キルケー

キュ

キルケー

最初にキルケーを見つけたのは、近所の森にきのこ狩りに来ていた、イタリアの老夫婦だった。

木々の先に何か白っぽいものを見つけた夫婦は、それが裸の少女だと気付いて悲鳴を上げた。

しかも裸の少女は5人もいて、彼女たちは横向きに体を少し曲げるようにしながら、輪を描くように横たわっていた。


腰を抜かした夫を、警察に通報しようとせっついていた妻は、ぱちりと瞳を開いた少女を見て言葉を失った。


やがて次々と目を覚ました少女たちは、全員が透き通るように白い肌に、金の髪と青い瞳の、空恐ろしさすら覚えるほど整った容貌だった。

木漏れ日の中、長い金色の髪を垂らして見つめ合う少女たちの姿は、まるで神話の一場面のようで、裸体であることが自然に感じられるほどだった、と、後になって老夫婦は語っている。


老夫婦は事情を尋ねたが、少女たちは言葉が分からないのか、ぼんやりとするだけだった。

老夫婦は少女たちを家に連れ帰り、あり合わせの服を着せてから警察に連絡した。


喋ることができないよう、喉を潰されている可能性を考えた警察が連れて行った病院で、衝撃の事実が判明した。

少女たちには声帯が無かった。

というより、人間のような臓器を備えておらず、その体は植物に近い構造をしていた。


隔離され、観察が続けられた結果、少女たちは物を食べることはできず、水分をとることで生きているらしいことが分かった。


政府は、人間に似過ぎている少女たちの存在が世間に知られることは危険だとして、秘密裏に研究を続けようとしたが、上手くはいかなかった。

世界中で彼女たちに似た存在が見つかり始めたからだ。


最初に見つかった地域の名前から、彼女たちはキルケーと呼ばれるようになった。

最初こそ高値で取り引きされていたキルケーも、数が増えるにつれ、値段もつかなくなり、当たり前のように街中で見かけるようになった。


植物と意思の疎通ができないように、キルケーとも意思の疎通はできなかった。

実験の結果、キルケーには知能と呼べるものはなく、生き物が当然のように備えている、危険を回避する能力もないことが分かった。


どこからともなく現れた、人間よりも圧倒的にひ弱な、美しいだけの存在。

周囲は夢中になったが、俺はキルケーの美しさや可憐さが恐ろしかった。


仔犬や仔猫が丸っこくて目が大きいのは、庇護欲をそそって傷つけられないようにするためだ。

ならば、キルケーの見た目は何のためだ?

俺1人が何を考えようと、人々はキルケーを受け入れ、やがてキルケーは日常の一部になった。


従順な恋人。

幼いまま側に居続けてくれる子供。

キルケーたちは、人々のあらゆる欲を満たし続けた。


少々乱暴に扱っても問題のないキルケーだったが、どうやら人間でいうところの首の部分に脆弱性があるらしく、首を折られると動きを止めた。

さほど気にする者はいなかった。

何か不具合があれば代わりのキルケーを手に入れればいいだけだ。


キルケーが増えすぎて収拾がつかなくなることを恐れた政府は届け出を義務付け、1人1体までの所有を定めた。


焼却場が近いせいか、風が強い日には、車に積もった埃を落とさなければならない。

ため息をつきながら埃を落としていると、隣のマンションの貼り紙が目に付いた。


「最近、キルケーをゴミ捨て場に捨てる人が多くなっています。いらなくなったキルケーはゴミ捨て場に捨てず、役所に持って行ってください。違反者には罰金が科されます」


動かなくなったキルケーは腐るわけではなく、徐々に形が崩れ、灰色の粉になっていくだけだ。

しかし、やはり人間そっくりの体がゴミ捨て場な放置されているとぎょっとするし、教育に悪いということらしい。


車の中で適当につけたラジオでは、少子化が進んでいることと、キルケーの出現の関連について批評家がだらだらと喋っていた。

キルケーが出現して以来、児童虐待とDVの件数がかつてないほど減っていることは、ほとんど話題にされることはない。


キルケー保護を謳う団体が、暴力を振るわれてるキルケーを助けて回っているらしい。

か弱い存在を守ることができて、さぞ気分がいいだろう。

だが、それで?


自分の欲望のために暴力を振るう人間が、キルケーが一体いなくなっただけで暴力をやめるわけがない。

代わりのキルケーが捕まるだけだ。

あるいは、代わりにされるのは人間の子供かもしれない。


問題の根源はキルケーではない。

誰もがそれに気付かないふりをしている。


滑り込みでタイムカードを押し、ロッカールームで、灰色の作業着に着替えて、ガスマスクをかぶる。


それから地下に降りて、灰をスコップでダストシュートに放り込む作業を開始した。

四方を灰色のコンクリートの壁に囲まれた部屋の中で、床に分厚く積もった白っぽい灰を、正方形のブロック状に切り取っては捨てる。


近くでは、ガスマスクをつけた同僚が何人か、同じように灰を捨てている。

ガスマスク越しの景色は非現実的だ。


灰色の壁の上のほうにあいた覗き窓から、この施設の所長がこちらを覗いていた。


所長のデスクには写真立てが置かれている。

家族の写真を職場のデスクに飾るなんて、ドラマの中だけかと思っていたが、そうでもないらしい。

写真立ての中では優しそうな金髪の奥さんと、悪戯っ子そうな双子の少女が笑みを浮かべていた。


いつのまにか所長の姿は消えていて、終業時刻を告げるベルが鳴り響いていた。

作業服を着替えて、タイムカードを押す。


今日も一日中、誰とも喋らなかった。

もし男性型のキルケーがいたなら、俺と入れ替わっても案外気付かれないかもしれない。

乾いた笑いが漏れた。


車で道路を走ると、壁やフェンスに貼られた白い紙がはためいた。

少し前から、若い女の子の間で、キルケーの真似をすることが流行しているらしい。

髪を金髪に染め、カラーコンタクトを入れて、喋らないようにする。

もちろん人間は水だけでは生きられないので、すぐにバレるのだが、相手がキルケーだと思い込んだところで、急に喋り出して驚かせるという趣向だ。


キルケーは乱暴な扱いを受けることが多いので絶対にやらないように、と、大人たちが言えば言うほど、少女達はキルケーごっこに夢中になった。


触れたこともない暴力とは、お伽話のようなものだ。

炎の美しさに魅力されて焼け焦げる蝶のように、スリルに夢中になった少女たちの死体が、ゴミ捨て場に投げ捨てられた。


街のあちこちに行方不明者の貼り紙を見かけるようになった。

いなくなった少女は、キルケーとして、どこかの家で生きているのかもしれない。

親たちは、そんなファンタジーにすがるしかないのだろう。


帰宅すると、隣の家の芸術家が庭で何かを作っていた。


「こんばんは」


「こんばんは、お隣りさん。ちょっと私の力作、見ていかない?」


元々、金髪に青い目だったこの女性が、キルケーと間違われて絡まれているところを助けたことが縁で、こうして時々会話をする間柄になっている。


庭には、絡み合う金色の金属の線で作られた巨大な球体が出現していた。


「……すごいな。情報化社会の表現か?」


「おしい。ねえ、分解者って知ってる? 倒木とか、動物の死骸とかをさ、分解して土に戻して、生態系を正常にする役割を持つもののこと」


「虫みたいな?」


「虫もその一つだけど、これはキノコの菌糸を表してるんだ。私たちが見ているキノコはね、子実体って言って、胞子を撒くだけのものなの。本体は細い糸みたいな菌糸で、何ヘクタールも地中に伸びていることもあるらしいよ」


「へえ。あんたの元々の髪の毛みたいだな」


キルケーに間違われ続けることにうんざりした芸術家は、今は髪を黒く染めている。


「黒も飽きてきたから、次は赤毛にしてみようかな。お隣りさんとお揃い」


「赤毛はやめてくれ。口煩い母親を思い出して、夜ごとグリンピースを無理矢理食べさせられる悪夢を見そうだ」


芸術家と笑い合って家に帰った俺は、扉を閉めると笑みを消した。

赤毛は駄目だ。

きっと俺は我慢ができなくなる。


徐々に荒くなっていく息を抑えられず、部屋に座り込んでいたキルケーの前に座った。

すらりとした花の茎のような細い首を掴んで、ぎりぎりと締め上げる。

俺を見つめ続ける澄んだ泉のような瞳に、溺れそうな気分になった。

呼吸が苦しい。


「なんで笑っていられるんだよ。俺を嘲笑っているのか?」


微笑み続けるキルケーに苛立ちが増す。

ポキリと音がして細い首が折れた。

いつものように部屋の隅に投げ捨てる。


部屋の隅には、首の折れ曲がったキルケーたちの死体が、幾重にも積み重なっていた。

動かないキルケーたちは微笑んだままだ。


新しいキルケーを探しに行こうとして、シャツの袖が青く変色していることに気が付いた。

キルケーの体には血が流れておらず、代わりに透き通った水のようなものが流れている。

仕組みはよく分からないが、シャツにつくと青く変色してしまってなかなか落ちない。


これでは、さすがのキルケーも寄って来ないかもしれない。

そう思いながら歩いていると、飽きられて捨てられでもしたのか、ゴミ捨て場に一体のキルケーが佇んでいるのに出くわした。

じっと見ていると、こちらに気付いたキルケーが、まるで父親を見つけた幼い子供のように駆け寄ってきた。


「これが見えないのか? お前もこうなるんだぞ」


青く変色したシャツの袖を見せても、キルケーは俺から離れることはなく微笑み続けた。


「……お前、キルケーのくせに癖っ毛だな」


俺は新しいキルケーと家に戻った。

癖っ毛のキルケーは、最初から妙な感じがした。

いつもの金髪に青の不思議な目。

部屋に連れて行くと、じっとキルケーの死体の山を眺めていた。

横から白い首筋を見ていると、我慢ができなくなって、ぐっと首を締め上げた。


キルケーは一度だけ目を見張った後、いつものように微笑みを浮かべた。

ギリギリと締め上げていくと、キルケーの顔が徐々に赤く苦しげに歪んで……。

違和感にぎょっとして手を離すと、キルケーはゴホゴホと咳き込んだ。


「お前、キルケーじゃないのか」


キルケー……、いや、キルケーに似た少女がこくりと頷く。


「そこに積み上がっているキルケーを見たら、自分が何をされるかぐらい分かるだろう。なんで逃げなかった」


「……私も役に立てると思って。嬉しかった」


掠れた声で答えた少女は、キルケーそっくりの笑みを浮かべていた。


「キルケーならともかく、人間を殺したら殺人罪だ。さすがにそれは困る」


なんとかなだめすかして少女を自宅の近くまで送っていき、ついでに部屋の掃除をすることにした。

少女の証言でこのキルケーの死体の山が見つかっても説明が面倒だ。


キルケーの死体を袋に詰め、こっそりと職場に持って行く。

何往復かしているうちに、白かったシャツは真っ青になり、車の後部座席には灰色の粉が積もっていた。


ラジオでは、最近、少女だけではなく、大人の失踪が多発していると話題になっていた。


やっと最後のキルケーを運び終えて、車に戻ろうとすると、金髪の少女が駆け寄ってきた。

今度は癖っ毛ではない、普通のキルケーのようだ。


「なんで俺にばっかり寄ってくるんだよ」


にこにことこちらを見上げるキルケーを車に載せる。


「なあ、もしかして俺を……」


喋れないキルケーに話しかける馬鹿馬鹿しさに気付いて、俺は無言で車を出した。


俺と同じ赤毛だった妹は、ひどい痛みを伴う不治の病にかかっていた。

ほとんど意識がない状態が続いていたある日、珍しく意識がはっきりした妹は、俺に懇願した。


「お兄ちゃん、痛いの。お願い。殺して」


怖じ気付いた俺は、妹の最初で最後の我儘を聞いてやれなかった。

キルケーたちは、苦しみながら死んだ妹の代わりに、俺に殺されに来ているんだろうか。

それとも、これも都合の良い欲望の投影に過ぎないのか。


いつものように出勤しようとして、いやに施設が騒がしいことに気が付いた。


「所長が失踪したんだってさ」


先に外に出ていた同僚が俺に気付いて説明する。


「所長が? なんでまた」


「さあな。警察が所長の家に行ったら、一人暮らしなのに、キルケーが2体見つかったらしい」


「一人暮らしって……奥さんと双子の娘の写真は?」


「何年も前に車の事故で、所長以外の家族は全員死んだそうだ」


「じゃあキルケーが2体っていうのは……」


「娘の代わりだったのかもな。それにしても、キルケーの焼却処分場の所長がキルケーを不法所持とはな。なかなかうまい隠れ蓑だとは思わないか?」


同僚に適当な返事を返して、再び車に乗り込んだ。

家に帰ると、隣の家の庭で、菌糸の球体が金色に輝いていた。


インターホンを押してみても返事はない。

だいたいこの時間は家にいるはずなのに。

ラジオで言っていた、大人の失踪の話が頭によぎる。


自宅のドアを開けようとした時、支えを失って、ドアに突っ込みそうになった。

見ると、右手の手首から先が、腕から取れて、タチの悪いジョークグッズみたいにドアノブにくっついていた。


痛みはない。

切断面からは、さらさらと粉状のものが零れだし、やがて俺の右手だったものは地面の小さな灰の山に姿を変えた。


残りの右腕からも粉があふれはじめていた。

隣の芸術家の言葉が脳裏に浮かぶ。

生態系を正常にする役割を持つ分解者。

胞子を撒く子実体。

車に積もる埃。


全ての人類がいなくなるまでには、どのぐらいの時間がかかるのだろう。

音もなく降りしきる滅びは荘厳で、美しいとすら思えた。


俺は残った左腕でドアを開けると、部屋の中のキルケーの前に跪いた。

見上げると、キルケーのひんやりとした長い金色の髪が、さらさらと俺の体を包み込む。


キルケーの微笑みを見つめたまま、俺は自分の体が少しずつ形を無くしていくのを感じていた。






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