死善の杜

詩一

第1話 葬式と咀嚼

「これでパンを」


 テスは薄っぺらな外套がいとうのポケットから一枚のカードを取り出した。なめし皮を緑色に染色した生地に、金色で【5】という数字が描かれた手のひらサイズのもの。それを露店の商人に手渡す。商人は受け取ったカードの縁取りの金属部分を、深い皺が刻まれた厚い指先でさすって手触りを確かめながら頷く。


 テスが指した先には【4】という数字が描かれた紙が張り付けてある棚があり、その棚にはパンが並んでいた。

 商人は紙袋にパンを入れ、さらに【1】の数字が書かれたカードを差し出した。同じくなめし皮を金属で縁取りした手のひらサイズのものである。


「それでチーズを」


 チーズが置いてある棚には【13】と書いてある。

 商人はチーズも一緒に紙袋に入れ、【1】のカードを店の机の引き出しにしまった。木と木が擦れる乾いた音がした。




 テスは手にした紙袋からチーズとパンを交互に取り出して、食べながら歩いた。

 歩いていると、街灯に誘われる蛾が、今日は少ないということに気づいた。

 今宵こよいは空の底が抜けているようだった。煌々こうこうと輝く白い月が、雲のない紺色の透明度を落とし、いつもならきしむほど敷き詰められているはずの星屑も、鳴りを潜めている。

 夜空から視線を戻し、もさもさと咽喉にへばりついたパンを、チーズで押し込める。


(今日も【5】だったな。明日は【6】以上がいいなあ。まあ【4】じゃあなかっただけ良かったか。あれだと色々面倒だし)


 だがテスにはもっと考えなければいけないことがあった。それは明日の労働の対価のカードの話ではない。未来、しかも直近。差し迫った話であった。


「おうテス」


 呼ばれ、声がした方を向くと、テスの雇い主である親方が、たくましい腕を上げてにっこりとほほ笑んでいた。そこはちょうど、親方の家の前だった。たまたま外に出たところ、出くわしたといったようだった。


「いつもありがとうな」

「いえ、こちらこそ」


 自分でさえぎこちないと感じる笑顔を返す。


「テス、お前その……。こっちの仕事のことは考えなくていいからな。いつでも好きにんだからな」


 テスはその言葉を聞いて、「ははあ」と曖昧な笑い声のようなため息のようなものを返す。


「いや、結婚するってのなら構わないが、ほら、今年で25だろう? しないなら、さっさと死んだ方がよくないか? 日取りさえ決まれば、俺が葬式を開いてやるから」

「い、いや、いいですよそんな。お気持ちだけで」

「それともあれか? 俺の息子が20になるまで待っているのか? そしたら俺も死ぬから、ちょうど仕事のキリもつくもんなあ。だが、そんときゃお前、35超えているだろう。いくら何でもそりゃちょっと生き過ぎだし、俺がお前を引き留めたみたいでなんか申し訳ねえんだよなあ」

「仕事、楽しいですし」

「ありがとうな。でも死ぬより幸せなことなんてないだろう。俺にはお前が仕事に対して気を遣っているようにしか思えなくてなあ」

「え、ええ。でも親方は気にしなくていいですから。本当にありがとうございます。いつも気にかけて頂いて。では、失礼させていただきます」


 頭を深く下げ、テスは足早にその場を離れた。


 親方の家が見えなくなってから少し速度を遅め、ため息をつく。そしてまたパンの咀嚼そしゃくを開始する。夕方になってからスッと温度の落ちた風のせいで、咽喉のどはカサついていた。パンがなかなか入っていかない。それをまた、チーズで押し込む。押し込む。押し込むのであった。

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