1-41 To the Long Journey


 クリスタルの雨が降った日。


 その日、イヴォークの王都にいた者は後に口を揃えてこう呼んだ。


 この一日の始まりは最悪としか言いようがないものだった。


 城壁を破り生者へと襲い掛かる魔王軍のアンデッド達に町は壊され、多くの人々が死に、そして最後の希望であった国王の竜は落ちた。


 魔王の支配地域から一番遠く、安全だと思っていた大国は一瞬にして崩れかけていた。


 そんな目を逸らしたくなるような光景に飛び込んできたのは、更に信じられない光景だった。


 王都をほぼ全て覆ってしまう程の光を通さない黒い雲。その雲から伸びた手の様な物は、王都の街並みを破壊していく。

 

 誰もが一度は諦めた。大人しく魔王の支配を受け入れるしかないのだろうか、と。


 しかしそれに立ち向かう者も存在した。


 それはフロガ王の従える竜よりも巨大な、銀の竜の姿だった。


 だがその巨大な姿さえ小さく見える程に、その暗黒の雲は大き過ぎた。


 その銀の姿さえも、黒い影に覆われそうになって目を閉じようとした時にそれは起こる。雲の闇は全くと言って良い程に太陽の光を通さなかった筈なのに、急に王都は明るくなる。


 まるで何かに屈折した様な、不思議な青い光の差し込み方に誰もが空を見上げた。


 そこには、全てを覆いつくす程の途方もなく大きな結晶があった。


 まるで雲がそのまま結晶になった様なその結晶は、銀の竜によって砕かれて空気に消えていく。


 地上には粒程の結晶が落ちて来ては、何かに当たると溶ける様にして消えた。


 あれは一体なんだったのだろうか。大勢が理解できなかった現象は、誰かすらわからない一人の呟きによって回答された。


「あれは……間違いない。俺は見たことがあるんだ。クリスミナ王家が使う、結晶魔法だ……偉大なる王は生きていた……!」


 クリスミナ。


 それは滅びてなお、名前を知らない者は殆どいないであろう元人類最強の国。


 その真偽はわからなくとも、この暗澹あんたんたる空気の立ち込める世界に広がるには十分すぎる程に扇情的な話題だった。


 偉大なる王が生きている、そんなセンセーショナルな話が世界を駆け巡るのにそう時間はかからなかったという。




 そんな日から、二週間程がたったある日の事。


「姫様……本当にこの国に残るつもりなのですか?」


 ロゼリアが心配そうな顔をして、おそるおそる尋ねてくる。しかし同じ事を聞かれるのはもう何十回目だろうか。


「ロゼ、何度も言ったでしょう。私はこの国の王女なのだから、離れる訳にはいかないの」


 バルコニーに立ち、そこから王都の町を眺める。魔人オストが作った傷跡はかなりのものだったが、眼下では人々が懸命に復興の作業をしている。


 町行く人々は以前よりも増え、活気に満ち溢れている様にも見えた。


 それもきっと、彼が希望の雨を降らせてくれたから。


 だからこそこの国の守りは私がしなければいけない。


 そんな私の顔を見ていつもは引く筈のロゼリアだったが、今日は食い下がってきた。


「姫様がハルカ達に付いていったとしても、皆は納得してくれると思うのですが……」

「……そんなこと出来るわけないでしょ」


 そう言い返しながらも、目を伏せるロゼリアを見ると少し心が痛む。彼女もきっと一緒に旅をしたいのだろう。


 それは私も同じだった。


 出会ってから二週間程ではあるが、この二週間が今までで一番楽しかったと言っても良い。ハルカもだが、レウスやエルピネの様な気の良い人達と巡り合えるのはもうこれが最後かもしれないから。


 その中でもやはり思い出すのは、祠で輝く水面の光をそのまま映したような瞳のハルカと話したあの光景だった。


「ハルカの行先は……どこだっけ」


 それを聞いたロゼリアは、手元の小さな紙を広げて言った。


「確か……三国連合の、インダート共和国の様ですね。エルピネさんと、レウスさんの古い知り合いがいるそうです」


「そう……やっぱり国外は遠いなぁ」


「姫様……」


 こんな事を言えばまたロゼリアを心配させてしまうのだろうが、それでも口から漏れるのだからしょうがない。


「……出発はいつなの?」


「……今日です」


 ロゼリアの食い下がる様子で嫌な予感はしていたが、やはり事実として伝えられると心に重い物を載せられた気分だった。


 少し前に、別れが寂しいから出発の時は何も言わないでと自分で頼んでいたのだが、それはそれでやっぱり寂しい。


 何ともいえない気持ちで空を見上げていた時、後ろから二人分の足音が聞こえてきた。


 振り返るとそこには既に回復してかなり元気になったフロガと、燃える様な赤い毛を後ろに固めた長身の男がいた。


「お父様……それにフォティさんも」


 このフォティという人物は、イヴォークにおける宰相だった。フロガよりも少し若いがその頭脳を持って最年少で宰相にまで駆け上がった人物である。


 自他ともに認める唯一の汚点が、ベルトと遠い親戚であったという事ぐらいだ。


 すると、フォティが微笑をたたえながら口を開く。


「お久しぶりです、殿下。少しだけお時間よろしいですか?」


「えぇ、もちろん」


 それを聞いたフォティはフロガに視線を向けると、そのまま譲るとばかりに一歩下がった。そしてフロガは懐から一つの封筒を取り出す。


「これからお前に、王女としての仕事をしてもらう。これを一月後に開催される三国連合の会議に届けてくれ」


「え、三国連合……ですか?」


 その言葉の意味を飲み込めずにいると、フロガが続けて言った。


「そうだ。だが今は王都の復興に人員を割く余裕がなく、護衛の騎士を付けることが出来ないのだ。しかし丁度同じ場所に行くという奴らがいてな、彼らなら戦力も申し分ないだろう」


「それって……」


 聞き返す前に、フロガは豪快に笑った。


「ああ、行ってこい。この国は俺一人いれば十分だ」


「それに、不思議なのですが騎士を希望する人々の数が急増いたしまして。直ぐにイヴォークは前以上の戦力を取り戻せますよ」


 フロガに追従する様に、ファティも言葉を重ねる。


 きっと私を安心させるためなのだろう。


「その後は帰ってくるのが遅くなっても構わん、今の世界をしっかりと見て……」

「お父様ありがとう! 行ってきます!」


 もはや迷いの無くなった私は不敬な程に食い気味で駆け抜け、急いで城の階段を下りていく。


 するとしばらくして後ろから声が聞こえてきた。


「姫様お待ちくださいっ! 私も行きますっ!」


 目を向けると、大きな荷物を背負ったロゼリアが猛然と走って駆け寄ってきた。


「裏口の方に馬車があるそうです、そこに!」


 ロゼリアの言葉に、そういえば何処にいるかも聞いていなかったなと自分の性急さを反省しながら裏口へ向かう。


 その城を抜けると、門の前には一つの馬車が停まっている。


 御者の席に座ってこちらに手を振るのは、レウスだった。


「ハルカ様、来ましたよ!」


 レウスのその声に、馬車の扉が開かれる。そこから顔を出したのは、黒い髪の流れる青年。


 青い瞳をこちらに向けた青年は、手を振って私達を呼んだ。



 この旅が、どういう過程でどんな結末を迎えるのかはわからない。


 けれどもこんな世界の中で、せめて楽しくあれば良いなと願わずにはいられなかった。








一章 イヴォーク王国防衛編 完


二章に続く

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る