3-8 セルナの宿


 リナリアに連れられて歩くこと数分。町の中心部ではあるものの大通りから外れて人通りの少ない場所にその建物は存在した。


 灰色の石による建造物が多いこの町ではかなり目立つ、木造の大きな二階建て。


 冷たい印象を受ける街並みの中で映える暖かな建物の前に立つ看板には、『セルナの宿』という文字が刻まれている。


「セルナの宿……ここが目的の?」


 前を行くリナリアへ問いかけると、振り返って頷いた。


「そうよ! 建物自体は元々ここにあったものらしいけど、いまこの宿を経営しているのは別の町から来た私の友達なの」


 嬉しそうにそう言う彼女の姿を見ると、その友達というのは余程に大切なのだろう。だがひとつだけ、小さな不安があった。


「あの……リナリア?」


「どうしたの? 何か気になる事でもあった?」


 足を止めて名を呼んだ俺の声に引っ張られる様に、リナリアは立ち止まって不思議そうな顔をして問いかける。


 そんな彼女と、繋がれた手を交互に見ながら言った。


「もしかしたら……誤解されるんじゃない?」


 明らかに親密すぎる握り方を見て、その友達は俺達のことをどう思うだろうか。絶対にただの友達と言って信じてもらえないだろう。


「誤解? なんのことを……あっ」


 はじめは全く言葉の意味を理解しておらず首を傾げていた彼女だったが、俺の視線を辿って漸く気付いた様だった。


 勢いよく握った手を離したリナリアは、白い肌に包まれる頬から耳までが一気に赤くなっている。


 そうして俯いたリナリアが口を閉じてしまったので、場には微妙な雰囲気が流れていた。人の声もまばらな宿の前で風の音だけがはっきりと聞こえる。


「と、とりあえず入らない?」


 なぜか俺まで恥ずかしくなってきそうな危険な空気感を察知し、思い切って話題を変える。


 すると顔を上げた彼女は目を逸らしながらも俺の提案に同意した。


「そ、そうね。早く入りましょ!」


 少しだけ気まずいこの空気感から逃れるように足早に歩きだした彼女は、木製の引き戸を開けた。


 中に入っていくリナリアに俺も続いて入り口を通ったと同時、活力の満ちる元気な女性の声が聞こえてきた。


「いらっしゃーい! 何名様……ってリナリーじゃない!」


「何日かぶりね、セルナ」


 入口の直ぐ傍に取り付けられた受付の様な場所から聞こえた声に目を向けると、ダークブラウンの髪を後ろでまとめた女の子が視界に入る。


 同色の瞳を嬉しそうな色に染めてリナリアに話しかけるその姿は少しだけ幼くも思えた。


「うーん、四日ぐらいかな? それで今回はどれくらい泊まってくの?」


 セルナと呼ばれたその女性が手元の紙に何かを記入しながら聞いたその声に、リナリアはたどたどしく返事する。


「いや、その前に……今回はいつもとはちょっとだけ違うことがあって……」


「へ?」


 そうして俺の方へと目を向けたリナリアの視線を辿って、ゆっくりと動いたセルナの視界に俺の姿が捉えられたのがわかった。


 そして頬にそばかすがあるその顔が、誰が見てもわかる驚愕の表情に歪んでいく。


「うそっ……リナリーが男連れ? そんな、遂に寂しい唯一の女仲間にも裏切られるのねっ」


「ちょっとセルナ!」


 自然な流れで誤解したセルナの妄想で溢れる言葉に、リナリアが少しだけ怒った様に言った。


 するとセルナは直ぐにけろっとした顔に戻って笑う。


「ごめーん、あんまりにも珍しかったからさ!」


「もう!」


 おそらく初めからからかわれているのを分かっていたのであろうリナリアは、頬を膨らませる。


 そんな彼女に何度か大袈裟に頭を下げながら謝ったセルナは、やがて俺に話しかけてきた。


「はじめましてっ、ここの宿を経営してるセルナよ!」


 彼女の勢いに少しだけ圧倒されながらも、元気よく差し出されたその手を握って応える。


「はじめまして、ハルカです。よろしく」


 すると握った手をセルナを上下に振りながらにこにこと笑顔を浮かべると、リナリアへと顔だけを向けて言った。


「ふーん……中々良さそうな人じゃん! 良かったねリナリー」


「だから違うからっ!」


 慌ててそう返すリナリアだが、完全にセルナの手玉に取られている。


 やがて赤い頬のままそっぽを向いてしまった彼女に、流石にやり過ぎたとセルナが必死に謝っていた。


 こんなやり取りを眺めているだけで、二人の仲の良さが十分に伝わってきていた。


「ごめんね、こんなリナリーは滅多に見られないからつい調子に乗っちゃった。それで部屋の事なんだけど……」


 カウンターの向こうで手元の紙の束をめくりながら、セルナは難しい顔をして言う。


「いつもリナリーが泊ってる部屋しか空いてないや。それで良い?」


 顔を上げて俺に問いかけてくる彼女の言葉に少し考えるが、いつもの部屋というものがわからないのでリナリアへと顔を向ける。


 すると彼女は少しだけ考える素振りを見せたが、やがて小さく頷いた。どうやら大丈夫とのことらしい。


 まあ俺一人が泊まるだけならば部屋の種類は気にしなくても良いのかもしれない。


「じゃあそれでお願いします」


 セルナに向き直って答えると、親指を立てて了解の合図をした彼女は棚の様なものを探りながら鍵を出してきた。


「それと……料金は先払いか後払いのどっちが良い? もし泊まる期間が決まってないのなら後払いの方が楽だよ」


 おそらくこの世界の平均よりも低めの身長から見上げてくる暗い瞳にそう問われるが、これは一択しかないだろう。


「じゃあ、後払いでお願いします」


「はーい了解した!」


 何故ならば手持ちがないからだ。それに必ず返すとは言ってもリナリアにそういったことまで全て面倒を見てもらうのはどうしても気が引けた。


 するとセルナが『203』という部屋番号らしきものが彫られた板のついている鍵を手渡してくる。


「そこの階段を上って、一番奥の部屋だから。リナリーもどうせすぐ帰らないんだし案内したげて!」


 カウンターのから身を乗り出した彼女は、そう言いながらリナリアの背中を強めに押して先に行くように促した。


「ちょっと! ……もう!」


 抗議の声を上げようとした彼女だったが、手を振るセルナの無邪気な笑顔に毒気を抜かれた様だ。一度ため息をついたリナリアは、後ろにいた俺に視線を合わせて口を開く。


「ふぅ……行きましょう?」


「そうだね」


 彼女の背中を見ながら一段ずつ木の軋む音が鳴る階段を上ると通路だけが見える。


 通路を真っ直ぐ進んでいくと、セルナの言った通り一番奥に『203』と扉に書かれた場所があった。


 リナリアに促されるまま鍵を開けて中に入ると、開かれた窓から吹く風が髪を撫でてくる。


 扉の奥に広がっていたのは落ち着きのある色を持つ木材で作られた内装の、豪華ではないものの窮屈には全く感じないワンルーム。


 そして唯一備え付けられている種類の家具は、部屋の両端に存在する二つの大きなベッドだった。

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