空虚の君へ

朝比奈 里香

第1話 終点にて

『また、駅前のビルから人が飛び降りたようだ。ツイッターでは、そのニュースが大層話題になっている。

 不謹慎だが、私は羨ましく思った。死にたいだとか、酷く病んでいるという訳ではない。ただ、飛び降りた時の景色を見てみたいのだ。どんな風に、空が、街が、人が見えているのだろうか。きっと死んだら死んだで後悔はするが、その景色を見ることが出来るのであれば、それすらも構わないと本気で思っている。』


 また電車が通り過ぎた。いつまで経っても各駅停車の電車は来ない。電車を待っている時間だけは本を読めるので、特段嫌という訳ではない。しかし、この12月の寒空の下で、棒立ちになり電車を待っているのは、流石に辛いものがある。しかも、深夜の23時ともなると、それはもう当然のように寒い。

 俺は、ハーっと白い息を吐きながら夜空を見上げた。この小説の中の少女は、こんな夜空でも、飛び降りたがるのだろうか。空も、街も、人も見えにくい真っ暗な夜空を。

 やっと電車が来た。電車が駅に停まる度に扉が開き、冷気が入ってはくるが、やはり外よりかは幾分も温かい。その温もりが心地好い。


 「お兄さん、終点ですよ。」

 聞き覚えのない女の子の声が、朦朧とする意識の中降りかかってきた。肩を揺さぶられ、やっと目を開けた。電車の明かりが眩し過ぎて、目を閉じ、瞼をこすり、もう一度ゆっくり目を開けた。ぼやけた視界に映ったのは、俺を覗き込む女の子の顔だった。

 「え?あ、ん、もう終点?」俺は、さっきの女の子の言葉を、頭の中でゆっくり反芻していた。どうやら俺は、電車の中で眠ってしまった。よく考えれば、終電なのに寝過ごしてしまったようだ。「うん、そう。西馬込って書いてあるでしょ。」と、駅名の書いているプレートの方を見ながら、彼女が言った。そして、車内の奥の方に目線を向け、「ほら、車掌さんも来たよ。立って、はい、起きる。」と、俺の腕を掴んだ。そのはずみに俺は手に持っていた小説を落としてしまい、拾って鞄に仕舞った。

 そして、俺は引きずられるように、やっと重たい腰を起こした。

 「すみません。すぐ出ますね。」と、彼女が車掌に声をかけ、車内を後にした。

 幸い西馬込は終点であると同時に始発駅でもあるのだ。西馬込から家へ帰るには、西馬込から折り返す電車に再度乗る必要がある。しかし、電車の扉は開く気配を見せない。俺は、そこでやっと自宅に戻れないことに気が付いた。ならば、駅にいつまでもいてもしょうがない。寝起きのゆっくりと鉛の様に重たい足を、見えない足枷に引きずられる様に動かしながら階段を上っていく。

 ホテルを探すか、それともタクシーを捕まえて自宅まで帰るか。思い悩みながらポケットのケータイに手を伸ばした。

 「あ。」

 「何、どうしたのお兄さん。」先に階段を上り終えた彼女が、階段の上から俺を見下ろしている。

 俺は、どうした困ったものだという表情を見せながら、「ケータイの充電がない。」と、言った。彼女が運よくモバイルバッテリーを持っていて、それを貸してはくれないだろうか。そんな僅かな願いを込めて発言をしたのだが、返事は予想外のものだった。


 「家に来る?」


 彼女は依然変わらぬ態度で淡々と、そう言った。

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