第34話 ヒートアップ


 真っ直ぐに俺の目を見て話す姫川の父、雄三さん。

流石に社長と言う事もあり、俺は委縮してしまう。

俺の理解力が足りないのか、雄三さんの言っている意味が分からない。


「どうしたいと、いいますと?」


「杏里とは今までずっと一緒に暮らしてきた。杏里の性格も好き嫌いも熟知しているつもりだ。それが、今回の一件で随分性格が変わってしまったように感じる。君は杏里に何をした?」


 何かイラっとする言い方だ。別に俺は特別な事は何もしていない、と思う。

何もしていないよね? ここ数日の事を振り返るが、恐らく何もしていない。


「俺は別に何もしていません。ただ、困っていたので少しだけ手を貸しただけです」


「バイトもするそうじゃないか? そんな事しなくても私がいくらでも現金を渡せる。ここに住むこともなく、元の家に戻る事だってできる。だが杏里はそれを拒んだ。君は杏里に何を吹き込んだ?」


 いやいや、吹き込んだとか。それは言いがかりでしょ?

確かに家賃くれとかバイト紹介とかしたけど……。それだって生活していく上では必要な事だと俺は思う。働いて収入を得る。それに衣食住の確保は必須だと自負している。


「それは本人の意思です。自分の事を自分で決め、伝えただけだと思います」


「そんなはずはないだろう! あの子の事は私が良く知っている! まだ子供なんだ! 家を出て、バイトしながら学校に行く? そんな事許されるか!」


 決して広くはないダイニングに雄三さんの大声が響く。

恐らく扉の向こうにも響き渡っているだろう。そして、きっと姫川にも声が届いているはず。

姫川の事を良く知っている? だったら一人で食べる食事の事も雄三さんは知っている事だろう。


 昨日何を、どこまで父娘で話をしたかは俺には分からない。

でも、雄三さんの言っている事は正しいとも思えるし、間違っているとも思う。


「俺はバイトしながら、一人でここに住み、学校に行っていました。成績もそんなに悪くないと自負しているます」


「それがどうした? 君と杏里ではもともと住む環境も育ちも全く違うんだ。それは君の選んだ道だろ? 杏里をそこに巻き込まないでほしい」


「巻き込む? 俺は彼女を巻き込むつもりはありません。彼女が選んだ道を、その道を歩くのに少しだけ手を貸すだけです。道を作り、歩くのは自分自身です。親が決めた道ではないと俺は思います」


 俺は何を熱くなっている? こんなに熱くなる必要あるのか?

『じゃぁ、今回の件はなかったことで』とか、一言いえばそれで終わりになるのに。


「私は杏里を愛している。母親が亡くなった時、杏里を幸せにすると誓った。それがどうだ? 自宅を出て、こんな所に下宿なんて。ありえない!」


 その言葉に俺はイラっとしてしまった。こんな所? こんな所で何が悪い。

あなたにこの下宿の何がわかる?


 そうか、もともと住む世界が違うのか。

価値観の違いか、偏見か何かは分からないが恐らく俺と雄三さんの意見は一致する事はないだろう。

きっと、このまま話を続けても平行線をたどるだけだ。


 そう結論付けた俺は、雄三さんに一言だけ伝える事にする。


「分かりました。俺に言えることは少ないですが、彼女の意見を、その想いを尊重してあげてください。彼女は今、人生の分岐路にいると思います」


「……昨夜杏里と話をした。何度話をしても自宅ではなく、この下宿に居たいと。それが杏里の考えだ」


 最後の方は声が小さくなり、上手く聞こえなかった。

さっきまでヒートアップしていたが急に覚めてしまった。


 しばらく沈黙の時間が続き、互いにカップに入った紅茶を飲む。

さっき姫川の入れてくれた紅茶だ。いい香りが高ぶった心を落ち着かせてくれる。


「すまない。少し大きな声を出し過ぎてしまったようだ」


「そんな事はありません。俺も色々と言って申し訳ありませんでした」


「杏里は、ここでもやっていけるのか? 私はほとんど自宅にいない。そんな自宅に杏里を一人にさせるのも悪いと思っている。今回の件を考えても、誰かを雇い、自宅に他人を出入りさせる事も躊躇してしまう」


「親戚とか社内で頼れる方とかはいないのでしょうか?」


「いたら初めからそっちに依頼をする」


 まーそうですよね。頼れるところとか親族がいれば姫川だって初めからそこに行くわけだし。

雄三さんと少しだけ話をしたが、社内で敵が多そうに感じた。


 恐らく雄三さん個人の能力が高くて社長をしているのだとは思うが、こんな口調や態度ではきっと部下が付いてこないだろうなーなど、勝手に想像をしてしまった。


「この下宿では不安でしょうか?」


「不安でしかない。若い男女が一つ屋根の下。考えただけでも……」


 雄三さんの手がプルプル震えている。

もし逆の立場だったとしたら、きっと俺も同じことを考えているかもしれない。

いや、きっと考えるだろう。最愛の一人娘をどこの誰とも知らない男がいる家に預けるんだ。

その気持ちは分からなくもない。


「彼女を信じて下さい」


「杏里を信じる……。私はいつでも杏里を信じている。君の事も、昨夜天童さんから少し聞いていてね。多少は君の事も信用している。が、若い時は間違いが起きやすい」


「もし間違ってしまったら、遠慮なく言ってください。俺も彼女もまだ世間知らずで子供です」


「だから心配なんだ。子供が二人でこんな所に……」


「姫川さんの肉じゃが食べました?」


「あぁ、おいしくいただいたが、それが?」


「一緒に作ったんです。本人も初めておいしくできたって、喜んでいました」


「そうか。どうりで普通に食べることが……、いや、うん、なかなか美味(うま)かった」


「彼女もできることが増えたんです。間違いは起きません。信用してもらえないでしょうか?」


 再び時計の秒針音が響き渡る。

数秒か、数十秒か。互いに言葉を発する事無く、時間だけが過ぎていく。

もう何時間も話をしているように感じる。この話の終着点はどこに向かっているのだろうか?


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