一式。

はて、こんな布団準備したっけ? してないよな?

少しだけ扉の前でフリーズする。


「あ、今日は私も一緒に寝ますよ。寝てる時、万が一何かあったら大変じゃないですか」 


「へ?」


「天童君がお風呂に入っている間に移動しました。あ、私寝つきもいいし、天童君がうるさくても多分寝れるので大丈夫です」


 フリーズした俺の隣でハキハキ答える姫川。

俺の思考はフリーズしたまま時間だけが過ぎていく。


「さ、歯を磨いたら寝ましょう。少しでも休まないと」


 俺の腕をつかみ、洗面所に強制連行する姫川。

姫川ってこんなに行動力あったけ?


 そして、洗面所に移動した俺達は二人並んで歯を磨く。

いつもと違う髪型になっている俺の髪はこの際スルーしよう。

明日の朝に直せばいいや。きっと姫川がさっき何かしたに違いない。


 そんな鏡に映っている俺達は、はたから見たらどのように見えるのだろう。

鏡越しに姫川を見ると、俺と目線が重なった。

もしかしたら同じことを考えているのか?

互いに少しだけ微笑み、コップを片手に口を漱ぐ。


 並んだコップとコップに刺さった歯ブラシを背に、俺達は並んで洗面所を後にした。

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