ラウンド・アバウト

絢野悠

プロローグ

 ドアが開かれ、浅巻音ふじまきおとが事務所に入ってきた。遠慮の欠片もない、まるで自宅の玄関であるかのような振る舞いだった。来る者は拒まないが、ここまで気を緩められても困ると花崎律はなさきりつはため息をついた。


 音は手に花束を持っていた。鼻持ちならないとはこのことだ。スマートでキザったらしい部分は好ましくないといつも思っていた。


 しかし、もう彼と出会って十年以上。二人の関係は友人、親友と言っても差し支えなかった。


「りっちゃん、ケガの具合はどんな感じだい」

「三ヶ月も前のことだ。全快とはいかないが調子は悪くない」

「そっか、それならいいんだ。りっちゃんが死んだら俺も悲しいからね」

「一応刑事だろうが。探偵に情報売ってるって知れたらいろいろ面倒なんじゃないのか?」


 読みかけの新聞を下ろして入り口を見た。


「そう怖い顔すんなってば。大丈夫だよ、俺とお前は幼馴染みだから。ただそれだけの話.

もう一つ言えば俺はりっちゃんに情報を売ってない。俺の独り言じゃん? それを誰かに聞かれちゃったってだけ」

「なにかあった場合の保証はしないからな」

「結構結構、りっちゃんらしくていい。で、腹の具合はどうなのさ」


 指さされ、思わず自分の腹に手を当てた。


「少し深めに切られただけだ。臓器も骨も無事だったんだ。だからすぐに退院できた」

「退院できたんじゃないでしょ。勝手に退院してきたんだ。聞いたよ、看護婦さんから」

「おい、今は看護師だ。看護婦とは言わない」

「どうでもいい、細かいよりっちゃんは。三十九にもなった男がいちいちそういうこと気にしなくていいんだって」

「年は関係ない。大体お前は昔から言葉選びが雑なんだよ」

「それよりさ、そろそろ結婚した方がいいんじゃない? いい子、紹介するよ?」

「まだいい」

「もう四十も手前じゃないか」

「ガキを見せなきゃならんようなヤツはいない。両親はもう死んでる」

「知ってるけどさ。仕事にも張りが出るってもんでしょ。子供はいいもんだよ」


 音の口が笑っていた。しかし、目は笑っていなかった。


 音が子供好きなのは知っている。自分の子供を持てというのも彼の本心だろう。


 律はため息を吐いたあとで立ち上がった。


「お前は昔からすぐ話をすっ飛ばして別の話をしたがるよな」

「そんなりっちゃんは「お前は昔から」って言うの口癖だよね」

「わかってるじゃないか、癖なんだから仕方ないだろ。そんなことよりなんの用事だ。アポなしで来るってことは重要なんだろ」


 飲み交わすときや、浅巻の家に招待されるときなどは数日前に連絡を入れてくる。買い物に付き合って欲しい、などの場合であってもメールの一通はあった。


 水が引くように浅巻の顔から笑みが消えた。その変化があまりにも自然であるため、花崎は革張りチェアの背もたれに体重をかけた。安物のチェアが甲高い音で泣いた。


「調べて欲しいことがある」

「了解。いつも通り前金五万、後は情報で賄ってもらえばいい」

「助かるよりっちゃん」

「ま、数少ない俺の裏稼業を知ってる人間だしな」

「そこは幼馴染みって言ってよ。なんか仕事だけの間柄みたいじゃんか」


 浅巻の顔に笑顔が戻る。それを見た花崎もまた口元に笑みを浮かべた。


 花崎律、三十九歳、探偵。兼、暗殺者。

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