第4話

 正直、私の知る乙女ゲームのシナリオからは大きく外れている。

 こんな大規模な包囲網があったならば、歴史に記されてもおかしくはないだろうに。

 というか、仮にあったとするならば主人公たちはイチャラブとドンパチなんてやってる暇はないだろう。

 ……いや、危機に陥っているのは大帝国の方だから、逆にだからこそ学園でキャッキャウフフ、ブラッドルートに限っては悲鳴多発な日常を送れていたのだろうか。


 しかしこちらはそうはいかない。

 現在進行形で滅亡の危機に直面している大帝国サイドだし。

 そもそもこんな情勢でサントマリノ公国やロンゴミアド公国を滅ぼすなんて不可能だろう。

 ならば、やはり乙女ゲームの展開との乖離が起きていると考えていいのではないだろうか。


 そんなことよりも、今は目の前のことに集中しなければ。

 両公国を滅ぼすどころか、むしろこっちがすり潰されかねない状況。

 5万の味方を生かして帝都に届けるために、私は父上と方面軍両方の命令を実行することにしました。


 簡単に言えば、先鋒軍の中から一部の足止め部隊というか囮部隊を編成してこれを公都に直進させ、その前に出会うこととなるだろう両公国軍にぶつける。

 その隙に方面軍と先鋒軍を帝都に撤退させる。

 実にシンプルで単純明快。味方が撤退できるように、その味方を狙う敵を蹴散らせ、無理なら足止めだけでいいよという分かりやすいお仕事だ。


 しかし、分かりやすいと簡単は決して同義ではない。

 やることは分かり易い。しかし、成功させることは簡単ではない。

 何しろ両公国軍が数では圧倒的に上なのである。

 具体的に申しますと––––


「報告致します!公都『アルヴァールン』より敵が出陣!サントマリノ公国に加えロンゴミアド公国の軍旗も確認できます!両公国軍は総勢5万!」


 偵察部隊が持ち帰った情報が知らされた。

 サントマリノ公国の公都より、ロンゴミアド軍と合流した両公国連合軍5万が出陣してきたという。

 陣容はサントマリノ公国軍が2万、ロンゴミアド公国軍が3万とのこと。

 ……まさかの私の想定よりもさらに1万ずつ多い兵力を繰り出してきました。


「5万か……想定より多いな」


「先の戦であれだけ蹴散らされたというのに懲りない奴らだ。同数なら勝てるなどと本気で思っている」


 私の側近であり参謀を務めるホロスロフと父上から貸してもらっているこの軍の副将のフィンガー。

 2人には本営から齎された帰還命令と大帝国包囲網のことを話し、その上でこの方面軍と先鋒軍を逃がすために囮部隊を編成して公都を目指し進軍するという方針を伝えようと思っています。

 先ほどの戦勝のこともあるし、方面軍がこちらを囮にして撤退していることを知らないので、2人はその数を聞いても驚きことしたものの慌てる様子はなかった。


 しかし、現状はそう簡単ではない。

 まず、その連合軍5万を迎撃するのは方面軍と合わせた大帝国軍5万ではない。

 この先鋒軍1万でもない。

 囮部隊として公都に進軍する軍勢である。


 囮部隊の数は7百。

 しかし並みの指揮官に預けても、いくら弱兵のサントマリノ公国相手だろうがこの兵力差では速攻で蹴散らされるだろうから私自身が率いて戦うつもりだ。

 最低でも味方を逃がすまでは戦い続けなければならない。


 うわ〜泣きたい。

 7百対5万って……なにそれ、何の冗談?状態です。


「5万……」


 ため息がこぼれた。

 偵察部隊からの報告に2人の意識がそれた隙に小さく零したので、気づかれてはいない。

 仕事中に士気が下がるヘマはしません。


 さて、敵軍の陣容も数も把握できた。

 あとは2人に現在起きていることを説明して、この軍勢と方面軍を帝都に撤退させなければならない。


 というわけで、伝令を下げて2人に本営から届けられた書簡と方面軍から届けられた命令書を渡します。


「2人とも、これを読め。此方は方面軍から、そしてこちらは本営からの指令書だ」


 書簡を受け取った2人に、まずは方面軍からの命令書を見るように伝える。


「公都を目指し直進せよ、か。やはり我らは露払いを?」


 方面軍からの命令は予想がついていたらしく、特に2人は驚くような様子はない。

 1万対5万と言っても本隊が後からくるし、農民が本業である徴収兵が中心の公国軍ごとき数だけしかないと考えているのだろう。

 まあ、それは間違えではない。この精鋭1万と、まともな戦闘訓練もできていない雑多な5万ならば、数の不利を覆すことは可能である。


 問題は本営からの書簡と既に撤退を始めている方面軍なのだが、まあそれは後で。

 とりあえず現状を説明しよう。


「露払い、というより公国軍をどうにかしろということだな。方面軍は当てにせず、この公国軍は此方で対応する予定だ」


「陣容は?」


 やる気を見せるホロスロフに、私は指示を出す。


「まず軍を2つに分ける」


「陣容は?」


「囮部隊が7百。本隊はそれ以外の2つにわけろ。囮部隊を私が率いて公都へ向け進軍する、2人は本隊を率いて囮に公国軍が食いついている間に都に向かってもらう」


「なるほど、サントマリノの中枢を攻め動揺を誘うつもりですか」


 ホロスロフは囮部隊が公国軍を引き連れている間に、公都を迂回した本隊で攻めると考えているらしい。

 違う。違うが、何も知らないホロスロフには都が帝都を指しているなど想像もできないだろう。


「なっ……!?」


 一方でフィンガーは、本営からの書簡を開いてその内容を見た瞬間に絶句していた。

 多分、サントマリノ公国のことなんぞ頭から吹き飛んでいる。


 父上の軍で参謀の1人を務めていた副将は、状況を理解したのだろう。

 彼に任せれば帝都への撤退を遂行してくれる筈。

 私だけでなく書簡を見るなり絶句したフィンガーの様子に困惑しているホロスロフ。

 そしてホロスロフも本営からの書簡、大帝国包囲網が作られたことを知らせる内容をみるなり……


「え……?」


 フリーズした。

 フリーズするわな、そりゃ。

 私も仕事モードじゃなかったらフリーズする……いや、フリーズじゃ済まない。そもそも仕事モードじゃなければ、ぶった切られたり踏み潰されたしといった戦場では当たり前にある人の死ぬ光景を見るだけで胃の中身リバースしますから。

 プライベートモードでこんな知らせ受けたら泣くか笑うか、まあ壊れますね。


 そしてホロスロフがフリーズしている間に、私から先ほど聞いた『公都』ではなく『都』と告げた方針を思い返したフィンガーが、こちらの意図をある程度察してくれたらしく再度驚愕の表情を浮かべて私の顔を見てきた。


「本隊を『都』に……まさか、将軍!」


「待て、それ以上は言うな!」


 人払いをしているとはいえ、士気に関わる事柄を大声で叫ばれるわけにはいかない。

 フィンガーの言葉をさえぎる。

 それで冷静になれたらしく、フィンガーも静かになってくれた。


 そして、緘口令を敷くつもりだという意図に、ホロスロフも気づいてくれたらしい。

 こちらも元々フリーズしていたので静かだったが、騒がずにいてくれたことで、こちらも次の話をすることができるようになった。


 まず、方面軍がこの事態を承知している上でこの命令書を届けたらしいということから。


「まず、方面軍の書簡だが……こちらに公国軍の相手をさせている間に撤退する腹積もりと推測される。おそらく、本営からの書簡が届いている筈だ」


「つ、つまり……」


「公国軍に我らを当てている間に4万の兵を撤退するつもりなのだろう」


「方面軍は、撤退すると?」


「撤退している筈だ」


 戦場の空気になれると気配で分かるものだ。

 その感が「方面軍は撤退する。後ろから味方は来ない」と告げている。多分、後ろの味方はすでに敵中に孤立するのを避けるために撤退している筈だ。


 味方に捨て石にされたという事態に、そしてそれを承知の上で囮部隊を編成した私に、飲み込みが追いついていないらしいフィンガー。

 一方でホロスロフは、方面軍がこちらを捨て石にしたという情報を聞くと顔を真っ赤にした。


「大帝国陸軍の面汚しどもが……!」


 何も知らない味方を捨て石にして敵を背を向け逃げる方面軍に、覇権国家である大帝国の軍人として激怒しているのだろう。

 冷酷で卑劣な仕打ち、敵に背を向ける無様さ、覇権国家が弱小国の軍勢と刃も交えず負けを認めるようなその姿、様々な面において怒りが渦巻いているらしい。


 そしてホロスロフは不満をぶちまけるように提言してきた。


「将軍、両公国軍は数に勝る方面軍を追う筈。奴らを逆に囮とし、我らは迂回路を使って元帥の命令に基づき帝都へ向かうべきです!」


「下衆なことをほざくな!」


「ブゴッ!?」


 1万の兵を生かすために4万の軍を囮にする。

 感情だけ先走って出たふざけたその提言を、ぶん殴って黙らせた。

 はっきり言って、兵力が一気に不足する情勢に追い込まれた大帝国軍にとって、万の軍勢を捨て石にするのは愚行である。

 それ以前に、何も知らない味方を囮にって、それは今まさに怒りを抱いた方面軍のやることと同じ所業だ。

 仕事モードのシャングロは即座にホロスロフを殴りつけてそのふざけた提言を却下した。


「益なき万の損失を生み出す策を進言する参謀など、そこらの軍馬の方がよほど役に立つ無能以下の害悪だ。感情に任せてふざけた提言をするのとは許さん。次にその下劣な策を口にすれば、貴様の顔に叩きつけるのは拳ではなく剣になる。分かったな!」


「も、申し訳ございません!」


 一転して頰の腫れた顔を真っ青にしたホロスロフが、地面に額を擦り付ける勢いで詫びる。

 反省しているならば良しと、それ以上叱責などという無駄なことにつぎ込む時間もないとさっさと次に話を移した。


 現状を理解してもらった上で、2人には仕事を任せる。

 つまり、この先鋒軍の本隊の1万弱を損失なく帝都の防衛戦に向かわせること。

 そして、囮部隊がその背を追う連合軍を迎撃するから絶対に振り返るなということ。

 本隊を迅速に且つ方面軍を援護できる距離を保ちながら帝都まで撤退させるというだけなのだから、2人ならばそこまで難しくはない筈だ。


「話の続きだ。お前達は本隊を率いて帝都に向かえ。なるべく方面軍と連携できる距離をとること、敵と遭遇してもむやみに交戦しないこと。迅速に帝都を目指すのだ」


「わ、我らがですか……?」


「将軍、それは……!」


 なぜか指揮官である私ではなく、副将と参謀に本隊の指揮を任せるという私の言葉に、その意味を理解できず困惑するホロスロフと、その意味を理解した上でそれしか選択肢がないと悔しげな表情を浮かべるフィンガー。

 私はホロスロフではなくフィンガーの方を向いて、あらかじめ彼の言いだしそうなことを封じるために厳命を出した。


「フィンガー、囮部隊を指揮するのは私だ。この軍の中で1万の兵を帝都に迅速に撤退させることはお前やホロスロフにもできるが、少数で万の軍を足止めする役目を担えるのは私だけだ。貴様が囮部隊を指揮することは許さん」


「将軍……いえ、御子息殿!私が––––」


「黙って貴様は兵を率いて帝都に急げ。時間が惜しい、口答えするな」


「将軍!」


「貴様にできることは来るべき決戦に向け兵力を温存する任務を全うするだけだ。この軍の命綱となる囮部隊の指揮を貴様のような副将風情に任せる筈がない。役不足の身の上ならば分相応に己にできることのみを全うしろ」


 囮部隊の指揮を代わろうとするフィンガーの台詞を何度も遮る。

 忠誠は嬉しいが、それでくつがえせる戦況ではない。父上に英才教育を受けた私ならばかろうじて囮の役割を全うできるが、少なくとも優秀だが突出したほどではないこの副将にそれは無理だ。


 囮部隊は味方を逃がす餌。餌に旨味がなければ敵は食いつかないし、抵抗しなければ足止めはできない。

 味方を生かす囮の指揮を勝てない将に任せるのは非効率的なのである。


 フィンガーの必死の形相と、それを口にする前に却下する私、そして2つの書簡。

 これらの情報から、ようやくホロスロフの方も私が囮部隊7百とともにこの軍を生かすために連合軍5万と戦おうとしていることに気づいたらしい。


「ま、まさか……将軍、自ら囮を……!?」


 やっと気づくこの参謀は論外である。

 時間が惜しいのでわかったらさっさと撤退しろと目で訴えると、何を思ったのかホロスロフが口答えしてきた。


「な、なりません将軍!囮部隊の指揮は私が––––ブゴッ!?」


 本日2度目の鉄拳制裁。

 お前みたいなのに任せたら、すぐに蹴散らされて追いつかれ、7百の戦死が無駄になるわ!

 よって問答無用の鉄拳制裁である。


「黙れ、口答えするなと言った筈だ!そもそもようやく気付いた貴様に公国軍を足止めできるわけがないだろうが!囮部隊はこの先鋒の命綱だ、無能に任せる任務ではない」


「将軍、無礼を承知でお願いを––––」


「聞く耳持たん!すでに感情や精神論を語ってどうにかなる戦況ではないのだ、ホロスロフ。黙って指示に従え。時間が惜しい、兵は無駄にできない、そんなさなかで貴様の下らぬプライドを埋める説得をしている暇はない。従え、命令だ、口答えを重ねるならば殺す」


 最後通告。

 剣に手をかけた私に対して、ホロスロフは顔を青ざめさせて最終的には納得してくれた。

 ……熱い展開とかは必要ない。時間の無駄だ。下の立場なら、上官の命令はどれほど理不尽でも口答えせず唯々諾々とひたすらに己を殺して従えよ。

 戦乱の世界の軍人だというのに、平和な世界のサラリーマンでもできることをなぜできないのかこいつらは。

 こんなに我を押し通して仕事をできるなんて、羨ましくなる。


 命令を承諾した2人は、それぞれ軍を率いるために動く。

 その背中を見て、理にかなっているならばともかく感情ばかり優先させた非合理的な口答えしてくる扱いにくい部下に、私は失望のため息をこぼすのであった。


 ……さて。こちらはこちらの仕事をしましょう。

 元帥である父の命令と、方面軍からの命令。

 本来ならば元帥の命令を優先して遂行するべきだが、上司の命令は理不尽だろうが矛盾していようが不毛の極みだろうが全力で遂行するのが組織の下の役割である。

 よって2つの命令を両方とも遂行するために、私は囮となる部隊を率いて公国軍の足止めを図るために進軍の準備に取り掛かることにした。


 7百対5万、かぁ……。

 絶望的だけどこれも仕事だ。割り切ってやることにしよう。


「出るぞ!」


 捨て石になることを告げずに、私は囮部隊7百を率いて公都に向けて陣地を出撃した。

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