第11話 試みる者

 意識はあった。

 しかし目を開けても一向に私の水晶体に光が差し込むことは無かった。どうやら目隠しをされているようだ。耳をすますも、辺りはしんと静まり返っている。

 ここはどこなのだろう。


 私は本当に誘拐されてしまったのか。手足は拘束されていて、動かすことができない。

 自分がどんな状態でいるのか想像を巡らしてみる。胸を圧迫されていて非常に苦しい。何故? 首を振ることはできる。左右に振ってみると頭の重心が変わって頭痛がした。それによって私の体がベッドに仰向けのままくくりつけられている事が分かった。平衡感覚へいこうかんかくさえあやうい。

 足元の方から扉が開く音が聞こえた。恐怖で脈が早まる。締め付けられた胸が苦しい。

 扉から入ってきた足音が自分の右側で止まった。


「気分はどうですか? 」


 ひどく落ち着いている男の声がより恐ろしく思える。


「…………拘束を解いてください」


 男はしばらく黙った後こう続けた。


「それはできないんだ。悪く思わないでくれ。君のためなんだ」


 私が応答しないでいるとペンを紙に走らせる音が聞こえた。


「……まさかこんな形で再会することになるとはね」


 男の意味深な言葉。動揺を隠すために私は冷静でいられるように努めた。そうすることでどんどん頭痛が増していく。


「……兄は? 誠司はどこ? 」

「心配いらないよ、今は自分のことだけを考えていればいいんだよ」


 痛い。

 頭が痛い。

 この男は何者?


「…………殺したの? 」


 私の震える声が聞こえた。


「そんなことするわけないじゃないか。……僕たちは救おうとしたんだよ。何故、そう思うんだい? 」


 揺れるロープ。頭を抱えて私を見る誠司が見える。

 一瞬室内がざわつく。ノイズがかった思考の中で会話が聞こえる。


 誠司君のことを誰か伝えたのか?

 いいえ、私たちはなにも伝えてません。

 彼女はずっと意識がなかったので知りようがありません。

 死にたい奴は勝手に死んでいく。死んだら負け?

 白装束の男が見える。

 そして、その手下の女共の会話だ。

 追い詰められていた? 何に、コイツらに。

 麻薬の幻覚に? 薬漬けにされて!


「やめて! 私の頭の中に入ってこないで!」

「私たちは何もしていないよ。全ては君が作った世界なんだ」

「私が? 」

「そうだよ。今は信じられないかもしれないが、君はまた私の」


 数人の足音が私の周りで錯交する。


「――神になったんだ」


 聞こえてくる。囁くような念仏。もしくは祈りの言葉。あがめ祭るのはこの私。

 嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダ嫌だイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ。また逆戻り。やっぱりまやかしの世界。どうしてなの、私が教えに背く行いをしたから? これはサタンのせい? あの時、おじさんが私に触れることに抵抗したから? 母さんは私を見切ったの? だから捨てたの? 父さんは、何故何も言ってくれなかったの? どうしてあの時、私と誠司が隠れて泣いているのを見て“祈りなさい”と言ったの? 祈らなかったから、私はゆるされなかったの? 幼稚園の頃、家族を解散させたように、罰として誠司とも引き離したの?


 ふいに、荒れ野に立つ克也が誠司に言った。


「もしあなたが神の子であるなら、これらの 石がパンになるように命じてごらんなさい」※1


 誠司はそんなことできないと言う。大麻に溺れる克也にはそれが理解できない。それから神社の長い階段の最上段に連れられた誠司は、


「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」※2


 と言われた。誠司はやはりできないと言う。

 そしてついに、克也は真理恵と先生の真の目論見であったような、世界の国々とその栄華を見せた。


「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」※3


 度重なる大災害、炉心融解ろしんゆうかい、この世に蔓延はびこる様々な形の悪意。これらのものは悪魔がこの世界を牛耳ぎゅうじっている結果だ。

 だが誠司はその聡明な目で既に見抜いていた。それらは全て父や母が信仰していたような“邪教”のせいなのだと。そしてまやかしの神の跡継ぎの子である誠司自身が、この世を救うため、それらの悪事を断つために、誘惑する克也さえも一蹴する。


「僕には悪魔を拝む事なんてできない。それに、僕の命を持って対価を支払わなければ、この世界を贖うことはできないのだから」


 ――竜(悪魔)は、この獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。※4

 死んで。蘇る。それから始まる。具像崇拝ぐうぞうすうはい。拝まなければ殺される。強いる世界がそこにある。


「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人の、贖いとして、自分のいのちを与えるためである」※5


 誠司が言った。誠司は知っていた。全てを分かって言っている。

 なのに、私が生きている。同じまがいものである神の遺伝子を持つとされた私が。そして捕まってしまった。

 この悪の組織に。まやかしの神として祭り上げられてしまう。その前に。

 私は抵抗した。なのに、なんて無力。天使なんか助けにこない。

 男は叫び暴れる私に注射を打った。

 この感覚は覚えている。

 小さい頃、お祈りの時に嗅いだあの匂いは、あの媚薬は、私の脳を侵食した。

 すると確かに神様の声は聞こえたんだ。それと同じ。神と私をつなぐの脳内麻薬。

 これぞまさに神との個人的な交わり。今私にできること、それはもう皮肉にも、祈ることだけしか残されていない。

 私と神との切っても切れない、個人的な関係を、紆余曲折を経てここまでこうして育んできたのだから。


 そう、きっと……。


 ――神さま、仏様、どうか私をお赦し下さい。どうか、私をおまもり下さい。

 この願いをお叶え下さい。





※1 マタイによる福音書 四章三節

※2 マタイによる福音書 四章六節

※3 マタイによる福音書 四章九節

※4 ヨハネの黙示録 十三章二節

※5 マルコによる福音書 一◯章四十五節


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