第36話 雄三さんの手土産


 互いに目が合い、俺は姫川が座っている階段に向かって歩き始め、目の前でその歩みを止めた。

いつもより顔が赤い。きっと自分の父親の発言に対して、何か思う事があるのだろう。

そして俺は、自分の顔を姫川の顔まで近寄らせ、そっと耳元で囁く。


「全部聞いていた?」


 無言でうなずく姫川。まったく、席を外せと言った雄三さんに逆らって、こっそり聞いているとは。

まぁ、話す手間が省けたと思えば、全てが悪い事ではない。

でも、聞かれたくないことだってあるんですよ?


 俺は階段に座っている姫川に手を差し出す。

俺の手をとり、立ち上がる姫川。その顔は赤くなったままだが微笑みが溢れている。

あの会話を聞いて、親の言葉を聞いたうえで、どんな心境になったらこんな顔つきになるのだろうか。

きっと、顔が赤くなるくらいの怒りが込み上げているのだろう。

心拍数が高くなりながら、俺はその手を握ったまま扉の前に戻ってきた。


 姫川の手を離し、扉を開け二人でダイニングに戻って来る。

再び二対一の構図に戻り、俺と姫川は着席する。


「杏里。このまま下宿にいても良い。ただ、何かあったらすぐに私に連絡を入れる事。わかったな?」


「はい……。何かあれば、すぐに連絡を入れます」


「司君にも念のため、私の名刺を渡しておく。プライベート番号も書かれているので、杏里に何かあったら私にすぐ連絡を入れてくれ」


「分かりました。名刺、預かります」


 長かった話しを終えることができ、さっきまでの熱い討論に終止符が打たれた。

きっと、姫川の予定通りの結果になったと予測される。


「あの、姫川さん……」


「はい」


「なんだね?」


 おっと、二人とも姫川さんなので、返事が被ってしまった。


「すいません。お父さんの方で……」


 ふと、雄三さんの動きが止まる。


「君に『義父さん』と呼ばれる筋合いはない!」


 何を勘違いしたのか、再度ヒートアップする雄三さん。

何だかめんどくさくなってきてしまった。


「いえ、それは違くてですね……」


 同じ苗字の人を目の前にした時は、どのように呼んだらいいんだ?

気を利かせてくれたのか、雄三さんが口を開く。


「私の方は姫川さんでいい。杏里の事をどう呼ぶのか、二人で決めてくれ。同じクラスなんだろ?」


 チラッと俺の方を見る姫川。

別に苗字でも名前でもあだ名でも、誰の事を指しているのかが分かれば特に問題はない。

特に年齢が近ければどの様に呼んでも違和感はないはず。

まぁ、俺が雄三さんの事をあだ名で呼ぶ方が違和感があるだろう。


「分かりました。お手数おかけします」


 無表情に答える。しかし内心ドキドキしている。


「杏里も、それで良いな?」


「私は特に気にしませんが」


「では、そろそろ帰らせていただくよ。長い時間すまなかったね。二人とも明日は学校だろ? 私も早朝から仕事なんだ。仕事も山のようにある。会社で私は――」


 そして、姫川さんの会社についての語りが十分以上続いている。

帰ると言ったのに、延々と会社の事について語っている。

自分の実績とか、苦労した話とか。俺と姫川は無言で話を聞いている。

はっきり言って息苦しい。誰か、話を止めてくれ……。



――ピンポーン


 神様ありがとう!


「ちょっと出てきます」


 俺は急いで席を立ち、玄関に向かった。

玄関に立っているのは、スーツを着たご年配の方。

そして、片腕が無い。俺は、内心ドキドキしながらその老人に声をかける。


「えっと、どちら様で?」


 俺の知り合いに片腕の無い老人はいない。

老人は軽く頭を下げ、その口を開いた。


「私は姫川社長の運転手を務めさせていただいております。社長はまだいらっしゃいますか? そろそろお時間の方が……」


 その声を聞いたのか、ダイニングから姫川さんが慌てて玄関に走ってくる。

そして、姫川もその後を追いかけるように玄関にやって来た。


「いやー、すまない。すっかり話しに華が咲いてね。直ぐに戻るよ」


 姫川さんはダイニングに戻り、紙袋とビジネスバッグを持ち玄関に戻ってきた。

手に持っていた紙袋を姫川に渡し、いそいそとシューズを履く。


「忘れていたが、手土産だ。二人で食べるといい。要冷蔵だ」


 要冷蔵って……。だったらもっと早く出してほしい。随分常温で放置してしまった。


「では、私はこれで失礼する。杏里、何かあったらすぐに連絡を」


「分かりました。そこまで心配しなくても大丈夫です」


 雄三さんは姫川に向けていた満面の笑顔から。


「司君。君に親の心は分からないかもしれないが、くれぐれも……」


 俺の方を睨みつけ、若干威圧感の感じる口調で話していった。


「姫川社長、そろそろお時間が」


「あぁ、今行く」


 そして、二人は玄関から去って行き、ホールには俺と姫川の二人が残された。

まるで嵐が去った後のような静けさと爽快感が俺を襲った。


 生きているって素晴らしい。呼吸が、今まで感じた事が無いくらい空気が美味い。

そして、この解放感。まるで草原の風になったような気分だ。 


 しばらくボーっと立っていると、姫川が俺の腕を人差し指で突っついてきた。

危ない危ない。別な世界に行きそうでした。


「いただいたお土産、開けてみない?」


 そういえば、姫川さんから何かもらったな。

要冷蔵って言っていたけど何だろ?


「そうだな。要冷蔵だから、早めに中身を確認して、食べてしまおう」


「ケーキとかチョコとかだったらいいですねっ」


「姫川は甘党だな。俺はフルーツとかがいいな」


 二人でダイニングに戻り、期待に胸ふくらませ中身を確認する。

何だろ? ケーキかな? 生チョコかな? フルーツかな?


 

――仙台名物 笹かま


 俺達の期待は裏切られた。

笹かまを一つずつ手に持ち、二人でソファーに移動した。

笹かまの入った袋を開け、互いに目線を交わしながら一口食べてみる。


「甘くないですね」


「お菓子じゃなくて、これはおかずだな」


「明日のおかずにしましょうか?」


「冊子を見ると、焼いても良いみたいだな」


「では明日も一緒に朝食を作りましょうか」


「だな。作りますか」


 嵐が去って、笹かまを二人並んで食べる。

姫川の下宿生活はこれからが本番。


 俺は責任を持ってサポートをしていこう。

食事や生活環境も良くしていこう。

安心して生活ができるようにできる事はやっていこう。


 心にそう思い、姫川の方を見つめる。

ふと、姫川と目線が合った。


「天童君、あの、えっと……。せ、責任、とるの?」


「もちろん。俺は責任を取る」


 姫川の笹かまを持った手が固まり、次第に顔が赤くなっていく。


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