Scouting for children

坂崎 座美

第1話 Scouting for children

 富士山を恐ろしいほど反射する湖に、するするといかだが走り出す。竹と縄でできたそれは、ほんの少しの波で崩れてしまいそうなほどに小さく見える。

 上に立つ少女は、懸命にオールを回して筏を操ろうとする。その姿も同様に細く、弱く、山から吹き下ろされる風一つで吹き飛びそうなほどだった。


 細く、弱いながらに離れてゆくその背中に、わずかな胸の痛みを覚えて、誰に見せるわけでもなく首をひねってみる。


 心臓の調子が悪いのかもしれない、なんて自分に言い聞かせるようにつぶやく。それはきっと必要なことだ。


 そうしている間にも、筏は向こう岸にどんどんと近づいていく。吹く風に、立つ波にいちいち揺れて見せながら、危なっかしい姿を見せつけるように筏はそれでも前に進む。


 不意に涙が出た気がして目の下を探ってみるが、出ているはずもない。心臓は相変わらず調子が悪く、執拗に存在を主張してくる。


 彼女がちょうど富士山の山頂が写された水を蹴散らす時。今日一番の風が筏を襲った。思わず声にならない息が飛び出る。多分、「ほうっ」とか「はっ」みたいな音だったと思う。


 周りのやつらも「あっ」とか言ってたからそんなに目立ってないと思いたい。


 彼女は焦りからか、オールを思いきり水に突っ込んでしまう。それが悪手だったようで、筏は危ういバランスをついに崩して転覆してしまう。


 転覆する直前、一瞬彼女がこちらを見たような気がして目をそらす。目をそらして初めて、僕は彼女が湖に出てから一度も目線を外していないことに気が付いた。


 なんだかそれが恥ずかしくて、ぶんぶんと頭を振って忘れようとしてみるが、そっちのほうが恥ずかしいことに気が付いてやめた。


 そんなことをしているうちに、いつの間にか脇まで来ていた隊長に声を掛けられる。


篠田しのだ、少し良いか」


 反射的にダメですと言いかけたが、特にダメな理由はないなと思い直して付いていくことにした。


 歩いていくと、ほどなくして湖から視線が切れる場所まで来た。隊長はそこで近くのベンチに腰を下ろすと、隣に座るように目で促した。長くなるな、と心で覚悟を決めてから、最大限の距離をとってベンチの端に座る。


 好きだったよな、と言って投げ渡された缶コーヒーは確かに好きなブランドのもので、よく覚えているものだなと感心させられる。


「本当は禁止の嗜好品まで買ってやったんだ、話は最後まで聞いてもらうぞ」


 そう言って隊長は自分の分のコーヒーを開けて一口あおる。


「飲み終わるまでは付き合います」


 それを聞くと隊長はこちらを見ることもせずに、真正面にあるタンポポの綿毛をじっと見ながら話す。


 たくさんの感情を真正面から向けられた綿毛のタンポポは真っ白で、そこには早く死ぬ種と遅く死ぬ種の違いなんてものはなく、ただあるがままに混沌としていた。


「来年の班長をお前にしようと思う」


 タンポポの綿毛が風に吹かれて、一つ、また一つと飛んで行く。隊長は飛んでゆく綿毛に目もくれず一心にタンポポを見続ける。あるいは彼はタンポポも綿毛も見ていないかもしれない。彼が見ているのはもっと別の何かで、そこにはたまたまタンポポが生えていただけなのだ。それでも隊長は一点を見つめる。


「お前もボーイスカウト隊に入ってもうすぐ四年目、最高学年になる。悩んだんだが、引き受けてくれるか?」


 ボーイスカウトの班長というのはかなり忙しい。技術は班で最高位でなければいけないうえに、全員を統率する義務を負う。そして、それに対する対価はほとんどゼロに近い。


 これぞやりがい搾取の最高峰ともいうべき代物で、別にこれをしなかったからと言ってペナルティもないのだから断る理由はいくらでもある。


 むしろ、やるほうがどうかしている。そう言うやつもいる、だけどボーイスカウトをしていない自分に意味なんてない。そう思うから……。


「わかりました、班長をやります」


 隊長は軽く肩の力を抜くと、やっとこちらに向き直って言った。


「未来のお前がこの選択を後悔しないと約束しよう」


 隊長の目が少しうるんでいて、今まで顔を見ずに話したのは断られたときに自分の顔を見られたくなかったからなのだろうとも感じた。案外、傷つきやすい人なのかもしれない。何が本当なのかなんてことはちっぽけなものだとタンポポがなびく。


 だが、得てして良いところには邪魔が入る。ヒーロが悪役を倒す瞬間にCMが入るのと同じように、ヒロインが告白の返事をする瞬間に別れの時が訪れるように。悪意のあるなしに関わらず妨害は入るものなのである。


「おや、あんたらボーイスカウトかい?」


 通りがかりの自転車の中年男性が話しかけてくる。いや中年男性というのはかわいそうだ、おっちゃんとでもしよう。おっちゃんは軽い身のこなしで乗っていたママチャリから降りると、ベンチの正面に陣取った。


「俺もなあ、小さいころやったもんだよ。あの頃はつらかったけど、今にして思えば良い経験だったのかもなあ」


 隊長の困惑もつかの間、すぐに指導者にふさわしい落ち着きを取り戻す。


「経験者でしたか、どちらの団にご所属で?」


 隊長は流し目でこちらをちらりと見る。おそらく、もう行って良いという意味だろう。確かに今はキャンプ中、あまり長い間活動から外れるのは望ましくない。


「ああ、甲府だよ。番号は忘れたけど、二桁じゃなかったと思うなあ」


 あごひげを触りながら機嫌よさげに話すおっちゃんに軽い敬礼をして湖まで戻る。


 湖が半分ほどその姿現すときに、藤宮ふじみやにばったり会った。


「あっ篠田! 隊長はこの先?」


 ボーイスカウトは女子でも入れる。誤解している人は多いが、今や受け入れていない団のほうが珍しいだろう。藤宮はそんな女子スカウトの一人であり、彼女は最高位の菊章目前でもあった。他の女子スカウトはもちろん男子でも彼女を尊敬する者がある、優秀なスカウトだ。


「そうだけど、今は通りすがりのおっちゃんと話してる。少し待ったほうが良い」


 菊目前なのは僕もそうだが、藤宮が集める尊敬は彼女のカリスマと容姿とどこまでも誠実な態度によるもので、とてもではないが僕がたどり着けるものではない。それでも、藤宮がやって、僕がやらなかったいくつかの事柄の対価と思えば腹も立たないし、立てる資格もない。


「そっか。――いや、さっき聖花ちゃんが落ちちゃったでしょ。だから、バスタオルを借りようと思って」


 聞いてもいないことまで教えてくれる。それが誠実というものなのかは知らないが、そういうものが積み重なることは彼女の評価を確実に良い方向へ向かわせている。


 聖花ちゃんというのは風詩聖花かぜうたせいかのことで、無口で自己主張の少ない女子スカウトだ。藤宮は当然と言わんばかりに、風詩にも優しくする。それが、藤宮が打算で動いていないことの何よりの証明だった。


「そうか、たぶん事後承諾で大丈夫だと思うから持って行ってあげよう」


 少し、藤宮は迷った様子だった。その迷いは何だったのだろうか。もしかしたら、怒られるのが嫌だったのだろうか。そうなら良いと思った。でも、そんな仮定に意味はない。彼女はいつだって善い人間としてみてもらおうとするのだから、こちらもそう見るしかない。一種の諦めを彼女は他人に強いる。


「大丈夫、そんなことで怒るような人じゃない。そもそも、こういう時のために隊備品があるんだから」


 やはり、少し迷ったようだが、彼女は小さくうなずいた。


 風詩がいるはずのテントに藤宮は行き、バスタオルがあるはずのリーダーサイトに僕は向かった。目的はこんなにも同じなのに、できることはこんなにも違う。


 入道雲が頭上にそびえる。入道雲は微動だにせず、まるで向こうの山に根元でつながっているようだった。小学生の時だっただろうか、大きなその姿の中にあるのは水だと知って、見た目にはそうは見えないのに、妙に納得してしまったのを思い出した。




 その夜に隊長に事後報告したが、結局怒られることはなかった。隊長という言葉が似つかわしくないほど細い体は怒気をまとうわけもなく、淡々と報告に相槌を打つばかりだ。さっきまでの感情的な姿とは対照的な押し殺した声音の底が何かはさっぱりわからなかったが、怒っていないということはわかったのでそれで良いかと納得しておいた。




 蒸し暑い夜が終わって、やはり蒸し暑い朝が訪れた。夏場のキャンプに逃げ場はない。


 風詩は幸い風邪をひくこともなく、元気……というには言葉数が少ないが、いつものことだ。


 彼女はとにかく自分に厳しく他人に甘い。


 彼女は他人に期待しない。決して他人に仕事を任せない。班の仕事は自分の仕事とばかりに仕事を消化していく。最初から自分でやるつもりなら早くできる。と彼女は言っていた。後輩たちはそれを楽で良い。と言っている。それぞれに思惑がある。どこか悲しいと思うのはきっと、僕が彼女を理解していない証拠だ。


 今日は曇っていて富士は見えない。降りそうで降らない不気味な空が全天を覆って、さながら泣く寸前の子供だ。




「キャンプは好きだよ」


 昨日の風で抜けてしまったテントのペグを打ち直しながら彼女は答えた。風詩は自分から話すことはしないが、こちらから聞けば簡単な問いなら答えてくれる。だから僕たちの会話はいつも質疑応答みたいになる。僕は何度か自分のことを話そうとしたけど、向こうから聞かれてもいないのに、と思ってやめた。あるいは諦めた。


「筏を漕ぐのは初めてだからわからないけど、少なくとも作るのは好きだったよ」


 藤宮との会話のときもこんな感じらしい。風詩がしゃべる相手は僕と藤宮ぐらいなので気にならないが、普通に考えれば雑談を一切しないというのは難しい。人間は常に共感者を求める生き物だ。


「ボーイスカウトも好きだよ。教室ではできないことができるから」


 ……僕たちが話しかけるのをやめれば、彼女は誰かに話しかけるのだろうか。でも、優しい藤宮はきっと承知しない。善人は決して弱者を見捨てない。あるいは弱者が強くなるのを許さない。


「嫌いなものなんて数えられないほどあるよ。篠田もそうでしょ」


 断定調が気に入らなかったけど、確かに嫌いなものは多い。例えばこの会話とか。


 藤宮はどう思いながら話しかけているのだろうか。


「それじゃあ、他人に仕事をとられるのは嫌い?」


 少し意地悪をするつもりで聞いてみた。藤宮ならしない問いだろう。正直、風詩が何を好きだろうとどうでもいい。いや、良くはないけどきっといつかはどうでもよくなる。今この時なんてちっぽけなものだ。


「そんなことはないかな。でも、ボーイスカウトの活動は好き」


 彼女は高潔だ。彼女は愛している、ボーイスカウトどころか、世界のすべてを。だから嫌いなものを好きなもので言い換える。だから、あまりに悲しく見える彼女が僕は嫌いだ。


 天気はやっぱり曇り空。スマホでいつ晴れるのか確かめようとしたけど、そんなことをしたら永遠に晴れないような気がして、やめた。




 夜が深まったころに僕たちは三人でキャンプサイトを抜け出した。藤宮はいやいやだったけど、一生懸命頼むと、なんとか出てきてくれた。風詩はため息を一つついて、おごりだよといった後は文句ひとつなかった。もちろん、規則違反だし、なんなら条例違反ですらある。でも、二人は僕と道連れになることを選んだ。


 いくら温厚な隊長といったって、さすがに深夜の脱走には怒るだろう。彼は曲がりなりにも、責任者であり、監督者だ。


 知ったうえで付いてきてくれる二人に、感謝なんてしようとは思わないが、ただこのちょっとした散歩が二人にとって意味があればいいと願った。


 真夜の小旅行の道なりはそう長くない。一番近くのコンビニまで行って帰る。とはいっても、ここは富士の裾野の中でも辺境の地。一番近いコンビニでも2キロ以上はある。まあ、いつもやってるハイキングと称した強行軍に比べればおままごとみたいなものだろう。


「きれい」


 素直にこんなことを言えるのは藤宮だ。きれいなものをきれいと形容するなんて安直な真似を僕と風詩はしない。


「ね、聖花ちゃん。あれが夏の大三角だよ。アルタイル、ベガ、デネブ」


 いつの間にか晴れた空に星々が煌めく。


 風詩は藤宮の言葉に返事をしない。あるいはうなずいたりで返事しているのかもしれないが二人は後ろを歩いているのでわからない。


 藤宮もそんなことを気にはしない。僕がそうであるように藤宮もまた、すべての会話に返事を求めているわけではないのだろう。




 しばらく、三人の間に静寂が降りた。悲しい静寂ではない。優しさも高潔さも諦めも許すための静寂だ。全員がこれから切り出されるはずの話題を知っている。けれども、それには許しが必要だった。静寂とともに降った許しを胸に藤宮が切り出すのを待つ。


 僕たちを喋らせるのはいつだって藤宮だ。藤宮は夜をたっぷり5分ほども過ごした後に、やっと切り出した。


「みんな、班長……やるんだよ、ね」


 そんなことは決まりきったことだった。全員がここまでボーイスカウトという活動を続けてきた意味を理解していて、同じように班長職のつらさも理解している。


 良いことなんて一つもない。少なくとも、三人にとっては。絶え間のない責任と容赦のない陰口に耐えられるものは果たしているだろうか。


「僕はやるよ、ボーイスカウトをやってない僕に意味はない」


 藤宮の切り出した話題に先に乗るのは僕の仕事だ。儀式のようにいつも通りの進行で、いつも通りに話が進む。そしていつもの通り、僕たちは決してわかりあえない。


「私も」


 短く、鋭く、高潔に。彼女は答える。その言葉は最初から分かり合えないことを望むように無愛想だ。


 僕は彼女のように純粋でも孤高でもない、だからつまらない論理を盾にして、つまらない言葉をひたすらに重ねる。その結果がたとえ虚無だとしても、ひたすらに言葉を重ね、やるだけやったと自分を慰める。


「みんな無理しなくてもいいよ、きっとみんながやらなくて誰かがやってくれる」


 誰かって誰だよ。とか、藤宮だって無理するな。言いたいことはいくらでもある。でも、そのどちらも彼女のすべてを否定する言葉だ。僕の価値がボーイスカウトにあるように、藤宮の価値もまた同じところにある。


「いまさら逃げ出すなんて、するわけないだろ」


 結局、どっちつかずの否定に落ち着く。こんなことを言ったところで、三人の間は埋まらない。今まで何度もやってきたことを繰り返す。それだけだ。諦めてしまえばなんて楽なことだろう。


「逃げなんかじゃないよ、班長をやるだけがすべてじゃない」


 違う、それは逃げなんだ。そう言ってやりたかった。逃げるのがどうしようもなく怖い僕は戦い続けることを選ぶんだ。逃げてもいいと人が言うたびに僕の逃げ道はふさがれていく。人が見ているというだけで、逃避がこんなにも苦しい。いっそ、何からも逃げなくて済むような世界に行きたいと願うけど、それすらも逃げだと気が付いて、人生というものがどうしようもなく空虚なのだと感じた。


 けれど、いくら言葉を重ねてもこの思いが彼女に伝わることなどありはしない。どこまでも優しい声音で「逃げてもいいよ」を繰り返す。だから僕は諦める。中身などありはしない、あったところで出てはこない議論のまねごとは、まさしくおままごとのようだ。


「いつも、決定的なところで私たちは分かり合えない。ただ、班長をやる、それだけでしょ。何も悩む必要なんてない。三人とも好きなようにすればいい」


 風詩は風詩でやっぱり言っていることがどこかずれる。確かにその通り、班長なんて班に一人はいるもので、別に特別な存在じゃない。だけど、僕たちは特別だ。世界に一人ずつしかいない。こんなにも面倒くさくすべてを抱え込んで意地でも離さない。逃げることから、たとえ何を犠牲にしたとしても逃げようとする。


 そんな人間は班長という役に向いていない。絶望的に適性がない。バカみたいに班のすべてを抱え込んでバカみたいにつぶれていく。そして、三人ともつぶれるのは自分だけでいいと思っている。まったくもってバカみたいな会話はまだ続く。


「でも、みんながつらい思いをする必要なんてないよ。私はほら、悪口とか気にしないけどみんなは言われたら悲しいでしょ?」


 藤宮はやっぱり優しい。その優しさは時に自分やほかの人の心を激しく抉る。悪口を言われたとききっと一番傷つくのは藤宮だ。悪口を言われないように、誰からも憎まれないように、善人になったのだから。


 でも、善人であるがために他人からの悪口を受けるんじゃ、まるっきりあべこべだ。目的と手段が入れ替わってしまっている。


「私はね、二人が好きだよ。三人でいる時が一番楽しい。学校で友達と話しているときよりも、ボーイスカウトで後輩ちゃんと話しているときよりも」


 彼女の告白は、もはや独白のようにむなしく響く。優しい彼女は何も捨てない、何も諦めない、だから僕たちに響かない。真人間の善人に不良を説得させたって仕方がない。僕たち三人はこれまでの三年間を同じ隊で過ごしたけれど、考え方とか感性とかすべてがこんなにも違ってしまう。それが無性に悲しくて、いつの間にかまた曇ってしまった空を見上げる。


 近くの電柱に空蝉が張り付いている。攻撃的で、とげとげとしたその見た目からは想像もできない程に中身がない。空蝉がたっぷりと抱えた空虚は逃げ場を求めているようだった。




 やっとコンビニについた。行程自体は大したことはない。ところどころひび割れたアスファルトの上、蛾の舞っている街灯の下をただ歩いていくだけだ。それでも疲れてしまったのはある種仕方のないことだろう。悲しいことをするときはいつだって疲れるものだ。


 昼間に話したなら、きっと喧騒に耐え切れずにどこかで他愛もない、意味もない話に移っていただろう。いや、まずキャンプ場から抜け出すことができないか。


 それでも、夜は最良の時間だ。森の夜は静寂と喧騒とをあわせ持つし、住宅街は独特の静けさに満ちる。都会の耳と目を集中攻撃するような夜への抗い方も案外嫌いじゃない。


 それで、朝が嫌いなった。風詩なら夜が好きという言葉に隠していただろうから、僕は隠さずにそのままを言おうと思う。朝は嫌いだ。いつからだろう。


 小学生のうちは好きだった。次の日が楽しみで仕方がなかった。無条件に、明日は希望満ちていると信じていた。でも、中学に進学すると朝への信仰はすぐに途絶えてしまった。朝が嫌いになった。あるいは理由なんてなかったのだろう。ただ単純に、言い換えれば一種の成長として朝が嫌いになった。




 コンビニでは、僕は缶コーヒーを、風詩はアイスを、藤宮はオレンジジュースを買った。全部払いは僕持ちになった。まあ、仕方がない。無理やり連れだす形になってしまったのだから。


 藤宮は楽しそうに、さっきの会話など忘れたかのようにオレンジジュースを飲んでいた。風詩は黙って、話を聞きながらアイスをなめている。


 幸いにも店員は何も言わなかった。もう、二時が近かったがいつもの通り会計された。


 外では少しだけ雨が降っていた。梅雨だから仕方がない。カバンに念のためと思って入れておいた折り畳み傘を広げる。


「傘くらいは自分で買ってくれよ」


 答えは知っている。ただ、なれ合いというか、ほんの冗談のつもりで言ってみただけだ。


「「もう持ってるよ」」


 二人とも、梅雨に外を出歩くのに傘を持たないような人間ではない。知っていた答えだったけど、予想ぴったりの答えに思わず苦笑いしてしまった。






 そんなやり取りで、あるいはもっと別の何かによるものかもしれないけれど。僕たちは分かり合う必要などどこにもないのかもしれないと思った。違うなら、違うなりに話し合えばいい。その結果がたとえ、どんなに空虚に見えたとしても、きっと僕にとってだけは意味がある。


 何度あの話をしたところで、僕が班長になるのをやめることはなく、それは二人も同じだ。


 それでも、僕は藤宮が繰り返し言ったように二人に班長なんて苦しみを、十字架を背負ってほしくはない。あの二人に、潰れてほしくない、悲しんでほしくない。

 あの二人に、傷ついてほしくないという汚くて、下賤で、低俗な、願いというにはあさましすぎるそれは何という感情なのだろう。


 憧憬? 違う、そんな高潔な感情じゃない。

 庇護欲? 違う、そんな優しいものじゃない。


 この感情を言葉でラベリングするなんてあまりに無意味に思われた。

 ただ、藤宮が言ったことも、風詩が言ったことも、僕が言ったこともすべてが本音、ただ口に出た言葉だけが真実ならばどんなに楽だろう。話せば話すほどに離れていくと感じるその距離がたまらなく悲しい。


 ああ、そうか。もっと、曖昧で、盲目的で、あまりに悲しい感情がまだあった。


 今日この日、僕は二人に恋をした。



 夜が満ちる。

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Scouting for children 坂崎 座美 @zabi0908

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