地球人類全員全滅殺人事件

あめのちあさひ

第1話

アサヒ探偵事務所へようこそ。我が社は米国が冷戦期に開発した対共産圏偵察用の高精度大気圏外望遠鏡を搭載した人工衛星を有する世界初のパノプティコン探偵事務所です。望遠鏡にはいささか手を加えていましてね、能力は冷戦期と比べ物になりません。米国に懇意のクライアントがいなければイラク戦争に投入してフセイン大統領を勝利させることだってできましたよ。失礼、これは余談ですね。そんなわけで僕にかかれば神隠しだって秒速で解決してみせます。警察のお歴々が僕の脚を舐めるたびにひとつまたひとつと暴力団やマフィアの機密情報がこぼれ落ちてきます。なんせ宇宙から地上のあらゆる自然物構造物を透過して見透かす神の眼を持っているのですから。アルセーヌ・ルパンが現代に生まれていたら絶望して転職していたことでしょう。自殺していたかも。さて、ご要望はなんでしょうか。失せ物さがしですか。汚い秘密の暴露ですか。ご依頼を聞かせてください。ひとのこころを溶かすことだって承りましょう。

長々と口上を並べ立てる探偵の言葉を信じているのかいないのか、無表情に聞き入っていた令嬢は、目線ひとつ外すことなく本題を告げた。

「逃げた猫を探してほしいんですの」

探偵は苦笑する。

「猫ちゃんですか。ええ、けっこう、ご依頼引き受けました。しかし猫ちゃんが逃げて心配な気持ちはわかりますが、いやはや財閥のお嬢様ともなると猫一匹のために神の眼を使おうと思しめす……」

「一刻も早く見つけてほしいんですの。猫が次の殺人を引き起こす前に」

探偵の冷やかしにも表情を崩さない女の姿勢と、猫に不釣り合いな殺人という言葉に興味を惹かれた探偵は、マックブック・エアを起動した。おんなが静かに差し出した猫の写真を一瞥してスキャンにかけ、手許の端末を走らせる。

「ボタンひとつで解決して見せましょう」

カタカタ、ターン!と、起動のキーとなるエンターキーを叩くまでに"ボタンひとつ"どころではない数のキーを押しているわけだが、芝居掛かった探偵は些事に頓着しない。

「まもなくですよ、まもなく……猫ちゃんの居場所がわかったら、画面が光りますからね、いやなぜだか今日は処理速度がいささか遅いようだが……」

微笑みをたたえた余裕の表情でディスプレイを見ている探偵の顔が時間の経過ととまに曇りはじめた。

「おかしい、おかしい」

その言葉に連動するかのように、本来、定点を示すはずの"位置特定"のシグナルがディスプレイ上に無数に広がっていく。猫は無限に存在を示し続ける。

「まさか」

異常事態を目の当たりにしてなお思考を止めない探偵の脳裏にひとつの結論が浮かび上がる。

「"シュレディンガーの猫"か!」

探偵の叫びとともにマックブックエアは電源を落とし、生涯覚めえぬ永遠の眠りについた。探偵は呆然としている。おんなの顔に失望の色はない。最初からこの結果を見越していたようだ。

「わたくしはあえて"甘く見るな"などとは申し上げませんでした。依頼を安請け合いしたことを後悔なさっていますか」

「ええ、身に染みましたよ、お嬢さん。しかし、依頼は依頼ですから、完遂するのみ……」

真夏の候、二十二度まで冷房を効かせた事務所にも関わらず探偵は大粒の汗をかいている。このような興奮を抱いたのは、かつてソマリアの海賊に日本刀ひと振りの武装で斬り込んだ戦線以来である。しかも此度相手にするのは斬れば生き絶える海賊ではなく、存在の不確かな猫である。探偵はなかば意地になって応える。

「当座の経費として、わたくしの名において星屑財閥の支援を得られるようにいたしましょう。ただし、失敗したら、どんなおもしろい死に方をしてもらおうかしら」

ここで初めて表情を崩し、星屑財閥の時期当主にして伯爵令嬢・星屑キラ子は残虐な笑みを浮かべた。探偵・旭清十郎も負けじと笑い返したつもりであったが、余人から見ればそれは泣き顔にしか見えなかったであろう。

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地球人類全員全滅殺人事件 あめのちあさひ @loser_asahi

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