短編

@sa1k1san

わたあめ

 ばーちゃんが死んだ。享年きょうねん86歳。人生100年時代と言われるこの時代、86年生きたばーちゃんの人生は短かったのだろうか、それとも長かったのだろうか。

 ばーちゃんとの思い出はあまり多くない。遠方に住んでいた俺は、年に一度家族と共に里帰りする時しか会うことは無かった。幼い頃の夏休みは、1週間近く泊まっていたこともあったのだが、部活を始めてからはそれもなく。大学に入ってバイトを始めてからは、親と共に里帰りすることも少なくなり、思えばもう何年も会っていなかった。

 おぼろげな記憶の中のばーちゃんは、いつも優しく笑っていた。欲しいと言えば何でも買ってくれていたような気がする。そんなばーちゃんのことは、子供心に好きだったように思う。それなのに、ばーちゃんの訃報ふほうを聞いた時、あまり悲しいと思えなかった。

(冗談じゃないよね?)

これは最初に思ったことだ。電話を握る母さんを見る俺の顔がよほどいぶかしげだったのか、

「本当だって」

と、何も言わないうちに念押しされた。

「そうか・・・年だもんな・・」

思わずポツリと呟く。

何を言っていいか、何を思っていいのかよく分からなかった。


 葬式は、身内だけを集めた小さなものだった。50歳を前に若くして自殺した叔父さんの葬式は、参列者100人を超える大きなものだったというのに、寿命を迎えるまで生きたばーちゃんの葬式はこんなに小さなものなのかと、少しおどろいた。

「年を取ると、友達や知り合いも先にってることも多いから」

そう話す母さんは、さみしそうな顔こそしていたけれど、涙を見せることは無かった。

 顔をおおっている人は少なくなかったが、取り乱すほど泣いている人は居なかった。叔母さんや従弟いとこ達は、互いの近況を話していたり、まだ小さい従弟の娘さんは、状況がよく分かっていないのかそこらを走り回り、母親に取り押さえられていた。

 ばーちゃんの遺体はしわくちゃだった。昔からしわだらけだったけど、冷たく生気のない顔だと、より一層しわくちゃに見えた。

(こんなもんなのかな。)

 人の死は、もっと悲しいものだと思っていた。劇的げきてきに、ドラマティックに心をさぶるものなのだと思っていた。しかし、想像していたような悲しみがおそってくることは無かった。それはきっと、他の人にとっても似たようなものなのだろう。

 長く生きて寿命を迎えた人の死は、自然の流れとして、人は静かに受け入れるのだ。


 おときのあと、外の空気が吸いたくなって料亭りょうていを出た。おぼろな満月が美しい夜だ。

 風に乗ってにぎやかな音が聞こえてきた。よく耳をますと、祭囃子まつりばやしのようだ。季節は夏も終わり、秋の初めに差し掛かる頃。こんな時期に開かれるお祭りもあるのか。

 ふと、幼いころの思い出がよみがえった。一度だけ、ばーちゃんに連れられてお祭りに行った事があった。大きなキャラクターもののわたあめを買ってもらい、顔中ベトベトにしながら食べたあの味は、今もおぼろげに覚えている。ふわふわで口にいれたらすぐに溶けてしまうから、物足りなくてもっと食べたくなってしまうのだ。

 急に、胸を突く寂しさを覚えた。劇的でもなく、心を揺さぶられたわけでもないけれど、なんだか無性むしょうにわたあめが食べたくなった。

 お葬式のすぐ後に祭りにおもむくなんて、なんだか不謹慎ふきんしんなような、滑稽こっけいなような気がするけれど、足は自然と喧騒けんそうの方へと向かって行く。

(わたあめだけ買って戻ろう。)

 遠くに見える明るい屋台の光の中に、幼い自分とばーちゃんの姿が見えた気がした。

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