私はどこもおかしくない

有髷℃

 僕は、飢えている。

 どうしようもない飢えに、おかしくなってしまいそうなんだ。

 この飢えは、食物を食べても消えそうにない。

 それならば、どうしたらいいのだろう。




 数時間前に連れてこられた暗い個室の中に、僕は座っていた。窓もない暗闇の中で、瞼の奥に眠る彼の姿だけを思い浮かべている。僕の名前を呼び、楽しそうに走り回っていた彼。恋人ができたと、嬉しそうに話していた彼。

 遠くから、足音が近づいてきた。

 コツンコツンと規則正しく鳴る音は、僕の部屋の前で止まった。

「連れてこい」

 低い、男の声だった。

「なぜ、彼を殺した」

 次に連れてこられたところは、どうやら尋問する部屋らしい。目隠しをされているせいで、周りの状況がよくわからないが。

「聞いているのか。なぜ、彼を殺したんだ」

 こいつは、真実を知りたがっている。でもそれは、ただの「結果としての事実」に過ぎない。僕がどんな風に思い、どんな風な過程を経てきたのか、「行程の事実」には微塵の興味も無いだろう。

「白状しろ」

 男はみんなそうだ。出来事には何らかの理由があるのだと、無理やり動機を探すのだ。ただ楽しみたい、それだけのことに、いらない仮想を押し付ける。

 僕は、彼を殺してなんかいない。

 ただ、遊んでいただけなんだ。あの頃のように。

 それをこいつに言ったところで、理解などされないだろう。

 一見狂っているこの感情には、彼以外受け入れてはくれないだろう。

 でも、こいつは知らなければならない。社会を生きていく人間としてだけではなく、罪を犯した人を正す人間として。正義は、悪を知って成り立つもの。ただ、その悪にも過程があったのだと、「行程の事実」を理解する姿勢を教えたい。

 頭が固い人間に、物事を理解してもらうためには、具体例が必要だ。説得力があり、尚且つわかりやすい例を用意しよう。

「では、白状しましょう。僕がインタビューした人たちの“証言”を」

 こいつの目に、怒りが浮かんだ。

「なんだ、それは。話を逸らすな」

 僕は、笑おうとする口元を必死に隠した。

「今から話すことにあなたが理解できたのなら、僕自身の話もしましょう」

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