青春病

神無月

第1話

 孤独を埋めるのは孤独だけ。

 今日は1日中沈んだ天気だった。分厚い鈍色の雲が空を埋め尽くしている。それなのに太陽の存在はしっかりと感じられて、「陽が落ちるのが早くなったなぁ」と今頃地平線に身を隠そうとしているのであろう太陽を見出しては冬の訪れを予期していた。

 脳が勝手にリピート再生しているのか、それとも1kmの距離とイヤホンの壁を越え、本当に耳に届いているのかわからないが、野球部の威勢のいい声が遠くに聞こえる。

 生徒の大半は未だに学校で、青春とやらを謳歌している時間だ。それに引き換え私は……

 顔も、運動神経も、頭も悪い私にそれを求める資格なんてありゃしない。そんなことわかってる。でも、少しぐらい救いがあったっていいじゃないか。

 うちの学校の校歌の歌詞にもある「青春」という言葉。それの定義が私にはわからない。

 少なくとも、私の身の丈に合わないものであるということは確かだ。

 雑音がうるさいから、音量を上げる。耳が割れそうになって、少し下げる。

 ゆったりとしたピアノの旋律に乗って、女性の声が流れ込んでくる。

 水晶のような歌声に包まれていると、全てを肯定されたような気持ちになる。

 インターネットの一部界隈でちょっとした有名人になっている、女子高生シンガーyui。最近、彼女の歌ばかりを聴いている気がする。

 誰もが心に秘めているであろう感情を歌う彼女は、私のような悩み多き女子中高生を中心に人気を博していた。

「私のための曲だ」そう本気で思わせるような魔力が彼女の歌にはあった。

 私とほとんど同い年の彼女にできるのだから、私にもできる。リアルだと私の言葉を聞いてくれないけど、顔が見えないインターネットなら。そう思って、貯金をはたいて買った機材を抱えてカラオケボックスに通っていた時期があった。

 1週間で機材は物言わぬインテリアと化した。

 慣れない手つきで録音したそれは、自分の声であるという色眼鏡を通してでさえ、聴くに堪えないものだった。どうしようもなく、歌唱力が足りなかった。歌さえ上手だったら、私は彼女だった。散々打ち砕かれても、希望的観測をすることを辞められない。

 結局、そういうものだ。現実でもインターネットでもそれは変わらない。たったひとつ、それを持っているか否かで人間の優劣が決まってしまう。

 じゃあ私が持っているものってなんだろう。

 毎晩布団に潜って考えて至った結論が小説だった。

 作文は得意だった。小学生の頃から読書感想文では毎年のように賞状をもらっていたし、中学時代の国語の教師からは「文章を書くのが上手だね」とよく褒められていた。社交辞令だったのだろうけど、私はそれを自分の小説をインターネットに投稿する理由にするぐらいには間に受けていた。

 紡ぎ出されるのは私に似た誰かと、yuiに似た誰かの友情物語。

 妄想マシマシ、ご都合主義マシマシの痛い物語。

 そんな、小学生の頃に書いた夢小説となんら変わりない内容でも、それが私の希望だった。本心だった。

 誰かに私の気持ちをわかってほしかった。共感してほしかった。それだけなのに。

 閲覧数は100回もいかない。累計3万文字の私の心はスペースデブリの一部になった。

 あまりにもやるせなくて、時々姉のスマホを借りては自分の小説にファンを装ったコメントを送っている。


 欺瞞に満ちた言葉なんていらない。

 誰か私を見て。


 1番欺瞞に満ちているのは私自身だし、誰も私を見てくれない。本当に、情けない。

 それでもこうして小説を書き続けている理由は、いつかきっと誰かわかってくれる。いつかyuiみたいに多くの人に見てもらえる。そういう根拠のない自信。それと、行き場のない感情が身体の中に蓄積されていって、張り裂けそうだから。


「……なに書いてるの?」

 突然右耳の「つまり」がとれ、代わりに生温かい空気が入ってきた。

「んひぃっ!?」と情け無い声をあげて振り返る。

 灰色の中に鬱陶しいライトブラウンが踊っていた。

 私は彼女を知っている。川崎唯香。私の大嫌いな女だ。

 私のイヤホンの右側に視線を送っては、なぜか頬を緩ませている。

「なにも、書いてないです」

「嘘だ。画面見えてた」

 全身が凍りつき、冷や汗が腕を滴る。その一言は私にとって死刑宣告に等しかった。

 イヤホンをひったくり、スマホをポケットに突っ込んだ。イヤホンが雑に絡まっているけど気にしていられない。

 一刻も早くこの場から逃げ出したかった。

 川崎唯香は鷹揚な性格で、誰とでも分け隔てなく親しくする、おまけに学級委員長というクラスの中心人物。頭もいい、運動もできる、性格がいい、顔がいい。神さまが遊び半分で創ったとしか思えない、欠点が見当たらない存在。多分、彼女を創ったときに余ったパーツで創られたのが私だ。

 彼女に小説を見られたということは学校という社会における死を意味する。

 今まで可もなく不可もなく、いるのかいないのかわからない。そういう立ち位置を確保していたから平穏な生活を続けられた。それが、私が痛い奴だと知られたらどうだ。無責任な好奇心の矢面に立たされ、馬鹿にされる日々が待っている。

 軽率にクラスメイトに自作小説を読ませ、以来クラスにいられなくなった中学時代のように。

 そんなの、絶対に嫌だ。プラスは求めないから、せめて、マイナスにはなりたくない。

「今見たものは忘れてください」

「別にいいじゃん。減るもんじゃないんだし」

 足をより早く動かし、彼女と距離をとろうとする。彼女は「待ってよ」と言いながら私を追随する。ちょっとしたホラーだ。

 踏切が忌々しく鳴り響き、遮断棒は無慈悲にも私の行く手を遮った。

「なんで逃げるの? 私のこと嫌い?」

「そんなこと、ないです」

「私は君のこと好きだよ。仲良くしたいと思ってる」

 どうせ嘘だ。ろくに話したこともないくせに、どうして軽々しく好きとか言えるんだ。

「どうして、他人と距離をとろうとするの?」

 彼女は興味本位で私を知ろうとしている。そういう人は昔何人かいた。どうせ、2言目には「みんないい子だよ。1回話せばわかるよ」とか言うんだ。

 だから、話すだけ無駄。傷口を抉って、黒歴史を増やすだけ。

 彼女はだんまり決め込んでいる私を真っ直ぐに見据え、

「みんな嘘つきだから?」

 驚いた。他人は無条件に自分を好いていると思い込んでいるのだろう彼女の口からそんな言葉が出るなんて。

「わかるよ。でもさ、人の本当の気持ちなんて超能力者でもないとわからないじゃん。だったら潔く目の前の言葉を本心だと見なすしかなくない?」

 そうやって、「持っている人」は私を知った口で諭す。私のことなんて何も知らないくせに。

 友達がいるから、他人の悪意に触れたことなんてないから、そういう綺麗事を吐けるんだ。

「私の気持ちはあなたにはわからないです」

「わかるよ。だって……」


 彼女の言葉を遮るように、耳障りな音をがなり立て、電車が通り過ぎていく。だけど、川崎の声は掻き消されることなく確かに耳に届いてしまった。都合の悪いことだけ聞こえないなんて、アニメみたいなことはありえない。



「これから遊びに行こ?」

「いいよね?」と私の右腕に腕を絡めて上目遣いにこちらを見てくる。軽率なスキンシップをする文化に馴染みがない私はただ狼狽するしかない。握り拳は手汗で湿っている。

 左手にはスマホ。私の小説が映し出されている。

 川崎はいたずらっぽく目を細めた。

 なにがみんなの人気者委員長だ。人を脅すような下衆女じゃないか。

 電車を見送った遮断棒は未だに横たわったまま。反対方向から来る電車を待っている。

 さっきの彼女の言葉を反芻する。うるさく心臓が騒ぎ出す。ぐるぐるといろいろな思考が反響し、考えが纏まらない。彼女が虚言を吐いている可能性だってあるのに、あれだけ彼女の言葉を信じられなかったくせに、その言葉だけはすんなりと受け入れられてしまった。

 彼女はふんわりと微笑み、こう言ったのだった。

「さっき君が聞いてたの、私の歌だから」

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