友愛ポートレート

ぽるぽ

きっかけは本

 ファインダー越しの世界が好きだった。

 写真にすれば、そのまま永遠に止めてしまえば、そこに嘘はなかった。綺麗なまま、ずっとあり続けられる。手元にある、この自分の顔よりも小さい機械は、永遠を作り出せた。今まで出会ったたくさんの、刹那の美しさを、永遠にして保存している。

 俺は、綺麗なものを綺麗なままで取っておくために、カメラを持っていた。


「雄大早く着替えろよ、置いていくぞ」

 五時間目が終わり、ぼんやり外を眺めていた俺に、さっきまで寝ていたはずの瞬が話しかけてきた。英語の授業が終わった途端に騒ぎ出す彼は、もう眠気とは縁のないように見える。よくつるむ四人グループ、俺、瞬、健人、雅也。三人が、ぼうっとしていた俺の机の周りに立っていた。

「ん……次体育か」

 高校生のほとんどは体育が好きだ。俺の友人たちもそうで、体育の前の授業が終わるとすぐにジャージになる。今も、少しぼうっとしていただけで友人たちが急かすように俺の着替えを待っている。

 俺自身も、退屈な座学よりも体育のほうがずっと好きだった。しかし、もちろん例外もいる。例えば、久瀬翔太。俺の前の席で、体育の授業で最初にやるストレッチのときにペアになる相手だ。初めのころ、仲良くなろうと何気なく「体育好き?」と聞いてみたところ、ただ一言「嫌い」と返ってきた。あまり喋らない人で、話を振っても簡潔な返事で済まされてしまうので、結局まだ仲良くなることはできていない。

「久瀬って生きてて楽しいのかな」

 着替えているあいだ暇を持て余したのか健人が言った。

「あー、いつも一人だしさ、誰かと一緒にいるの見たことないよな」

 健人たちの目線を辿ると、ちょうど教室から出ていく久瀬がいた。一人で、真顔で、何を考えているかわからない。

「本ばっか読んでて楽しいのかな」

 休み時間はいつも読書している久瀬。

「笑ってるのも見たことない……」

 俺もそんなことをつぶやいた。楽しいときに笑う、というイメージが定着しているので、笑わない久瀬は楽しくなさそうに見える。だから、極端な言い方ではあるが、久瀬は生きていて楽しいのかという健人の疑問には、少し同意できてしまう。

 そんなふうに久瀬の話をする友人たちに、小さな違和感を覚えた。

 原因はわかっている。高校に入ってからはクラスの中心的なグループで明るく笑う毎日を過ごしているが、本来の俺は、クラスの端で本を読んだり寝たりしているタイプだった。それはまるで久瀬のように。毎日が退屈で、でもある日突然クラスの中心で騒ぐタイプに変わることもできなかった。進学と同時なら、心機一転、高校デビュー、というやつで変わることができる。頑張って、退屈な日々から抜け出そう。そう思って、本来の俺を閉じ込めた。

 最初のうちはそれで良かったのだが、家では弟や妹のために明るいお兄ちゃんでいて、学校でも明るい中心人物でいると、疲れてしまった。黙って本を読む時間もないし、ぼんやりもさせてくれない。けれど、一人にしてとか、放っておいてとか、友人を突き放すような真似をしては、せっかく得たこの地位もなくしてしまいそうで怖かった。

 だから、我が道を行く久瀬が少し羨ましくもあった。同時に、久瀬をばかにされたり、悪く言われると、自分がそう言われているような気になってしまうのだ。

 もし、俺が明るく振る舞うのをやめて、本来の、つまりは中学のときの俺になっても、友人たちは態度を変えず接してくれるだろうか。

 そんなことは、ありえない気がした。

 きらきらした、明るくて派手な青春。そういうものに確かに憧れていたのに、それを手にできる位置につけたはずなのに、どうしても気分は暗い。

「雄大、お前聞いてこいよ。体育ペアだろ?」

 思いつきでそんなことを言う瞬。会話のネタになると思い、俺はそうだねと返事をした。

 体育は自習だった。先生が出張のようだ。第二体育館でバレーか卓球かを選ぶ。俺は卓球のほうが好きだけど、健人たちに合わせてバレーにした。自習だからか、誰も体操をやらない。おかげでペアのストレッチもなく、結局久瀬に話しかけるタイミングを失った。


 放課後、写真部である俺は良い被写体を求めて校舎をさ迷う。風景を撮るのが好きだった。人間が関わらない、写りこまない、邪魔しない、純粋な美しさ。人間というのは純粋とは程遠いから、写真が汚れる気がしていた。

 ふと、自分のクラスを覗く。二年生になって教室は三階になったから、空がよく見える。そうだ、そういえばうちのクラスのベランダには鳥の巣がある。その鳥たちをうまく撮れないだろうか。

 窓際の、前から二番目の席。久瀬の席だった。そこに、一冊の文庫本があった。ブックカバーで表紙はわからない。いつも本を読んでいる久瀬。どんな本を読んでいるのだろう。話すきっかけになるかもしれない、そんな思いで俺は本に手を伸ばした。

 別に、やましいことは何もない。ただなぜか、謎の背徳感があった。久瀬の秘密に触れるような、そんな気持ち。

 本が出しっぱなしだったから、しまうだけ。

 そう言い聞かせながら、本に触れる。てきとうに開いた中盤の一ページ、その中の一文に、俺は既視感を覚えた。

「あれ……」

 読んだことがある。俺はこれを何度も読んだことがある。それは、俺が中学生のときに好きになり、以来ずっと愛読している、シリーズもののライトノベルだった。ライトノベルというくくりで、なおかつ表紙に美少女が描かれているので偏見を持たれがちだが、俺にとっては人生観に影響を与えるくらいの良作なのだ。

 思えば俺が高校デビューできたのも、この小説の主人公を初めとする登場人物たちに感化されて、自分も頑張らねばと思ってのことだった。大好きなのに、周りには誰も同志がいなくて寂しかった。それを、久瀬が読んでいる。

「……最悪」

 教室のドアから声がした。振り向くと、そこにいたのは久瀬だった。やたら背が高くて、前髪が長いせいでわからないがよく見ると顔立ちもわりと良い。髪の毛はふわふわで、指が細くて綺麗。

「人のもん勝手に見ないでくれる? 返して」

 近づいてきて俺の手から本を取り上げた久瀬。俺は思わずその手を掴んだ。

「ごめん。でもさ、俺もそれ大好きなんだよ」

 初めて見つけた同志を、スルーできるはずもなかった。

「久瀬も好き?」

 予想外の言葉だったのだろうか。少し目を見開いて、それから小さく頷く。久瀬も、俺と同じものが好きだった。以前から久瀬に感じていた、似ているという意識がぐっと強まる。友達になりたい。きっと、今一緒にいるあの友人たちと違って、久瀬なら本来の俺も受け入れてくれる。そんな予感がした。

「ねえ、一緒に帰ろう。久瀬、歩きでしょ?」

 俺はいつも、電車で学校に一番近い駅まできて、駅から自転車に乗り換える。その途中で久瀬を見かけることがあるから、方向が一緒なことと、通学手段が歩きであることは知っていた。

 俺に誘われた久瀬は心底嫌そうな顔をした。そしてそのまま本をリュックにしまい、すたすたと教室を出ていく。でも俺はどうしても久瀬と仲良くなりたくて、心の中で、イエスとは言われていないけれどノーとも言われていないから、なんて言い訳をしてあとを追いかけた。

 走って部室に行き、荷物を持って、くつろいでいた後輩に「俺帰る!」と伝える。全速力で階段を駆け下りると、昇降口で靴を履きかえる久瀬に追いついた。

「にしてもびっくりしたよ、まさか久瀬があれ読んでるとは」

 俺は上機嫌で語る。返事はいらなかった。久瀬に、俺が仲良くなりたいと思っている気持ちが少しでも伝わってくれたら十分だし、走って逃げることもできるはずなのにそれをしないでいてくれるだけで嬉しい。だから今は、ばかみたいに一人で喋り続けるだけでもいいのだ。駐輪場から急いで自転車を持ってきて、押しながら続ける。

「ほら、俺あのセリフ好きなんだよね。五巻でさ、事故のあとに病院で泣いてるツバサにカガミが言った」

「人間って死んだほうが綺麗ね」

 俺の言葉の続きを、久瀬が言った。

 反応を示してくれたことに驚いたし、ちゃんと話を聞いてくれていたことに軽く感動を覚える。少し前を歩いていた久瀬は、振り返って、

「俺も好き」

 とつぶやいた。

 俺は調子に乗って話し続けたが、これには返事はなく、久瀬が聞いているのかいないのかわからなかった。

 駅への道を曲がろうとすると、久瀬はそのまま真っ直ぐ歩いていく。一緒なのはここまでのようだ。

「久瀬、俺、こっちだから」

 久瀬は振り返ることも、立ち止まることもない。

「また明日!」

 それでも俺は大きな声でそう言って、無反応な久瀬に手を振る。

 仲良くなれそうだ。そう思いながら、これからの学校生活が今より楽しくなる予感がしていた。

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