2-38 空色の騎士
[視点:アイリス]
会場に突如として現れた、肌を紫色に染める巨人の姿には見覚えがあった。それは以前メビウスと契約を交わす為に幻界の森へと入った時、魔王派の者達が連れていた化け物にそっくりだ。
しかしあの時よりもその身体は大きく、盛り上がる筋肉が紫の皮膚をはち切れそうな程に引っ張っている。溢れ出る気味の悪い魔力を宿し、赤く光る眼光は鋭く周囲を見渡していた。
そのうち二体の巨人は聴衆席側の出入り口と、今いる中央部に繋がる扉の前へと立ち塞がる。つまり外に繋がる全ての出口を塞がれたという事だった。
「これは一体何の真似だ!」
ロンクードの爆発する怒気を含んだ声に、ヴェルは狂った様に
「何の真似と言われてもなぁ、見てわからないのかぁ?」
その乱れた長髪から覗く侮蔑の眼差しを受けたロンクードは、聴衆席の方に向かって叫ぶ様に指示を出した。
「ウォルダートの戦士達よ、その巨人を蹴散らせっ!」
「「うおおおおぉぉお!」」
王の声に雄叫びで応えた者達は、ウォルダートから来ていた熟練の戦士達。貴族さえも剣を取ると言われたこの国の国民は、戦えない者など存在しない。各々が近くにいた巨人へと向かって行く。
それを見たネロが裏返りながらも声を張り上げた。
「その巨人の弱点は背中の後ろにある魔石だ! マグダートの者達も魔法で援護しろっ!」
自国の王子の号令に反応したマグダートの者達も次々に魔力を練り上げる。ウォルダートの戦士と連携し、巨人に向かって一斉に攻撃を仕掛けようとした。
その光景にロンクードはヴェルに向かって嘲笑を送った。
「見誤ったな。あの化け物が何かは知らんが、この場にいる者達の殆どが戦えるという事を忘れたのか?」
しかしヴェルは先程から滲み出ていた余裕の笑みを崩そうとはしない。加えて、大袈裟に首を横に振って見せる。
「知っていたとも。それでも問題ないと考えたからこその判断だ、こんなふうに」
ヴェルのその言葉に合わせる様に、ロンクードの足元に何かが飛んできた。あまりの勢いと共に地面に激突したその物体は、赤い液体を飛び散らせる。
そしてその正体に気付くのに、そう時間はかからなかった。
「そんなっ……」
思わず漏れ出た声と共に、目を背けてしまう。かつて人だったそれは、ウォルダートの戦士が付ける胸当てを付けていた。
「なんだとっ……!」
驚愕に固まるロンクードの隣にいたクーナは、その赤髪を揺らして飛ばされた方向へと目を向けていた。そして呟いたのは、絶望的な言葉。
「たった、一撃で……」
その言葉に釣られて視線を移すと、軽く腕を振り終えただけの紫の巨人の姿があった。あまりの威力と、一瞬で作り上げられた惨劇に人々は動きを止めてしまう。
静まり返ったその場所で、ヴェルの笑い声だけが響いた。
「魔力で肉体を強化する事がお家芸のウォルダートの戦士がたったの一撃だ! なんという素晴らしい力だろうか。もしこいつが一、二体ならお前達にも勝ち目はあっただろうがなぁ!」
「いい加減にっ……!」
遂に耐え切れなくなったロンクードは、ヴェルに掴みかかろうと手を伸ばす。
その指先がヴェルに触れようとしたその瞬間、上空から舞い降りた何かによって彼の腕はあらぬ方向へと折れた。
「ぬうううううっ!?」
突然走る激痛に耐えようと苦悶の表情を浮かべながら声を上げるロンクードの腕に当たった何かは、彼の直ぐ傍に着地した。
「おやおや、少し踏みつけただけでこの有様とは。人間とはなんとも弱い生き物だな」
艶のある白髪を
その特徴は、嫌という程に知っていた。
「魔人っ……!」
私の言葉に反応したその魔人は、感情の読み取れない顔に喜色を浮かべたかの様な表情で話す。
「これはこれは、人間共の英雄アイリス。私は魔王軍幹部のメーディスという者だ、故あってこの男に協力している」
器用に翼を折りたたんでわざと恭しく挨拶をしてくる。すると近くにいたレフコは驚きで尻餅をつく様に倒れる。
「まさか……何かあるとは思っていたが、魔人と繋がりを持っていただなんて」
その彼に向かってヴェルは、歪み切ってもはや人にすら見えない表情を自らの弟へと向けた。
「お前は後で、念入りに殺してやるが……それよりも」
ヴェルは少し間を置いてから、先程から隙は見せないが攻撃もする事のなかった巨人を示して叫ぶ。
「その疑似魔人は私の言う事を聞く、つまりお前達の命は私次第という訳だ! そこで問う、この中で魔王派に加わりたいという者だけをここから生かして帰してやろう!」
彼が始めたのは最悪の演説。狂気を隠すことなく振りまくヴェルは続ける。
「もちろんそれ以外の者は皆殺しだ。そして、世間にはこう伝える。『三国連合会議は魔人による襲撃によって殆どが壊滅。しかしマグダート国王ヴェルの奮闘により撃破、新たなる英雄の誕生』、とな」
欲にまみれたヴェルから出る言葉は、恐怖すら覚える程に滅茶苦茶だった。
「そうなれば王と大多数の貴族を失ったウォルダートとインダートは私に従うしかないだろう! 初めから属国になると首を縦に振っておけばよかったものを、馬鹿な頭を持つと苦労するなぁ?」
自らを振り返ればとんでもない皮肉なのだが、この状況ではそんな事も言っていられない。
すると私の内側から声が響く。体に宿す世界との扉の向こうから、その声の主はメビウスだった。
『アイリス、早く私を出せ! 目の前の魔人を含めて噛み砕いてやるっ!』
その頼もしくもある声に苦笑いが漏れそうになるがなんとか堪えて、誰にも聞こえない程の声量で返す。
「……あなたを召喚したいのは私の同じなの、でもここでは他の人にも大きな被害が出てしまう」
いくら会議場が広いと言ってもそれは建物としての話。球状になった天井は人間基準では高いもののメビウスなら頭をぶつける位。それを突き破ったとしてもこの中にいる人の数が多すぎておそらくまともに戦えない。
『しかしこのままでは全滅するぞ! ここは犠牲を選んでも……』
「わかってるっ」
今はまだ疑似魔人が行動を開始していないが、もし動き出してしまった場合。私は大きな選択を迫られるだろう。
目を背ける様に前を見た時、ふとヴェルと視線がぶつかった。彼は何か思いついたかの様に歪んだ口の端を上げると、自分の元へと疑似魔人を一体呼び寄せる。
「お前達に決断が難しいのは分かっている、私は寛容だからそれも許そう。そして、決断しやすい様にまずは
そのヴェルの声と共に、疑似魔人は踏み込む。
あまりにも一瞬の事にこの場にいた誰もが反応出来なかった。急速に距離を詰めてくる紫色の悪意に、私は決断を下してしまう。
「門よ、一族を繋ぐ祈りの門よ。私はアイリス。この名と契約を交わした……」
世界の門を繋ぐ詞を、口にする。
私はまだここで死ぬわけにはいかない。
紡ぐ詞を言い終えるが先か、疑似魔人の手が私を殺すのが先か。そんな時だった。
会場で、三つの音が炸裂する。
その発生源が視界の端に映る。一つは、聴衆席の出口を塞いでいた疑似魔人が煌々と燃え盛る白炎に包まれている光景。それはまるで会場の一角に新たなる太陽が生まれたかのよう。
更に一つは、中央部へと繋がる扉でこちらを見下ろしていた疑似魔人が、扉の向こう側から無数の斬撃を浴びたかの様に血を噴き出す。先程ネロが言っていた背中の魔石おも砕いたのか、その姿は煙となって消えていく。
そして最後、それは真上から響いた音だった。だが見上げるよりも先に、それは目の前に落ちてくる。
疑似魔人の腕を易々と貫いた青く輝く剣は、
身体を隙間なく覆うのは空の色を詰め込んだ輝く鎧。この人物が砕いたであろう天井から差し込む真昼の太陽が、その姿を照らしていた。
そして肩には、身に覚えのある小動物。
「全く、アスプロビットは上から落とすのが大好きだな」
鮮やかなクリスタルを
「本当に勘弁して欲しいよ……もう少し普通のやり方ってものがなぁ」
そして騎士は自らの手を兜に添えると、顔を覆う部分だけが砕けて散った。砕けた衝撃で少しだけ揺れる黒髪から、青く染まった瞳が覗く。
彼の姿を認識した時、心が高鳴るのか安堵したのかよくわからない感情に襲われた。しかし口からは自然に言葉が出てくる。
「……おかえり、ハルカ」
するとその瞳は、真っ直ぐに私を捉えて笑った。
「ただいま、アイリス」
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