第4話

 据わった目で獲物のオスを見つめる妹の豹変に驚いたフエは、隣の部屋に取り残されていたヒガキに近寄り耳打ちした。

「ちょっとヒガキさん!あの子いったいどうしちゃったの……?」

「それが……」

 ヒガキは変更された遺言を伝えると、どこか遠くを見つめるような目になったフエ。おそらくいつかスクエの部屋で見た、凝縮した都市のような、路線を中央に置いた人間社会のビオトープのような、どれだけ時間をかけたのか分からないくらいの模型が思い起こされているのだろう。そのとき鼻をかすめた塗料の匂いで、急にスクエが遠い場所に行ってしまった気がしたのを覚えている。

 しかし、フエは納得もした。スクエが父の大事な模型欲しさに喉から手を出しているのは知っていた。故に、父が紹介した相手に決死の覚悟を持って攻め入る妹に可愛げさえ覚えるのだった。

「ヒガキさん、私、今回の話はあの子に譲る」

「……よろしいのですか?」

 さっきまであんなに必死にアピールしていたのに。もちろん声には出さないヒガキ。

 しかしフエの表情は、心から安堵したように穏やかなものであった。

「だって……あの子ってずっと部屋で鉄道模型作っているから、いい年しても恋愛経験の一つもしてないじゃない?あの子に男の影の一つでも見たことある?」

「……ないですね」

 事実ではあるが、身も蓋もない言い方をする二名である。

「スクエにせっかく巡ってきたチャンスだもの。今まではお姉ちゃんの私がいっぱい譲ってもらったから、ここは私が身を退くの」

「フエさん……」

 ヒガキは確信した。今差し迫っている家族の死だけではなく、様々な困難がこの二人には待っていることだろう。しかし、彼女たちならば、それらをきっと乗り越えることができる。彼の脳裏には二人が手を取り合って遊ぶ姿や、それ以上に多く思い起こされる喧嘩する姿、幼いころから見守り続けたそれらの思い出が、彼の胸に柔らかな安心感と共に広がっていくのであった。

「じゃ、私は退散するから。悪いけど、カフカさんとスクエによろしく言っておいてね」

「わかりました。あとはお任せください――すいません、お電話が」

 目にたまりかけていた感涙を拭い、バイブレーションで震えるスマートフォンを耳に当てる。

「はい……ええ、またですか。わかりました。伝えておきます」

 電話を切り、気まずそうにフエと隣の部屋のスクエを交互に見るヒガキ。その様子から、フエは今の電話が何についてのものなのか察しがついた。

「まーた今回の見合いについて遺言が変わったの?」

「……えぇ」

 ため息を吐くフエ。

「ま、もうこの件には関係ないけど、一応聞いておくわ。どうなったの?」

「それが……お父様の鉄道模型の話ですが」

「スクエが欲しがっているアレでしょ」

「ええ。これまでお父様は売却をお許しにはなっていませんでしたが」

「はいはい」

「望むなら売却を許可されたようです。持っていくところに持っていけば、売却額はざっと見積もって二千万円ほど――」

「邪魔だあああぁぁぁぁぁ!!どけえええええぇぇぇぇスクエえええぇぇぇ!!」

「うげぇー!姉さん!?」

 獣のように急な方向転換をし、カフカの腕にしがみついているスクエを引き離そうと襲い掛かるフエ。無理もない。目の前の男の価値がさらに高騰したのだから、それを見逃すなんてフエらしくないとも言える。

 そして、もう勝手にやってくれと、ヒガキは目の前の争奪戦にて観客の立場を貫いていた。先ほどの涙など、全く身に覚えのないただの水分となり下がっていた。

「あの、二人とも一回落ち着いて……」

「ええキュートな私は今とってもクールかつパッションですカフカさんそんなことより私の部屋で箱根登山鉄道のジオラマを眺めながら一緒にお茶をしませんか?」

「馬鹿じゃないのスクエそんな作り物にカフカさんは興味ないわねえカフカさんううんマイダーリンこれからお外にあるお洒落なカフェに行きましょうそのあとはエーゲ海が見えるホテルで朝までお話をうふふふふ」

「どうしたのですかあなたたちは……」

 二人は両脇からそれぞれカフカを自分の方へ寄せたり、今度は胸を腕に押し付けたりして、とにかくカフカを我が物にしようと話術と体術を駆使して奮闘していた。ヒガキから見たそれはまさに修羅場の中の修羅場であった。

 渦中のカフカは何を思っているのだろうか。彼の表情から見るに、少なくとも女性に囲まれる喜びは感じてはないようだった。心の中で合掌するヒガキ。来世ではきっといいことがあるだろう。

 その時、ヒガキの胸元のポケットの中身が震える。スマートフォンが着信を知らせていた。出来れば、いやいっそこのままシラを切って出ないでもいいかと思ったヒガキだったが、もしものこともあるので通話ボタンをすぐに押した。

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