一秒三十フレームで捕まえたい

摘祈なぎ

一秒三十フレームで捕まえたい

 猛暑と台風と猛暑が休日を襲って数日経ち、急に肌寒くなったと感じる。クラスメイトたちは今日一日、頻繁に教室のエアコンのボタンをいじっては上げ下げ、止めては点けての繰り返しだった。体感温度が狂ってゆく。私は紺色のカーディガンをのそのそと羽織った。

 放課後になれば教室のエアコンは止まる。そして、部活に勤しんだり居残りで宿題を片付けたりなどそれぞれの時間が流れ出す。私も大きめの黒いショルダーバックと教材の詰まったリュックサックを背負ってせかせかと教室から出て行く。周りからはよく「荷物が多くて大変そう」とかストレートに「コケそう」と言われてしまう。大事なものを肩から下げているんだから、そんなヘマはしない。第一、世間一般から見たら小さめの身長であることなんて私が一番承知している。

 事務室に寄って部室の鍵を借りた。夏休みが明けたばかりで普段より部員の出入りは少ない。元からあまり活動が活発な部活動ではないのも理由の一つだが。私は鍵の貸出記録帳に日付と時間、自分の学年と名前を書き込んだ。

 事務室から少し歩くと写真部とプレートの下がった扉が見えてくる。そこに鍵を差し込み、回す。部室は一階の一棟と二棟の間にある小さな部屋だ。奥にもひとつ部屋が続いていて、そこは暗室になっている。ドアノブをひねり、入り口のすぐ脇にあるスイッチに触れて電気をつけた。窓がなく換気の悪いこの部屋はいつも、埃っぽい。


 時々ずり落ちてくるニーソックスを引き上げながら、学校の敷地内をぶらぶらと回る。首からぶら下げているこのカメラは私が幼い頃、父が買ったものだ。滅多に使わず押入れの中で眠っていたものを私が勝手に使っている。

 校舎も校庭も見慣れたものように見えるが、季節や時間によって違った表情を見せる。そのワンシーンを捉らえるのが私は好きだ。私しか知らない一瞬の宝物を捕まえるのだ。

 中庭の石造りの水槽で生物部が育てているらしい稲たちをぼんやりと眺める。夏休み前に見た時とは数が減っていたようだが、一本一本にきちんと実りがある。まだ、どの稲もうっすらと青さが残っていた。

 シャッターを切ろうとカメラを構えたが、どうも太ももが痒くってうまくいかない。痒みの元を確認しようとと太ももの内側に触れる。スカートの裾を軽くめくり、そろりとのぞいてみるとポチと赤く腫れていた。虫刺されだ。暑さが和らいだ後だということに加えて、ここは水辺だ。蚊が好む場所としては申し分ない。

あきらちゃーん。何やってるのー。」

 能天気な声が辺りに響く。慌てて振り向くといつもの、ふわふわ笑顔の先輩がこちらに近づいて来る。彼女のお供にはポラロイドカメラ。やっほー、というように手を軽く振ってきた。

春紀はるき先輩。」

 そして、パチリ、と嫌な音がした。まだ辺りに潜伏しているかもしれない蚊に気を取られていたのだと思う。完全に油断していた。たった今、スカートの中をあほな顔をして覗いている女子高生という場面が切り取られ、現実に「在る」ものとなってしまった。ビーという小さな音を立てながらカメラは小さなフィルムを吐き出す。「ナイスショット、しちゃったな。」と先輩はにまり。満足気に言った。

 春紀先輩は私の一つ上の先輩だ。三年生の部員は受験があるからと6月ごろから徐々に顔を出さなくなったのだが、春紀先輩だけはまだ頻繁に部室に顔を出し続けていた。いつもポラロイドの小さなカメラをいつも持ち歩いていて、気ままにシャッターを切っている。と思いきや「近頃金欠なんだよにゃ〜」と照れつつフィルムが空っぽのカメラのレンズを覗いていることもある。あといつもゆるゆると笑っていて後輩に優しい。よく私に構ってくれるし、お菓子もくれるし。

 先輩は出てきたばかりのフィルムを手に取りパタパタとあおいでいる。

「先輩、それって……。」

「決まってるじゃない。お宝ボックスに入れるのです。いつも言ってるでしょ。」

 そう。そうなのだ。先輩はよく私にカメラを向ける。しかも現れるタイミングがいつも微妙なのだ。二十枚で千五百円もするフィルムを使って、私の醜態ばかりを撮る。このことさえ除けば、本当に良い先輩なのに。

「知ってますけど!」

 スカートの生地が擦れて、先の虫刺されがむず痒い。最近までうるさかった蝉の音はいつの間にか聞こえなくなって、まるで最初から彼らがいなかったみたいに静かだった。台風で皆吹き飛ばされてしまったのかも。1枚くらい蝉の姿を写真に収めておいてもよかったかもしれない。

「この夏、一度も刺されなかったのに……。」

「多分部室にかゆみ止めあったと思うよ。」

「そうですか。」

 先輩は、「部室、もどるでしょ」と言ってニヤニヤとこちらを見つめている。私はため息をひとつついた。とりあえず、この虫刺されと早く決別したかった。いつシャッターを切るかわからない先輩の前にうかうかとは出られないので、おとなしくその背中を見つめながら歩くしかなかった。


「確かこの辺にあったはずなんだな〜。」

 先輩は撮ったフィルムを缶箱、通称お宝ボックスにしまうと、部室の隅の机の写真関連の雑誌やら作品募集のチラシ、大昔に書かれて最後のページまで埋まることのなかった活動記録帳などなど、積み上げられていたものをバサバサと崩していった。あった、と小さく声を上げると見つけ出した救急箱からチューブに入ったムヒを私へ手渡す。

「はい、どうぞ。」

「……使用期限とかって大丈夫なんですか、これ。」

「大丈夫、大丈夫。」

 先輩に背を向けて、受け取ったムヒを塗る。その途中スカートの裾に白いクリームが付着してしまった。ついてないなあ、と思いながら汚れを手で拭う。拭ったそれの対応に困っていると先輩が、不器用なんだからー、と後ろからティッシュを差し出してくれた。適当なところに塗り広げる訳にもいかないので素直に受け取る。後でゴミ箱に捨てようと、使ったティッシュを丸めてポケットに入れた。

「ね、私、明ちゃんのちゃんとした写真ていうか正面?向いてる写真持ってないんだよね。」

「はあ。嫌ですよ私。」

「まだ何も言ってないじゃんねえ。」

 これは、絶対、カメラを構える瞬間を探っている。しかし、一度私がその雰囲気を捉えてしまえばこちらのものだ。実は、撮られないための必勝法みたいなものがある。いざ先輩がシャッターを切ろうとしたら変に隠れたり逃げたりするのではなくあえて近づくのだ。こうするとカメラのピントが合わずうまい具合には映らない。特に先輩のカメラだとぼけすらせず、何も写らない。だからそうしてしまえば、案外あっさり身を引いてくれる。最初、これを試した時は明ちゃん卑怯だな〜とふてくされた顔をしていた。

 私が先輩の顔をじっと睨んで様子を伺っていると、わざとだろうか、視線を合わせてきた。先輩からふにゃりとした表情が消える。先輩の瞳はクリーム色に染められて痛んだ髪とは違って、真っ黒で吸い込まれそうになる。何秒くらい、経っただろうか、私は妙に恥ずかしくなって、目をそらした。この雰囲気を紛らわそうと咄嗟に話題を振る。

「せ、先輩は受験勉強大丈夫なんですか。」

「なあに?心配してくれてるの〜?嬉し〜。」

「いや、普通に他の先輩とかもう全然こないですし、私に構ってる暇なんてないんじゃないかな、って。」

 仲の良い先輩後輩でたわいもない会話をしているはずなのに変に体温が上がる。カーディガンを脱ごうか迷った。これから先輩と顔をあわせることもどんどん減っていって、最後には。

「息抜きも大切なんだよ。明ちゃんといると、楽しい。」

 先輩はそう答えると照れ隠しなのかへへっと声を漏らす。

「あの、あとポラロイドって楽しいですか?あんま撮り直しとかできないし、どうなのかなって」

「あー私結構面倒くさがりなとことかあるからさあ、すぐ現像できていいってだけだよ。ここだけの話こだわりとかあんまりない、かな。」

「へえ……、でも、先輩見てるとちょっと楽しそうだなっても思いますけ、ど」

 不意に手を握られた。急な出来事に体が強張る。もっと思考を巡らすべきことがあっただろうに頭に浮かんだのは、私手汗大丈夫かな、ということだけだった。季節の変わり目は、人をおかしくさせるのかもしれない。

「思い出さなきゃいけないなら思い出なんていらないんだよ。ただ、在ればいいの。本当にそれだけなんだよ。」

 握った手の力が一瞬、強まった気がした。

 パチリ

 その音に、私また先輩に隙を与えてしまったんだなと理解する。こんな至近距離で撮影してしまってはフィルムにきちんと姿が現れるだろうか?カメラはビーと音を立てるがフィルムが出てくる気配は一向になかった。

「実はさっきので最後だったんだ。」

 そういって笑ってみせるが、先輩にいつものふわふわは感じられず力無い様にみえた。

「そういえば大学、どこいくんですか。」

 声が震えた。先輩に伝わってしまっただろうか。自分が何を怖がっているのかわからない。うまく声が届かなかったらしく、先輩はもう一回行ってもらってもいい?と申し訳なさそうに言った。よかった。薄く、短く深呼吸をする。口から出したのは、先とは違う言葉だった。

「先輩、今度、いつでもいいです。外に写真を撮りに行きませんか。」

「お〜。いいねえ。」

「でしょう。一緒に行きませんか。」

「そうだなあ、かわいいかわいい明ちゃんの頼みだからにゃ〜。」

「あ、具体的には冬がいいですね。虫、いないですし。」

「それ私が受験生だって知ってての発言かなあ。全く〜。」

 ビデオを回そうと思った。確か一眼でも撮ることができはずだ。きっと写真を撮るだけでは間に合わない。

「私、そろそろ塾の時間なので帰ります。」

 時計を確認した訳ではなかった。そっと手を離される。先輩は部室で勉強していくらしい。事務室で借りた鍵を先輩に託して、私は部室を後にした。

 先輩の冷たい手の感触がなかなか消えなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一秒三十フレームで捕まえたい 摘祈なぎ @sumomosuoisii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ